第139話 水の料理と火の料理
ある料理番組がNHKテレビで放映されていたが、興味深かったのでついつい見入ってしまった。
内容は、イギリスの料理人ヘストン・ブルメンタール氏が、おいしくない料理の代表格といわれている「機内食」の改善に取組もうというものであった。
料理人ヘストンとしては、作り立ての新鮮な料理を味わってもらいたいのだが、あいにく機内の厨房は狭く、また安全上から調理道具も自由に使えない。おまけに、高度10,000mの乾燥した機内では、人間の味覚が変わってしまうことも実験で分かった。では、いったいどんな食材で、どんな料理を作れば、美味しい機内食になるのか。あの手この手で、五感を刺激するメニューに挑戦するヘストン氏の姿を追った番組であった。
何とかして課題を解決しようというその奮闘ぶりには単なる料理番組としてだけではなく、人間としての勇気を与えるいいものであった。
ただ、見ている日本人の私は、「日本人でよかった」と思うところがあった。
それは〝作り立て〟という問題であった。
たいていの料理は、作り立てのアツアツが美味しい。「アツアツ=美味しさ」の関係は普遍的に成立しているものだ。だから、それに挑もうとするのは当然である。
しかし、日本人なら、その挑戦を冷ややかな目で見ているだろう。なぜなら、「アツアツ=美味しさ」は絶対ではなく、美味しさの一つとして見ているからである。たとえば、「駅弁」を代表とする日本の弁当は冷たくても美味しい。というのも、われわれが主食としているジャポニカ米というのは炊き立ても美味しいが、冷めても美味しいし、また煮た肴は冷めても美味しくいただけるのである。
世界の三大料理法は、(1) 水で煮炊きする、(2) 火で焼く、(3) 油で揚げるものだが、われわれ日本人は焼いたもの、揚げたものより、水で煮炊きしたものが冷めた場合、むしろ味が浸みて深くなることを知っている。
さらに加えていうならば、日本の蕎麦も、作り立てなのにアツアツではない。ヒエヒエで、どちらかといえばわざわざ冷たさを味わっている向きがある。
日本の冷たい麺というのは、世界レベルでは変った食べ物であるが、それは昔からのこと。戦国時代に来日したルイス・フロイスは「日本人は冷たい麺を食べている」と驚きながら、書き残しているほどである。
そんなことを思うと、和食というのは特殊で、実に不思議な食べ物であることに気づくだろう。
現在、わが国は日本の食文化をユネスコの無形文化遺産に登録すべく進めているが、ぜひこうした水の料理の和食の良さを訴求点にしてほしいものである。
参考:「Heston’s Mission Impossible」(2012年 3月10日NHK)、ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫)、ほしひかる「水の国から火の国へ」、
http://www.edosobalier-kyokai.jp/kokkyou/kokkyou.html
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員 ☆ ほしひかる〕