第415話 神様の箸置
2017/05/01
別館:「嘴から橋まで、箸のお話」
箸のレポートを下記のブログに掲載してから、その補足版として「橋」「箸袋」についても述べてきたので、今回はその続きとして「箸置」の話である。
http://www.edosobalier-kyokai.jp/tk/thinktank.html#list3
われわれは何となく、箸と箸置は付き物だろうと思っているが、箸置を持っているのは日本と中国ぐらいかもしれない。ただし、中国の箸置の由来は勉強不足のため詳しくない。またスプーン・フォークの西洋にはそのような物はふつうはない。
同じ箸文化圏の朝鮮半島の人も箸置は使わない。遊牧民族の影響で金属製の匙と箸の使用になった彼らに箸置は必要なかったのだろう。膳の縁を利用して架けるようにして置いてある。このやり方は禅宗の精進料理と同じだから、その辺りの交流影響があるのかもしれないが、まだよく分からない。
日本の場合は、小野妹子が中国式の箸匙文化を持ち込んだときは、盤の中に箸と匙を一緒にして縦にして置いていた。
それが「嘴から橋まで、箸のお話」で述べたように、室町時代から箸だけを使用するようになり、横向に置くようになったと思われる。
ところが、古社の行事に使われる箸置という物がある。
和食を研究していると、古の香り豊かなそれをどうしても手にしたくなる。そこで春日大社、上賀茂神社、下鴨神社、伊勢神宮などのあちこちの由緒ある社を訪ねてみたが、神様用だから販売していないという。それじゃ仕方ないということで、自分で作ってみることにした。写真がそれであるが、土を捏ねて、焼いた。古式だから、当然釉薬を使用しない、素焼だ。
古社では、写真のように箸を横置にして使用するが、ここで謎がわく。
並ぶ料理は古式豊かに古代食の干物・生物が中心であるという。だが箸は横置である。確か横置は室町以降からの慣習であったはずだ。
どういうことだろうか?
もしかしたら、古の日本では箸は横置だったのか。それを小野妹子が中国式を導入したため、縦置になったのか?
そこで室町時代になって、再び昔の方式に戻した。ということなのか?
何しろ、神代の昔のことだから、真実はよく分からない。神のおぼしめすままということだろう!
〔文・箸置 作 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕