<コンビ二創業戦記・別伝>「DCVS回想録」第35回
2017/01/24
≪その他のエピソード≫(その2)
二つ目は、『ローソン5000店達成を祝う会・記念ゴルフコンペ』である。
『ローソン5000店達成を祝う会・記念ゴルフコンペ』
ーー1994年9月2日ーー
これは、5000店達成記念行事の最後を飾るもので、お取引先 主体の記念企画であり、兵庫・三田のオリエンタルゴルフ倶楽部で開催された。
主力お取引先102社の経営とツプ102名が出席され、DCVS側は中内最高顧問、松岡会長、藤原社長、鈴木相談役の4名が参加し、合計で27組106名の大コンペであった。
<参加者組み合わせリスト>
それぞれアウトスタート13組、インスタート14組で、プレーが開始される。
私は、インスタートの6組目で、朝日ビール飲料の佐野社長、キリンビヴァレッジの津屋社長、サントリーフーズの西重社長と同じ組で、ラウンドさせて頂いた。
<成績表表紙>
<記念写真・筆者、津屋さん、佐野さん、西重さん>
前半は、曇り空ながら順調に進行したのであるが、後半に入り俄かに突風が吹き荒れ始め、篠突く雷雨、豪雨となって、プレー続行が不能となる。
暫く様子を見るも、天候回復の見込みがなく、やむなくハーフで打ち切りが決まる。
急遽、前半ハーフのスコアで順位を決定し、表彰会を開くこととなった。
その間、いろいろと面白いハプニングもあったのだが、ここでは詳細を省こうと思う。
それにつけても、まことに忘れ難い、語り草の多いゴルフコンペとなったものである。
参加賞は、中内さん特注の『中内功サイン入り・クリスタル・パター』であり、全参加者に記念として贈られた。
このクリスタル製のパターは、実戦用というよりは、愛蔵品・装飾品というべきものであったと思う。
三つ目が、『21世紀と共に ローソン感謝の夕べ』である。
『21世紀とともに ローソン感謝の夕べ』
ーー2000年(平成12年)10月16日ーー
この会合は、ローソンの創業25周年と株式一部上場を記念し、お取引先とのパートナーシツプ強化と共有の場として、新高輪プリンスホテル国際館パミールにおいて開催された。
お取引先680社、計1224名の皆さんが、出席される大パーテイとなった。
新たに大株主となった三菱商事も招待され、当時の佐々木社長が参加し、披露の場ともなった。
この会合では、私と塘さんの二人の常勤監査役も、ホスト役として参加した。
今から思うと、「ダイエーグループから三菱商事への流れ」が、次第に鮮明になりつつある時期であったから、ローソン社内には、云うに云われぬ微妙な空気が生じていたように感じる。
従ってこの大パーテイも、私が従来参加してきたローソンの多くの熱気溢れる祝祭に比較すると、いまひとつ盛り上がりに欠ける気がしたものである。
中内さんが、ローソンの代表取締役・最高顧問としての対外的な表舞台で、壇上から挨拶されたのは、この会合が最後であったと思う。
中内さんの挨拶にも、心なしか、いつもの迫力が感じられなかったように思う。
それも、時勢の移り変わりの必然であったかもしれない。
<感謝の夕べ企画概要表紙>
<主要ご招待先リスト>
四つ目に、『ローソン野球部」の想い出に付いて、少し書いておきたい。
『ローソン野球部』(1995年5月~2002年11月)
今年2013年(平成25年)の夏も、恒例の都市対抗野球が熱戦を繰り広げ、優勝戦は東京と横浜が争い、横浜が連覇して盛り上がったことは記憶に新しい。
今はほとんど忘却の彼方にあると思うが、ローソン野球部もほんの10年ほど前の7年間、自前の企業球団を持ち、熱心に、都市対抗野球・全国大会本戦への出場をめざしていたのだ。
社会人野球進出には、中内ダイエーの深謀遠慮があったと思う。
ローソンが1994年(平成6年)5000店舗を達成して、いよいよ全国征覇の目安がつき始めたころ、企業名のDCVS(ダイエーコンビニエンス・システムズ)を、店名の「ローソン」に戻す契機としたのである。
それには、ローソンが社会人野球への進出を図ることが最適との判断があった。
社会人野球の規定では、登録チーム名は、正式企業名とするとなっていたからである。
加えて、社名変更には、中国進出のために分かり易い企業名へとの思惑もあったと思う。
<ローソン社会人野球進出記事>
よく知られているように、『ローソン野球部』の前身は、「リクルート野球部」である。
今は昔、20年ほど前の当時、リクルート社が経営難に陥った際、かの江副さんに頼まれて、中内ダイエーが大株主として再建支援をした一時期があった。
その節ローソンが、「リクルート野球部」の総員を引き継ぎ、実質的にそのまま『ロ―ソン野球部」として新発足したいきさつがある。
「ローソン野球部」の新発足には、幾つかの戦略的意図も含まれていた。
一つは、ダイエーグループのイメージ戦略として、日本一プロ野球球団・「ダイエーホークス」のファーム機能を、積極的強化を図るという考え方である。そのころ「ダイエーホークス」は、リーグ優勝を果たし、日本一を目前にしていたと思う。
<ダイエーホークス・リーグ優勝記念切手>
二つは、コンビ二・ローソンのイメージアップにより、全国加盟店のフランチャイズ・チェーンとしての求心性を、より一層高めて、お客様を含めたローソン・フアン創りに、更につなげていこうという考え方である。
私も何度か、『ローソン野球部』が神宮球場などで行った試合に、社員や加盟店の皆さんと応援に行った記憶があるが、そこで自然に生まれる一体感には、えも云われぬ高揚感を感じたものである。
<ロ―ソン野球部選手名鑑98’>
<2000年大会スケジュール>
今の時代は企業スポーツが、経営の中ではお荷物視されている感が強いが、これも経営者の経営哲学によるといえよう。
往年のように、企業広告塔としての役割だけをスポーツに求めるとすれば、真剣に取組む企業は存在しなくなるであろう。
しかし現在でも、企業スポーツに、積極的な文化的、教育的、社会学的、組織心理論的な意義を認めて、熱心に取組む企業は数多く存在しているし、そのような企業は概して好業績企業であることが多い。
好業績だからこそ、企業スポーツにも取組めるのだ、と思う人も多いのだろうが、私は因果関係は逆だろうと確信する。
何れにせよ、企業スポーツに取組むには、長期的理念を欠く近視眼的経営では、絶対に成功しないことだけは間違いない。
次号からは、いよいよ私の「ローソン親善大使」行脚に付いて回想したいと思う。
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