【 9月号】  IOCのロゲ会長が「TOKYO 2020」と発表、オリンピックがやって来る。

      執筆者:auc_shonin

封筒から取り出したカードを示して、国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長は「TOKYO 2020」を発表した。
待ちに待った開催地の発表だった。

江戸東京野菜が、東京農業を象徴する作物として、注目されるようになった今、7年先に向かって、江戸東京野菜の新たな取り組みが始まる。

先日、フジテレビで三國清三シェフも語っていたが
東京を訪れる観光客の「おもてなし」の貴重なツールになる。

「東京オリンピック1964」は大学の3年生だったときに開かれた。
当時、私はSCI(Service Civil International )と云うボランティア組織に加わっていて、週末ワークキャンプで施設などに行っていた。

SCIでは、東京オリンピック 1964で、外国の選手を支援することになって、私は、台湾の射撃選手の送迎を担当することになった。

当時は、高校2年(1960)で車の免許が採れたので、ドアに日の丸に五輪とTOKYO 1964が印刷された、オリンピックの大きなシールを張った車(ヒルマン・ミンクス)で、選手村から、練馬の自宅の脇を通って、埼玉県の所沢クレー射撃場と、朝霞のライフル競技場へと選手を乗せて往復した。
選手からは、台湾オリンピック委員会のバッチをもらったのが、引き出しの奥から出てきた。


選手の帰りを待つ間、クレー射撃と云うのをはじめて見たが、どこの国の選手も中年で資産家でないとできないスポーツだと実感した。

競技場へは、オリンピックのために作られた、通称オリンピック道路が延びていたからスムースに運べたし、車も今ほど多くなかったので、予定通りの時間で選手を運ぶことができた。

競技が終わったのだろう「東洋の鉄人」と呼ばれた楊伝広選手を秋葉原の電気街に連れていったこともあった。
彼は、東京大会の前のローマ大会・十種競技で台湾に初めて銀メダルをもたらした選手で、東京大会でも期待されていたが、思うような成績は挙げられなかったようだ。

我われSCIは、民間の支援グループだから、千駄ヶ谷5丁目あたりの民家に寝泊まりしていて、支援者の車で送迎をしていた。

「TOKYO 2020」も、江戸東京野菜を通して、「江戸東京野菜コンシェルジュ」の皆さんたちと一緒にお手伝いできれば幸せだ。

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