<コンビ二創業戦記・別伝>「DCVS回想録」第20回
2017/01/24
「懐かしのローソン東富士ゲストハウス時代(1994~2002)」(その1)
<東富士ゲストハウス開設の経緯>
ローソン東富士ゲストハウスは、既に述べた通り、5000店舗達成記念事業の一つとして、1994年(平成6年)8月に開設された。
それに先立つ2年前、1992年(平成4年)春、「DCVS・トレーニングセンター設立プロジェクトチーム」が発足する。
その頃、ローソンは年間500店舗以上の出店が続いて、5000店舗達成の目処もつき、業績も絶好調であったが、POS導入による情報武装化が本格的に進行し始めており、従来型の分散型研修には、限界が感じられていた。5000店舗達成を機に加盟店研修の高度化、体系化、常設化が求められていたのである。
「DCVS・TCプロジェクト」には、副社長の私が担当役員となり、リーダーは田原房雄主席で、メンバーは10人ほどであったと思う。
田原さんは、かつて「サンチェーン流通学園」の創設と運営にも携わっており、教育実務にも長けたヴェテランであったから、その経験を十分に活かして、見事にチームリーダーとしての責任を全うしてくれた。
先ずは、建設場所の選定である。
不動産業者を通じて日本全国に情報を求めると、九州や近畿、関東、北海道などからも、多数の候補地が上がってくる。
幾つか、役員などによる実地見聞を繰り返した上、最終的には、三菱地所が開発していた静岡県駿東郡小山町須走所在の「東富士リサーチパーク」を選定した。
<西伊豆高原にて・田原氏・筆者・松岡氏・遠藤氏> <中庭から富士山頂・筆者>
選定理由は、候補地が「東富士リサーチパーク」の中でも、日本一の富士山を眼の前に、遮るものなしに仰げる、最も高い場所にあり、ローソン商人魂の象徴たる『ローソン総本山』を建設するに最適の立地条件、十分な広さと周辺環境、景観を備えていると判断したからである。加えて、当時中内さんが、経団連副会長を務めておられ、同じ「東富士リサーチパーク」内の「経団連ゲストハウス」をよく利用されていて土地勘があり、立地の良さを直ぐに理解してくれたこともあったろうか。
次いで、「此処でどういう研修を行うか」「どういう研修センターを造るか」、そして「どのように運営していくか」、の基本構想を練りあげねばならない。これは中々の難問であった。
そのために、いろいろな有名企業の研修センターを、何箇所か、伝手を辿って、研修内容や、建物構造、運営方法などを見学して回った。チームメンバーで何度も討議を重ね、構想を練り、深めていく。
その過程で中内さんから、「加盟店オーナーさんたちを、ゲストとしてもてなす、という精神を基本に考えるべきだ」、との提言がなされ、研修センターの正式名称を、『ローソン東富士ゲストハウス』、と決定することになる。
<ローソン商人魂の総本山>
私は、『ローソン東富士ゲストハウス』には、大きく三つの役割が期待されると考えていた。
一つは、21世紀商人として「ローソン商人魂」の原点を学び、鍛える『道場」としての役割、
二つは、常に進化し続けるコンビ二運営の最新スキルを身につける『研鑽場』の役割、
三つは、フランチャイズビジネスとして、本部と加盟店との信頼感、及び、
加盟店相互の『友好と団結を深める場』としての役割、
すなわち、 『ローソン総本山』の役割である。
ここでの研修の基本内容は、当初、大きく加盟店向けと社員向けの二つが考えられた。
加盟店向け研修では、
1・新規加盟店研修 「ベーシック・マネジメント・コース」
-ー-5泊6日合宿研修=BMC研修
2・契約更新時研修 「アドヴァンスド・マネジメント・コース」
ーーー3泊4日合宿研修
社員向け研修には、
1・新入社員研修
2・SV研修
3・中堅幹部研修、などが考えられた。
研修の中心となった「BMC研修」には、従来の新規加盟店研修対象から、やがてダイエーグループ社員独立制度による「チャレンジオーナー研修」や、次第に増加していく既存加盟店の複数店経営のための「店舗管理者研修」なども加わってゆくことになる。
これらの理念や研修内容などの基本構想を、東富士リサーチパーク内の4万9081平方メートルの広い敷地に、どのように建物として具現化するのか、これは全く我々の手に余ることであった。
1992年(平成4年)初夏、『ローソン東富士ゲストハウス』の建築デザイナーとして、当時既に建築界で注目されていた、若手建築家・団紀彦氏にお願いすることとした。この人選は、まさしく大正解であったと思う。
団紀彦氏には、中内さんにも何度かお会いして、「経団連ゲストハウスに負けないものを」との思いを確かめて頂くと共に、我々プロジェクトメンバーとも、コンビ二の社会的使命、ローソンの経営理念や戦略、そして『ローソン東富士ゲストハウス』の果たすべき役割と任務などについて、熱心に、繰り返し、綿密な打ち合わせを行うことになった。
その結果、団紀彦氏は、実に見事に、我々の意図を汲みこんで、ローソンの総本山たる『ゲストハウス』として、素晴らしい建築デザインに結晶させたのである。
<駐車場から見るゲストハウス全景>
1993年(平成5年)4月着工、施行業者はダイエーグループの(株)イチケンであった。
途中何度か切所もあったが、1年後の1994年(平成6年)6月、建物が完成する。
敷地総面積4万9081平方メートル、建坪面積3851平方メートル、述べ床面積8770平方メートルの威容であった。
富士山に向かい、左手に4階建ての宿泊棟、真中にエントランス棟を挟んで、右手前に丸屋根の大ホール棟、
その奥に2階建ての研修棟が続き、コの字型の中庭は富士山に向けて開放されている。
天気がよければ、季節を問わず、富士山の神々しい姿を、間近に仰ぐことが出来た。
全体の建物の前方は広い駐車場であり、正門を抜けて長い回遊路から登って来る車が、パーキング入り口に入る瞬間に、広壮な建物が現われ、その上に富士山頂がちらりと覗くという心憎い配置であった。
この建築デザインは、建築業界でも評判を呼び、見学や取材が相次いだものである。確か、団紀彦氏は、何か業界のデザイン賞を受賞されたはずである。
『ローソン東富士ゲストハウス』は、建物が完成してから2ヶ月の内装・仕上げの整備期間を経て、1994年(平成6年)8月26日、竣工式と加盟店研修開講式を行い正式にオープンする。
<玄関前でのテープカツト風景など>
<館長時代(1994~99)・名誉教授時代(1999~2002)>
私の『ローソン東富士ゲストハウス』との関わりは、開設準備期間も含めれば、凡そ10年に及ぶものであった。
開設準備に約2年(1992~94年)、開館時から約8年間(1994年~2002年)、その前半の5年間、取締役相談役時代は「ゲストハウス館長」として、後半3年間の常勤監査役時代は、現業を兼務出来ないとの理由で「ゲストハウス名誉教授」という名称で、主に加盟店研修に関わることになる。役職名称は変わっても、私の果たすべき任務に変わることはなかった。
その間、「ゲストハウス」運営の責任者として、田原房雄初代支配人、田中則夫二代目支配人、萩尾伸広三代目支配人をはじめ、その時々のスタッフの皆さんが、非常によくサポートしてくれた。心から感謝している。
私は、館長の役割は、先ずは、ゲストハウスのトレーナーはもちろん、サービス運営・管理に携わる社員たちに、しっかりとゲストハウスの使命と役割を理解し、実践させることであると思っていた。常にチームワークの「良い館風」を作ろうと呼びかけ、手作りの館内報も発行した。
<館内報「トツプジー」の創刊号と退任挨拶号>
次いで何よりも、研修のため全国からはるばるとゲストハウスに来館して下さる加盟店のオーナーさんたちに、ゲストとしての暖かいお出迎えと、親蜜な応対を心がけ、実践することであった。
そして研修を通じて、店舗運営の知識・技術と共に、『ローソン商人魂』の種子を、情熱を込めて、加盟店の皆さんの心田に、植えることであった。
私は、ゲストハウスに常勤していたわけではない。
原則、毎週一回実施される新規加盟店BMC研修と、月2回ほど実施される契約更新研修の日程に合わせて、ゲストハウスに出向くのである。1年間で100日、8年間で800日以上を、ゲストハウスに出勤したことになるだろうか。その一日一日に、忘れ難い鮮明な記憶が残されている。
研修初日の加盟店研修者の『お出迎え』に始まり、『開講講義』及び『ウエルカムパーテイ』、そして、研修修了日の『修了講義』と『フェアウエルパーテイ』及び最終『お見送り』を、主催するのが私の主な役割であった。
先ずは、何よりも初日の『お出迎え』の体制に特に留意した。
研修に参加される加盟店の方々は、毎週、全国各地からそれぞれに飛行機や新幹線に乗り継いで、三島駅に集合、そこから出迎えの専用バスで約1時間掛けてゲストハウスに到着される。
バス車中では、お互いに初対面の上、研修内容が「地獄の特訓ではないか」との不安から、沈黙し勝ちであった。しかも、途中の風景は、富士山麓を次第に山奥深く連れて行かれるような感じがあり、全員、張り詰めた緊張状態で、ゲストハウスに到着されるというのが通例であった。
私は、この皆さんの不安と緊張を解消して、安心して研修に参加して頂くためには、 到着時の第一印象こそが極めて大事であると考えていた。それには、日本式旅館のお出迎え応対が良いと思い、バス到着前にゲスハウスのトレーナーを含めてスタッフ全員が玄関前に並び、笑顔でお出迎えすることを徹底した。
私は必ずバスの降り口で、一人ひとりの研修生の皆さんを一人ひとりとの握手でお出迎え、「ようこそいらっしゃいました。お待ちしていました。心から歓迎申し上げます。」と挨拶するのを常とした。これは2002年に、ゲストハウスを離れる最後まで実践し続けたことである。
次号から、ローソン東富士ゲストハウスでの研修内容の記録を少し辿ってみたいと思う。
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