第221話「リストランテの夜 2」
あるとくべつな夜に、あるとくべつな女性と、青山のとある高級なイタリア料理店に行って、夕食をともにした。
この意味あり気な書き出しは村上春樹さんの「リストランテの夜」というエッセイである。
客は自分たちと若いカップルの二組しかいない。静かな高級レストランだった。村上さんは作家の感性で、あの若い男性は「食後に、彼女を誘おうかな・・・」と思っているだろうし、女性の方も「応えてもいいかな・・・」と思っているだろうことを察していた。
そこへブリモピアットのパスタが運ばれてきた。とたんに若い男は「ずるずるずる!」とすざましい音を立てて、麺を喉の奥に送り込んだ。地獄の大門が開閉されるようなその音に、ギャルソンも、ソムリエも、若い彼女も凍りついた。ト、こんな話である。
数日して、箱根の「竹やぶ」に行ったとき私は、過日テレビで放映していた、歌舞伎の直侍がお蕎麦を食べている格好を想い浮かべた。
お蕎麦を少なめに摘んでスルスルスルッと麺を喉の奥に手繰る。実に粋な食べ方であった。見惚れるとはこのことだろう。
そして思った。もし、あの恋人たちが、青山のとある高級なイタリア料理店ではなくて、「竹やぶ」とか、「ほそ川」などの高級蕎麦店でお蕎麦を食べていたら、展開はかわっていたかもしれない、と。
村上春樹ご本人は、「小説を書くことはそんなにむずかしいとは思わないが、エッセイを書くのはむずかしい」とおっしゃっているが、私にとっては「村上春樹の小説はむずかしいが、エッセイの方がわかりやすい」。そればかりか、考える余地を与えてくれる。たとえば、東西の麺の食べ方の比較についてナド。
そして東西の食べ方を共に認知する考え方として、新渡戸稲造を引っ張り出したい。
彼は『武士道』の中でこう言っている。「武士道はその表徴たる桜花と同じく日本の土地に固有の花である。」
食においても、食器も、料理も、食べ方も、その土地に固有の花であると考えれば、パスタはイタリアの花、蕎麦は日本の花、となる。そのクニの固有の文化を尊重しようということになるではないか。
参考:村上春樹『村上ラヂオ』(新潮文庫)、村上春樹『村上ラヂオ2』(新潮文庫)、 NHK-Eテレ「にっぽんの芸能」 (平成25年12月6日放映)
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕