第423話 幕の内弁当と江戸歌舞伎

     

~ 形の文化 ~

☆江戸歌舞伎
久し振りに歌舞伎を観にいった。演目は、鎌倉物一番と江戸物二番だった。
すぐに舞台でチャンバラが始まった。伝統芸能における活劇は舞うようにして相手を斬る。もちろん俳優の身体からは汗も血も出ない。優雅だ。
そういえば、小学生の頃に観た時代劇映画もこんな風だった。中村錦之助や東千代之助ら主演俳優たちはにっこり笑って舞うように刀を振り回すだけで、相手の悪役が倒れてくれる。当時の時代劇映画は歌舞伎の延長上にあったから、当然だった。
日本の伝統芸能といわれる能・狂言、歌舞伎、舞踏などは「型」を重んじる。だから、見立てが成り立ち、舞台では、斬ったつもり、殺られたつもりの舞うような仕草だけで、客には通じ、かけ声と喝采がわく。
映画の方は、私の青春時代のころ、黒沢明監督や、とくに五社英雄監督がヒットさせた『三匹の侍』では、斬り合いは欧米流にリアルになった。刀が身体に喰い込んだときは「ドスッ」という音がして、斬ると血飛沫が吹き出した。観客の中には気を失う人もいたくらいだ。
今では、舞台は別としても、ハリウッド映画などは、リアル以上に激しくなり、ビルも車も飛行機も大型船もハデに爆破炎上する。
そういう欧米人が歌舞伎を観たとき、「リアルさ」の反対側にある「型文化」を知り、新鮮な感動を覚えるという話はよく耳にする。

型や形を大事にする性向は、和食にもいえる。和食は切って、煮ることが基本である。切るというのはただズタズタに切るということではない。形美しく切る蕎麦でいえば角が立つように切ることがそれだ。
だから、「型・形」を大切にすることは日本文化なのである。
歌舞伎の演目に遊女物や侠客物が多いのは、当時の身分制度下の物語を描かなければならなかった都合以上に、〝江戸の粋〟が形に表現しやすいせいもあるだろう。だから、舞台の主人公たちは皆、粋で、イナセで、カッコいい。

それはともかく、室町時代に武士の間で愛好された能・狂言と、江戸時代に大衆にうけた歌舞伎は、相違点もある。
大衆にうけるということは「娯楽芝居」ということである。だから、他の演劇界にない楽しみがある。それが先述の「かけ声」と次に述べる「幕の内弁当」である。

☆幕の内弁当
前の「アフター・ダーク」などでも述べたことがあるが、私は「駅弁」や、歌舞伎の幕の間に食べる「幕の内弁当」が好きだ。
弁当史を遡れば、古墳時代の仁徳天皇時代に携帯用食事があったというから凄い話だが、今の「弁当」という言葉は、織田信長が安土城の工事現場の者たちに「配当を弁ずる」と言って簡単な食べ物を器に盛って配ったところから、そう呼ばれるようになったらしい。
かように、わが国で早くから弁当が発達したのは、主食であるところのジャポニカ米のご飯が出来立てのホカホカはもちろん美味しいけれど、冷めても美味しいからオニギリなどにして携帯できるという極めて便利な特質のためである。
ところで、芝居の幕の内弁当はといえば、日本橋(人形町)の「萬久」(店主:萬屋九兵衛)が売り出して人気となったらしく、それが相撲に、駅弁に、と発展していったのだという。
駅弁の元祖はまねき食品が、明治21年の山陽鉄道の開通に当たり始めたらしい。
どの分野にも各々詳しい人がいて、人気の駅弁は、「元祖鯛めし」(静岡・東海軒)、「あなごめし」(広島・うえの)。駅弁に初めておしぼり付けたのは「シュウマイ弁当」(横浜・崎陽軒)だとかを、いろいろ教えてくれた。
「弁当は美味しい」なんて言っていたら、「コンビニ弁当は?」と訊かれたことがあるが、それは論外だ。
幕の内弁当は、芝居を観ながら、旅の景色を観ながら、という楽しみがおかずになるが、それは「素晴らしい映画+素敵な映画音楽」のように相乗効果をもたらすものである。でも、コンビニ弁当にはそれがない。それにまだまだ歴史が浅いから単純な味しかしない。こう云えば、「弁当と歴史は関係ないだろう」とおっしゃるかもしれないが、それがある。それは弁当の詰め合せという形に表れてくる。歴史ある老舗弁当は限られた枠内に数種を見栄えよく上手に詰め合わせてある。だから見目美味しく感じられるわけである。
というわけで、《幕の内弁当》《駅弁》バンザイ♪

《参考》
☆この日の歌舞伎の演目
1.作者不明(江戸中期)『鎌倉三代記 絹川村閑居の場』(出演:松本幸四郎・中村雀右衛門・尾上松也・他)、
2.河竹黙阿弥:作(幕末)『曾我綉侠御所染 御所五郎蔵』(出演:片岡仁左衛門・中村雀右衛門・中村米吉・市川左團次・他)、
3.長谷川伸:作(昭和初期)『一本刀土俵入』(出演:松本幸四郎・市川猿之助・他)

〔文・挿絵 ☆ エッセイスト ほしひかる