第219話「品性を建つるにあり」
食の思想家たち二十、新渡戸稲造
東日本大震災の被災者の方々と接していると、近親者、自宅、あるいは故郷を失うということは深い悲しみとともに心を虚にしてしまうものだということを痛感する。しかしながら、われわれはこうした喪失感に見舞われている人々にかけるべき言葉が見つからない。ただただ、われわれが大地や地域に根付いて生きていることを今さらながら思い知るだけである。
そんな思いを尊重する考え方が【トコロジスト】といわれている。このことは催事を企画するときも然りであって、【江戸ソバリエ】もそうした考えから生まれた。
ところで、日本橋地区で食の勉強会を開いている人から、蕎麦の話をしてほしいと頼まれた。
蕎麦好きの眼からみれば、日本橋という所は「江戸蕎麦発祥の地」といっても過言ではない。
したがって、【トコロジスト】の私としては、「日本の蕎麦の話」ではなく、「日本橋の蕎麦の話」、少なくとも「江戸の蕎麦の話」をしたいと思った。だから、題はズバリ「江戸蕎麦は日本橋から始まった」とした。
さらに、お話させていただく際には〔話+デモ〕の組合せにしたいと思った。
われわれ江戸ソバリエ認定講座は【耳学+手学+舌学】という組合せに特色があると評されているが、最近は一般的な講座も組合せのニーズが多くなってきているらしい。
そこで事務局側に〔話+デモ〕ではどうですか、とご提案したところ賛同をいただいたので、日本橋での催事は日本橋地区を根拠地としている「そばの会」の出番以外はありえないところから、デモは「日本橋そばの会」に依頼することにした。
結果は・・・、
Mさん:「講座+デモの組み合わせも良かったです。あの蕎麦打ちは、芸術的です! 無駄な動きが一つもない……もう、感激の嵐です。」
Rさん:「それにしても神技ともいえる素晴らしい手さばきには感嘆いたしました。美しい!の一言。所作の全て、そしてできあがった蕎麦の見栄え。何をとっても美しい!総合芸術です。無形文化財に登録されていますか? もしまだなら、絶対するべきです。」
少し褒めすぎのきらいがないでもないが(失礼!)、Mさん、Rさんともに、日本橋地区の中心的役割を担う女性。その人たちからの賛同を心強く思った。
それから、デモンストレーションが好評だったのは、打ち手が女性であったこともあると思う。
それというのも、私は蕎麦打ちに対して一つの偏見的なイメージをもっていた。それは、野外などの、テントを張った会場での蕎麦打ちは男性がいいとしても、室内での蕎麦打ちは女性が似合っている、ということであった。
きっかけは、ある夏の日だった。甚平姿で蕎麦を打つ男性がいた。その人はたまたま毛むくじゃらの腕や脚から汗が噴出していた。正直言って、その人の打った蕎麦を食べる気がわかなかったが、決定的だったのは、ある名人戦を観たときだった。無造作に汗を拭く男性群と、しとやかに拭く女性たちを目撃した。その日から、蕎麦打ちも料理、そして料理は女性がいい、と認識するようになった。
ひるがえれば、こうした事実から男性蕎麦打ちの課題も見えてくるのではなかろうか。
過日、武蔵の国のそば打ち名人戦で審査させていただいたとき、清潔感、品性ということで技術をつつんでいるような人を私は推薦した。
「武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり」
(新渡戸稲造『武士道』)
参考:「食の思想家たち」シリーズ:(第219新渡戸稲造、201村瀬忠太郎、200伊藤汎先生、197武者小路實篤、194石田梅岩、192 谷崎潤一郎、191永山久夫先生、189和辻哲郎、184石川文康先生、182 喜多川守貞、177由紀さおり、175 山田詠美、161 開高健、160 松尾芭蕉、151 宮崎安貞、142 北大路魯山人、138 林信篤・人見必大、137 貝原益軒、73 多治見貞賢、67話 村井弦斉)、
〔第5回豊年萬福塾講師、武蔵の国そば打ち名人戦審査員☆ほしひかる〕