第149話 6月16日 蕎麦喰地蔵講
季蕎麦めぐり(八)
☆石の地蔵さん
お地蔵さんといえば石像が多い。だから昔は「石の地蔵さんが・・・・・・♪♪」といった歌の文句がよく唄われていた。
お地蔵さまというのは、仏(如来)になることを延期して菩薩の状態にとどまり、多くの人々の罪苦の除去に携わることを本願とした。彼の表現としては修行者の姿をとり、剃髪し、手には錫杖と宝珠を持つ。天上からの救済活動を行う他の仏と違って、自らが六つの迷界(六道)を巡る。だから、彼は堂宇を出て、辻の側に、田畑の隅に、野の傍に、雨風に晒され石の地蔵さんとなって佇むようになった。お堂に祀られていた当初は体躯も大きくて堂々としていたが、野や路傍に佇むようになってから小さく愛らしい姿になってきたのはなぜだろうか。そのため、庶民や子供の人気を得て、お地蔵さんは親しまれるようになった。
☆蕎麦喰地蔵
天上より天下、中央より傍(そば)の人々を救済するという地蔵思想に感じるところがあって、私たち江戸ソバリエは練馬の九品院というお寺で年2回の蕎麦喰地蔵講(世話人代表:江戸ソバリエ・ルシック 金井さん)を行っている。
もともと蕎麦喰地蔵尊は、江戸初期に神田で祀られていたころ「勝軍地蔵」と呼ばれ、武家の信仰が篤かったという。それが浅草に移ってきて、天保の飢饉から尾張屋という蕎麦屋の一家を守り、庶民から「蕎麦喰地蔵尊」として親しまれるようになった。そうして縁あって現在、練馬に在す。この地蔵尊の体躯が大きいのは歴史的に古いころの石像ということだろう。
【蕎麦喰地蔵尊☆ほしひかる絵】
☆和の心
亀井勝一郎の「埴輪」論を読むと、埴輪と地蔵には共通の心があるような気がする。死後の観念がまだ確立されていないころの埴輪と、浄土とか地獄とかの観念が生まれてからの地蔵が似ているとしたら、それは埴輪と地蔵に和の心が流れているからだろう。その和心とは、野にあっても幼児のような純真さ、あるいは素朴さということだろうか。
参考:ほしひかる「蕎麦談義」(第88、50、36話)、ほしひかる「蕎麦夜噺」(日本そば新聞)、ほしひかる「桜咲くころ、さくら切り」(BAAB誌)、三遊亭円窓「蕎麦喰地蔵」、
季蕎麦シリーズ(第149、145、140、136、131、130、129話)、
亀井勝一郎『古典美への旅』(旺文社文庫)、宮家準『日本の民俗宗教』(学術文庫)、梅原猛『仏像のこころ』(集英社文庫)、
〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕