第174話『ノルウェイの森』
蕎麦、文学、音楽-1
― 彼女は飯田橋で右に折れ、お堀ばたに出て、それから神保町の交差点を越えてお茶の水の坂を上り、そのまま本郷に抜けた。そして都電の線路に沿って駒込まで歩いた。ちょっとした道のりだ。駒込に着いたときには日はもう沈んでいた。穏かな春の夕暮だった。
「ここはどこ?」と直子がふと気づいたように訊ねた。
「駒込」と僕は言った。「知らなかったの? 我々はぐるっと回ったんだよ」
「どうしてこんなところに来たの?」
「君が来たんだよ。僕はあとをついてきただけ」
我々は駅の近くのそば屋に入って軽い食事をした。喉が乾いたので僕は一人でビールを飲んだ。注文してから食べ終わるまで我々は一言も口をきかなかった。(中略)
「ずいぶん体が丈夫なんだね」と僕はそばを食べ終わったあとで言った。― (村上春樹『ノルウェイの森』講談社文庫より)
駒込の蕎麦屋『小松庵』を訪ねたとき、小松専務さんが「『ノルウェイの森』に出てくる〔駅の近くのそば屋〕ってこちらですよネ、と言ってハルキファンがよく見えるんですよ。なかには外国の人さえ訪ねてきます」とおっしゃった。
村上春樹氏が実際に『小松庵』を訪ねたのか、あるいは仮想なのかは判らないが、確かに〔駅の近くのそば屋〕と言ったら、ここしかない。
氏の小説『ノルウェイの森』は、John Lennon+Paul McCartney(ザ・ビートルズ)の曲♪「ノルウェーの森」からとった題名である。
たまたまJohn Lennon(1940~80)の命日が一昨日の12月8日だからといって、ここに採り上げるわけではないが、それにしても本を読んでも、なぜ『ノルウェイの森』なのか、よく分からない。
それは勿論、作者のせいではないだろう。私の歳がビートルズ世代より少し上だから、ビートルズを理解できないせいだろう。私がビートルズの曲を初めて聞いたのは大学時代だったが、音楽というのはもう少し早い時期、中学・高校時代に影響をうけるものだと思う。その点私はプレスリーやモダン・ジャズの世代だった。だから、小説の主題である〝生きる勇気〟といったことは、ビートルズの曲からよりも、氏が音楽エッセイ『意味がなければスイングはない』でも触れている、ウイントン・マリサリスのキレ味のいいジャズ-トランペットの方や、あるいは本(上巻)の真ッ赤な表紙の方からが感じとられる。
村上氏は若いころから音楽が大好きで「ゆくゆくは文学か音楽を職業にしたい」と希望していたというほどだから、何かの曲を聞いて、あるイメージを掴まれた。そのひとつに「ノルウェーの森」があり、小説『ノルウェイの森』が創造されたのだろう。
先の『意味がなければスイングはない』の中でも、彼はこう述べてある。(そういえば、この『意味がなければスイングはない』はデューク・エリントンの名曲♪「スイングがなければ意味はない」からとったものであるが・・・。)
― 音楽について感じたことを文章のかたちに変えるのは、簡単なことではない。それは食べたものの味を、言語的に正確に表現することの難しさに似ているかもしれない。感じたことをいったん崩し、ばらばらにし、それを別の観点から再構築することによってしか、感覚の骨幹は伝達できない。―
かように感じて、再構築したものが『ノルウェイの森』なのである。
【大塚の街を走る都電☆ほしひかる絵】
村上小説は料理について触れることも多い。『ノルウェイ』の主人公ワタナベは都電に乗って大塚(私の住んでいる街だけど・・・)の恋人の家に行った。彼女はワタナベのために料理を作ってあげる。味つけは関西風の薄味だった。
だしまき玉子、 さわらの西京漬、 なすの煮もの、
じゅんさいの吸物、 しめじのご飯、 たくあんを細くきざんで胡麻をまぶしたもの、
彼女は料理が得意だった。でも、それは料理に無関心な母親に反発して、一所懸命勉強してのことだという。中学高校時代から料理本をマスターし、お小遣を節約しては料理道具を買ったり、本物の懐石料理を食べに行く・・・。あるときはブラジャーを買うお金を玉子焼き器代にまわしたこともある。だから「1枚のブラジャーで暮したのよ。信じられる? 夜に洗ってね、一所懸命乾かして、朝になってそれをつけて出ていくの。乾かなかったら悲劇よね。これ。世の中で何が哀しいって生乾きのブラジャーをつけるくらい哀しいことないわよ。もう涙がこぼれちゃうわよ。とくにそれがだしまき玉子焼き器のためだと思うとね」
さて、それから私は、小松庵系列の蕎学舎にご案内していただいた。ビルの屋上に出ると、六義園の樹々が望めた。このとき私は、妙に「ノルウェーの森♪」のメロディを口にしてみたくなった。やはり、不思議にインパクトのある題名のせいであろうか。
参考:ザ・ビートルズ「ノルウェーの森」、村上春樹『ノルウェイの森』(講談社文庫) 、トラン・アン・ユン監督「ノルウェイの森」 、村上春樹『意味がなければスイングではない』(文春文庫)、デューク・エリントン「スイングがなければ意味はない」、
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕