第229話 人の行く裏に花道あり

     

江戸蕎麦400年を記念して

 

☆花の山

 株式投資には詳しくないが、「人の行く裏に道あり花の山」とか、人の行く裏に花道あり」とかいう格言があることだけは知っている。それはたぶん自分にそのような道を好むところがあるからだろう。

 そもそもが、江戸ソバリエの企画そのものが裏道というか、人さまのやろうとしないことだった。今の「いいね」の逆の感性であろう。

 当初は、その企画を周りの方々に説明しても「蕎麦を食べるだけだろう。」「蕎麦を打つだけだろう。」「それ以上、何をしようというのか」とよく言われたものだったが、しかし私は、①=蕎麦を打つ=蕎麦を食べる=蕎麦について知る=、はみなつながっているから、総合的な「蕎麦学」とした方がいい。②その蕎麦というものが食べ物として完成したのは江戸だということから始めなければならと思っていた。

 そこでドーンと「江戸蕎麦」を訴えるために、江戸の老舗の蕎麦屋さんに集まってもらうことにした。

 最初にまつ屋さんを訪ねたところ、講師の高瀬礼文先生の名を見て「面白そうじゃないか」と言われ、かんだやぶさんを誘ってもらった。それからやぶさんから巴町砂場さんと元有楽町更科さんに声がかかって、江戸の老舗の旦那衆が一堂に会するシンポジウムを開催するにいたった。

 お蔭さまで、業界誌の記者さんからは「江戸蕎麦の老舗の旦那が一堂に会するなんて、前代未聞だ」との評価を頂いた。まさに花の山だった。

 今でも、最初に喫茶店「ショパン」でまつやのご主人にお会いしたときのことは忘れられない。あのときはたしか息子とも一緒だったが、この路線の延長として上梓したのが『江戸蕎麦めぐり』である。

☆売れないモノ

 平櫛田中(彫刻家)は創作に迷っているとき、岡倉天心に「売れないモノを創れ」と励まされたというが、まさにその発想で思いつく私の癖はその後も続いた。

 今度は、蕎麦信仰 ― これも江戸蕎麦の特色のひとつであるが、それを一堂にということで、お蕎麦の稲荷の慈眼院(文京区)、蕎麦喰地蔵尊の九品院(練馬区)、蕎麦守観音の深大寺(調布市)と代表的な江戸蕎麦ゆかりの寺社のご住職にお集まりいただいた。

 江戸末期の絵師広重は、40-50以上のお狐さんを王子へ呼び寄せたが、私は、お蕎麦のお稲荷さん、お地蔵さん、観音さまにパネリストとしてご来場願うことにしたわけである。

 これもまた「ここまでは、お釈迦様でも気がつかなかったろう」と言われたが、これほどの貴重でありがたいシンポジウムは将来二度とないだろう。

☆人真似きらい

 江戸の絵師といえば、歌麿は自分の作品に「人真似きらい、自力絵師 歌麿本舗」と署名している。こういうのを見ると勇気づけられるものである。

 そんなところから思いついたのが三つ目の話である。

 ご承知の『慈性日記』の1614年2月3日(旧暦)の条には、京の尊勝院慈性と、江戸小伝馬町の東光院詮長と、近江の薬樹院久運の三人が江戸の常明寺で蕎麦切を食べたと記してある。この記録が江戸蕎麦の初見であるが、今年は2014年であるから、ちょうど400年前の話ということになる。

 江戸蕎麦の通を自認する江戸ソバリエとしてはこれ」を見逃すわけにはいかない。いうわけで、セミナーを企画した。講師は慈性研究の第一人者林先生、そしてゆかりの東光院32世の木村先生。課題は、不明とされている「常明寺は何処に在ったか?」である。

 両先生のお話によれば、日記の主役慈性は貴族日野家の出身で、当時21歳。一方の東光院は江戸初期には「天台三ケ寺(観理院、東光院、浅草寺)」とよばれたほどの名刹。もちろん薬樹院も比叡山のお膝元のお寺。要するに尊勝院・東光院・薬樹院ともに格式高く、かつ天台宗寺。

 なら、幻の常明寺も相応に格式高く、かつ天台宗寺ではなかったか! そして地区的には、慈性が活動していた、今の千代田、台東、中央区辺りに、常明寺はあったのではないか! ということになる。

 ともあれ、慈性さんという人は上層の僧ではあったが、僧というより、かなり政治人間であった。そういう人種は、偉人か悪人でないかぎり、時代が変わったときに取り上げられることはない。だから、普通なら歴史の彼方に消えてしまってもおかしくない人だが、こうやって400年後にわれわれの研究課題の中心的役割を担おうとは、慈性さんは思ってもいなかったであろう。

 しかし、江戸蕎麦初見を検証することは、江戸ソバリエとして義務であり、そんな機会を得ることは幸せなことであると思う。

 

江戸蕎麦切400年記念シンポジウム

 

参考:江戸ソバリエ協会『江戸蕎麦めぐり』(幹書房)、広重画「王子装束えの木大晦日の狐火」(望月義也コレクション『広重名所江戸百景』合同出版)、林観照校訂『慈性日記』(続群書類従完成会)、「東光院」(東光院)、

〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる