第138話 「凡そ食に形あり、色あり、気あり、味わいあり」

     

食の思想家たち四 、林信篤・人見必大

 ☆人見必大(1642-1701)

 蕎麦通の必読書のような古典がある。江戸前期の本草学者、食物研究家の人見必大が著した『本朝食鑑』であるが、それには蕎麦のことがこう紹介されている。 

本朝食鑑

 「実を、杵でついて殻を取り去り、挽いてにする。さらに篩にかけて極めて細かい粉末にし、熱湯あるいは水で煉り合わせ、粘堅な平たい丸い餅の形にまとめてから、麺棒で頻りにこねるが、この麺棒には別の麺粉を撒いて、餅が粘りつかぬようにする。麺棒に巻き手荒く押し固めながら極く薄く押し伸ばしたら、パッとひろげ、これを三、四重に畳んで、端より細く切って細筋条にし、沸湯に投じて煮る。長く煮ると硬くなり、少しの間だと軟らかなので、随意に見計らって取り出し、冷水か温湯で洗う。これを蕎麦切という。

 食べる時は、すすぎ洗い、水を切ってから、つけ汁を用いる。汁は垂れ味噌一升と好い酒五合をかきまぜ、かつおぶしのかけら四、五銭を加え、半時あまり煮る。ぬる火では宜しくなく、とろ火で煮るのが宜しい。よく煮たら塩、溜醤油で調和し、それから再び温める必要がある。別にだいこん汁、花鰹、山葵、みかんの皮、とうがらし、のり、焼味噌、梅干などを用意して、蕎麦切および汁に和して食べる。だいこん汁は辛いのが一番よい。」

 他に蕎麦掻蕎麦湯のことも述べてあるが、割合する。

 文章通りであるから、解説は不要であろう。ただ必大は、庶民という視点でこれを編集、著したといわれているから、これが元禄期の庶民の蕎麦切の姿であろうことは重要なこととして頭に留めていただきたい。

 ☆林信篤(1644-1732)

 もちろん『本朝食鑑』の本文も興味深いが、この章で採り上げたいのは林信篤(羅山の孫)の序文である。

 その前に、信篤が序文を書いた経緯を述べなければならない。

 必大の父・人見元徳(1604-84)は霊元天皇(1654-1732)のころの宮中御用医師であったが、京都所司代・板倉重宗(京都所司代:1619-54)にスカウトされてから幕府に仕えるようになった。

 そして、必大の兄・友元(1638-96)は縁あって江戸時代の朱子学の大家・林羅山(1583-1657)の門下生となった。

 羅山の私塾は上野忍岡の別邸にあった。現在の上野公薗内の清水観音堂から西郷隆盛銅像付近である。羅山は、そこにたくさんの桜の樹を植えていたため一帯は「桜が岡」とも呼ばれていた。今の桜並木が往時を偲ばせる。

 1690年のこと、将軍綱吉は林家に対して湯島移転を命じ、幕府の教学所「昌平坂学問所」となった。そのため当時の林家の当主・林信篤は、いえば国立の東京大学の学長になったのである。

 【昌平坂学問所

 必大の兄は優等生だったが、さらに東京大学出身のような肩書が付いたのである。対して、日頃からコンプレックスをもっていた弟・必大は逆に庶民派を志向したといわれている。それでも兄は弟の『本朝食鑑』発刊を大いに支援した。

 ひとつは、同じく羅山門下の岸和田藩3代目藩主岡部長泰(1650-1724)に出版費を出してもらった。

 いまひとつは、林信篤にを寄せてもらった。元禄8年(1695)、信篤51歳、必大53歳のときであるが、私はこの序文に興味をもっている。

「凡そ食に形あり、色あり、気あり、味わいあり」 

 形、色、味は分かるが、気とは何だろうか?

 ずっと以前に友人の中国薬膳料理研究家から教えてもらったことがあるが、「氣」という字は米を炊いたときに出る湯氣からきているという。何となく分かったような気がしたものだった。また、『陶然亭』の作者・青木正児は「山葵には新鮮な気がある」と書いている。これも何となく分かるような気がする。

 そもそもが、この「気」という考え方は朱子学や老荘の思想からきているようだ。だから朱子学の大御所・林信篤なら、当然の見方、言葉であろう。

 その朱子学というのは、荘大な宇宙の哲学であるのかもしれない。

 モノの本によると、宇宙の根本原理は太極であり、言い換えれば「」であるという。太極は分かれて陰陽となる。陰と陽とは「」である。この理と気は二元として存在する。万物の化生、変化は陰と陽の二気の集合離散によって起こるが、その集合離散にひとつの秩序、法則があるのは理によって然らしめられているからである。また、気は形の中にとぢられているという。

 人間が生きているというのも、生命を構成する気が集合しているということである。気が集合すると生になり、離散すると死になる。

 まちがった理解かもしれないが、「山葵の新鮮な気」という言葉と出会ったとき、気とは生命の息吹ではなかろうかと思った。その気と味とが、形や色にとぢられているのが食べ物であるというのが信篤の、いや日本人の食の思想ではないだろうか。

☆日本の蕎麦 

 さて、蕎麦の世界では、美味しい蕎麦の条件として、採れ立て、挽き立て、打ち立て、茹で立てを推奨する。一部では本当は少し置いた方が美味しいという論議もあるが、そういう現実的なことではなくて、信篤が云わんとしたことは、おそらく食べ物の気を重視したところから派生した、調理哲学なのであろう。

 湿気の多いわが国では新鮮さが最重要であることは当然であるが、気というのはそれをこえた命の息吹を表現した考え方であると思う。

 だから、「生蕎麦」という言葉も生まれた。これは「ナマ」の意味ではない。「生一本」と同じく「キ」である。昔の人は字の意義は重要視していない。発音が大事である。たまたま「生」の字が一般的になっただけである。だから「起蕎麦」と書いてあることもある。「生蕎麦」に、あえて意味付けすれば「気に満ちた蕎麦」ということである。 

 さらには、薬味についてすら、そうした気の思想から生まれたものである。

 世界的には香辛料の範疇に入る薬味は、わが国では独立した概念をもっている。つまり、食べる直前に庭の畑から採ってきて、生のものを切って出す。地産で、採れ立て、切り立てでなければ薬味ではないのである。

 こうした気を代表する食べ物のひとつが「蕎麦」であると思う。

 まさに蕎麦には、形あり、色あり、気あり、味わいあり、である。

参考:人見必大著・島田勇雄訳注『本朝食鑑』(東洋文庫)、源了圓『徳川思想小史』(中公新書)、唐木順三『日本人の心の歴史』(ちくま文庫)、『聖堂物語』(斯文会)、『神農廟略志』(斯文会)、青木正児『陶然亭』(岩波文庫)、

「食の思想家たち」シリーズ(第67話「村井弦斉」、73話「多治見貞賢」、137話「貝原益軒」)、

 〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員 ☆ ほしひかる