第499話 続「いかき」
前回、「いかき」について述べたら、ソバリエの谷岡真弓さまから、「いかきは蜘蛛の巣のことです」というメールを頂いた。
「え!」と思って『広辞苑』を見てみたら、確かに次のような記載があった。
【いかき 蜘蛛網】蜘蛛の巣のこと。
【いかき 笊籬】竹笊のこと。
今まで何回も『広辞苑』を見ていたのに、隣の行まで気づかなかった。
じゃ、「いかき」ってどこからきたのか?と思って古語辞典などを調べてみたが、もちろん直接的な解答なんかない。ただ総合的に見てみると、どうも「網(い)を掻き(かける)→いかき」みたいなことからきたように考えられる。つまり網をかけたものが蜘蛛の巣で、竹笊はそれに似ているから「いかき」というわけだ。
そんなわけで「いかき」が大和言葉であることら得心がいったので、伊藤汎先生にも電話をしたら、先生も「なるほど理屈に合うね」と同じようなことをおっしゃっていた。
なぜ「いかき」がそんなに大事か?
実は、日本蕎麦史の中で「いかき」論争なるものがある。それが日本の蕎麦の初見に関わることだからである。
先ずは、在野の麺類史研究家の伊藤汎先生(江戸ソバリエ講師)は、木曽で定勝寺文書が発見される前から蕎麦の初出は『蔭凉軒日録』『山科家礼記』にあると説かれていた。
そして、蕎麦の初出は、一般でいう定勝寺の「番匠作事日記」(1574年)ではなく、1438年の「蕎麦折一合」の記載を初出とすると「麺類ではじまるわが国の粉食史」で先生は述べられているのである。
ただし、「蕎麦折一合」の解釈が決定的ではないため、1480年の条の「そは一いかき」が見逃せない。
このような状況下、「いかき」の語源が明らかになって「笊に入った蕎麦」とするなら麺しかないだろうと解釈されるわけである。であれば、まさに蕎麦史解明の一助ともなる。
とにかく、小生も江戸ソバリエ認定講座や各講演、または「寺方蕎麦を散策す」などの拙文を通して、伊藤先生の説を支持する旨を表明している次第であるが、一方ではもっともっと掘り下げていって新発見を重ねなければならないとも思っている。
参考:江戸ソバリエ協会HP「寺方蕎麦を散策す」
http://www.edosobalier-kyokai.jp/pdf/20161114hoshi6.pdf
〔文・挿絵 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる〕