<コンビ二創業戦記・別伝>「DCVS回想録」第15回
2017/01/24
賀春
新しい年、2012年が
歴史の審判に堪えうる一年となりますように!
新年も、一歩一歩、地道に歩んで参ります。
2012年 正月
<海外視察ツアーの思い出>(その6)
<(株)ローソン時代(1996~2006)(1)
ーー1996年(平成8年)8月ーー(第13回)
「中国上海視察」
(株)ダイエー・コンビニエンス・システムズ(DCVS)は、1996年春、会社名を,店舗名に統一し、(株)ローソンに変更する。
その前年、1995年1月には、かの阪神大震災に遭遇し、阪神地域、特に神戸周辺のローソン店舗も甚大な被害を受けたが、被災店舗のオーナーさんたちや従業員さんたちの必死の踏ん張りと、全国社員を動員しての復旧・復興の驚異的な努力に加えて、お取引先の懸命な協力を得て、この試練を乗り越え、新しい挑戦の時期を迎えていた。
阪神大震災に付いては改めて別に記したい。
この頃のDCVSは、、震災被害にも関わらず、業績は極めて順調で、栄光の全国展開総仕上げの沖縄進出準備も着々と進み、念願の日本初のナショナルチェーン実現も目前にあった。
加えて、ローソンは初の海外展開の夢が漸く叶い、中国・上海への進出が決定していたのである。
「DCVS」から「ローソン」への社名変更は、間近に迫る二十一世紀へ向けて、グローバル流通企業として世界に雄飛せん、とする秘めたる一念の発露であったろう。
その時点では私は、既に相談役の立場にあったが、もう少し自分が若ければ海外進出の先頭にたちたいと、大いに血が騒いだものである。
そんなわけで、私の第13回目の海外視察は、中国・上海の視察であった。
前号に書いた通り、「ローソン5000店舗達成記念・『オーナー経営セミナー・イン・ハワイ』」での渡米が、5月度と9月度の2度に及んだので、私の海外視察は、通算で12回となっていたからである。
ローソンの上海進出は、一年有余の厳しい交渉を経て、中国流通大手企業の「華聯集団有限公司」との合弁で、1996年2月に設立した「上海華聯ローソン有限公司」が母体となり推進された。
その年の7月、「古北新区店」と「田林東路店」が、晴れの中国進出第1号店として、華々しく同時オープンした。
それからまもなく、私は上海視察に出張する。当時の讃岐尚宏・ 常勤監査役が同行してくれた。
上海ローソンの進出状況と市場視察を兼ねていた。
上海華聯ローソンの初代責任者・総経理は、小島孝雄さんであった。
<小島さんとホテルにて><開店準備中の店舗前にて讃岐さんと>
初めての海外進出という事情に加えて、改革開放政策が推進され始めていたとはいえ、当時は現在よりも、はるかに強い社会主義経済体制下にあった中国側との交渉には、あらゆる面で大変な苦労があったと思う。
また「商流・物流・情流」などの流通システム・インフラも、その頃の中国では殆ど未整備の状態であったから、イチから作り上げる必要があったが、これらは日本での経験と先進的的なノウハウを、そのまま持ち込むわけにはいかない。時間をかけて活かすことが必要であった。
更に、中国人従業員の教育と労務管理、コミュニケーションのとり方には、何かと気苦労が多かったことであろう。
小島さんは、あまりその苦労を表には出さない、芯の強い人柄であった。
小島さんの案内で、上海ローソン事務所での中国人従業員との会合や激励、合弁先の華聯集団有限公司本社訪問と挨拶、ローソン店舗視察、オープン準備状況確認、店舗開発状況、物流センターの準備状況などのほか、上海におけるSMや商店街などの流通事情視察を行ったのである。
また、日本人にも特別になじみの深い、近代中国文学の父・魯迅の旧宅である「上海魯迅記念館」を見学できたことは、望外の喜びであった。
<魯迅記念館、秦さん・讃岐さん*上海華聯集団有限公司最高幹部会食>
当時の中国・上海では、改革開放路線の本格化で、空港の拡張・整備事業や、高速道路建設、高層ビル建設工事などが、あちこちでしゃにむに進められて、上海全体が活気で、揺れ動いているように見えた。
その風景は、まるで、東京オリンピツクが開催された1960年代前半の日本、特に私の記憶の奥深くにある、当時の東京のそれと非常によく似ていたように思われたのである。
騒然たる工事現場の活気や、砂埃にまみれた古色蒼然とした昔ながらの街並みと、近代的なビルときらびやかな商店街が雑然と併存している様は、混沌そのもののエネルギーを、強烈に感じさせるものであった。
以来15年、中国経済は高度成長を続け、北京オリンピックと上海万博など世界的イベントを成功させ、今や、そのGDPも日本を抜いて世界第二位に躍進している。恐らく現在の上海自体は、私が訪問した頃の都市外観を、一変させていることだろう。
中国経済全体が、急激な成長に伴う多くの解決すべき課題をかかえているにしても、基本的に成長が継続することは間違いない。
だがそれにしても今日、上海ローソンの存在感が甚だ希薄なのは、非常に気になるところである。
現在、上海ローソンの店舗数は約300店と聞くが、15年という時間と適切な戦略があれば、少なくと1000店舗を超えていなければと思うのである。
中国・上海の成長力を取り込む戦略の欠如が心配されてならない。今からでも遅くはないはずである。
「日本食糧新聞・海外視察ツアー」について(その①)
私は1996年(平成7年)から2000年(平成12年)までの間に、7回の「日食海外視察に同行講師として参加している。
「日食海外視察ツアー」に講師として同行することになったのは、当時の日本食糧新聞社・社長の伊奈一郎さんとのご縁からであった。
伊奈さんとは、サンチェーンの創業準備を始めた頃からのお付き合いで、食品の仕入先を開拓するため食品業界の情報を教えてもらいに新聞本社に訪問したのが、最初の出会いであった。
初めてお会いした時は、伊奈さんは、専務取締役・編集局長であったが、忙しい中、親切に対応して頂いた。
伊奈さんは、痩身ながら、背筋をピンとのばした姿勢の良い、古武士のような風格を感じさせる方であった。
その後サンチェーンが業界の注目をされるようになると、「よくやりましたね」と激励の言葉をかけて頂いたり、なん度か、新聞社主催の講演会の講師として呼んでいただいたこともある。
私が相談役に退いた頃、当時の伊奈社長から「 『日食海外視察ツアー』に協力してもらえないか」、との声が掛かったのである。
それが契機となり、1995年から2000年まで毎年、合計7回にわたり『日食海外視察』に同行することとなった。、
<日食海外視察ツアーガイドブック><ツアー参考資料>
私の海外視察としては第14回目から第20回目となるのだが、その都度、感動の出会いと忘れ難い思い出を刻む機会となった。
私は、毎回の結団式で、米国流視察の目的について、概ね次のように述べた。
「世界市場化とサイバー市場化が進行する中で、明日の日本の姿を見付けたいと思う。
転換期における変化対応と革新の先端モデルを探りたい。
共々に、アメリカ現地を、足で歩き回り、空気を吸い、自分の目で身、耳で聞き、口で味わい、手で触り、肌で感じて、実感を掴もう」と。
それぞれの「日通海外視察」の概要を簡潔に紹介すれば、以下の通りである。
ーー1995年(平成7年)3月・「日食海外視察」ーー(第14回)
*視察テーマ・ 「米国流通調査と売れ筋新食品の研究」
*視察先・「ニューヨーク・アトランタ・ロスアンゼルス」
*参加者・(花王)小御門さん、(内山商事)内山さん、
(讃陽食品)八木さん、(電通)横山さん、
(宮城化学)関さん、伊藤さん、(サンヨー堂)利根さん、松本さん、
(城南精機)川口さん、 (シマヤ)山縣さん、(ヤマガタ)上野さん、
(新潟食品運輸)井越さん、 (日本食糧新聞)板倉さん、
(日本通運)山田さん、と私を含めて、計15人
<アトランタで参加者全員><案内してくれたストアマネジャーを囲んで>
ニューヨークでは、ホテルにて現地講師による「米国流通における最新動向」などのセミナーを開催した後、旧市街にある都市型食品小売業の典型であるグローサリ&デリショツプなどを見学した。またアトランタ、ロスアンゼルスでも、各業態の代表的な有名店舗を多く見学することが出来た。
その頃のアメリカは、1980年代後半からの日米自動車貿易摩擦による経済不振で失業率が高まり、第二次戦後長く続いた、世界最強の債権国から、債務国へと転落していたのである。
中流家庭の没落が始まり、低賃金労働力の増加による所得ダウンが、アメリカ小売業に価格革命を進行させ、ウオルマートなどの低価格小売業の急速な成長・躍進が注目されていた。
ウオールストリートや5番街、国連ビルなどのニューヨークの「表の顔」と、ハーレムなどの「裏の顔」を見て、アメリカの光と影を実感することとなった。
1993年に小売業世界第一位になったウオルマートは、他の先発企業が盛衰を繰り返す中で、その後も躍進を続けて断トツの存在となっていることは注目に値すると思う。
かつての小売業王者のシアーズが再生に苦悩している様や、先発企業Kマートが大苦戦していることとあわせて、特にウオルマートには深い関心を持って見学したものである。
ーー1996年(平成8年)5月・「日食海外視察」--(第15回)
*視察テーマ・「好況続く米国流通最前線・人気PBと新食品の研究」
*視察先・「シカゴ(FMI展)・ニューヨーク・ミネアポリス・ロスアンゼルス」
*参加者・(タマノイ酢)幡野さん、(有紀食品)田中さん夫妻、
(キューピー)宮嶋さん、兼久さん、(永谷園)淡路さん、
(ニッコーレン)淀沢さん、(雪印乳業)吉田さん、
(ケンコーマヨネーズ)北村さん、(野津漬物食品)小川さん、
(カルピス)川合さん(東海農産)福島さん、鈴木さん、
(駿河茶付け本舗)村瀬さん、(コカコーラ)伊藤さん、
(日本製粉)浅井さん、(新生活研究所)折茂さん、松浪さん、
(日本食糧新聞)宇津木さん、(日本通運)山田さん、と私の計22人
この回の主目的はシカゴでのFMI視察であった。シカゴでは古い町並みを壊して、新市街に再生させようとする再開発の工事がいたるところで進められていた。
「FMIスーパーマーケット業界展」とは、「米国食品マーケティング協会(FMI)」が主催し、毎年定例的に開催される「世界最大規模の国際スーパーマーケット業界の総合展示会」のことである。そのせいか、参加者も多くなった。
FMI展は非常に規模が大きく、駆け足で見て回ることになった。大手有名メーカーの展示には圧倒的な迫力がある。また意外にも、ローカルな農産物や特産品が積極的に展示売込みを掛けているのには感心させられた。
日本からの視察団も多く、何人か知人と遭遇して、お互いに驚いたことも忘れ難い。
現地セミナーで、これからの10年について、
「小売業は、①・SLOW、NO OR NEGATIVE GROUtH
=ERA OF MARKET ShARE BATTLE
②・MORE STORE CLOSINGS=SALES CONCENTRATE
消費者は、①・LESS TIME SHOPPING
=MORE PURPOSEFULLY
②・MORE CONPETETION
FOR SHARE OF STOMACK
AND SHARE OF MIND となるだろう」
と話していたが、将に現時点の日本小売業を予感させる指摘であったともいえよう。
<FMI見学ネームカード> <FMI入り口前で記念写真>
ーー1996年(平成8年)11月「日海外食流通視察」--(第16回目)
*視察テーマ・「攻め競う米国流通前線・注目PBと新食品の研究」ーー
*視察先・「シカゴ(PLMA展)・ニューヨーク・ミネアポリス・ロスアンゼルス・カールスバット」
*参加者・(味の素)小越さん、(本橋浦乃助商店)本橋さん、(白鶴酒造)清原さん、
(寿がきや食品)吉筋さん、(丸紅畜産)鈴木さん、(フレンドフーズ)吉岡さん、
(ハローデリカ)伊東さん、(日本通運)土橋さん、と私の計9人
この度はPLMA展視察が主目的であった。
PLMA展とは、「米国プライベートブランド協会(PLMA)が主催する世界で唯一最大のPBメーカー食品展示会のことである。
当然のことながらFMIに比べれば規模も小さく華やかさもないが、全般にPB商品の品質が高く、最近はプレミアムPBの開発に重点が移っているということである。会場でダイエーの商品部のバイヤー三人に出会う。
今回の視察先で特に印象深かったのは、コンビネーションストアの「CUB FOODS」と、自然食品専門スーパーとして全米で躍進中の「WHOLE FOODS MARKET」である。
何れの店もストアマネジャーが丁寧にBYや調理場などを案内し、説明してくれた。
それぞれの店が、店頭や売り場に、自店の経営指針や商品基準などを、きちんと分かり易く掲示していたのは非常に好感が持てた。
<ホールフーズ マーケット・食品売り場のポリシー表示>
残念ながら、日本の小売業で、自店の経営理念や商品哲学を、お客様によく分かるように、店頭にキチンと明示しているところは、殆どない。是非とも、お客様とのお約束として、自店の商売哲学を堂々と店頭に掲示すべきであると考える。
私は店舗視察をする時には、その店の経営指針が、どのような形でお客様にはっきりと分かるように表現されているかを、注意して観察する事にしている。米国視察でも特にそのことに留意した。参加者の皆さんには、ツアー総括の際に、まとめてお話しするように努めたのである。
一例を挙げれば、ウオルマート系の「サムズクラブ」では、エントランス正面に「サムズクラブポリシー」が大きく掲示されていた。
<YOU ARE THE BOSS。
OUR GOAL IS TO EXCEED YOUR EXPECTATIONS。
OUR BUSINESS IS SAVINGS>、と誠に簡単明瞭である。
そして、従業員全員のユニフォームの背中には
<YOU ARE THE BOSS。
ASK ME I CAN HELP YOU。>と、大きくプリントされていたのである。
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