第529話 赤い橋を渡る

      2019/02/15  

第11回江戸ソバリエ・ルシック特別セミナーより

 セミナーで「」の話をすることになっているその前夜、秋山洋一さんの詩集『雲母橋あたり』を開いてみた。
「何だい、箸と橋でダジャレかよ!」と思われるかもしれないが、「箸も橋も、語源は同じ」とはセミナーのときに申上げた。
詩人秋山さんは鰹節で有名な㈱にんべんの取締役をされている。普段は役にふさわしい忌憚のない言葉を発せられるが、気持のサッパリした方である。
なのに、一方では豊かな言葉を紡ぎ出す詩人である。
ご著書を頂いたとき、扉のサインは、「ほしひかる様  あのころのコートの中には空と崖」と書いてあった。
秋山さんと私は、ほぼ同年齢。「青春時代はお互いそうだったよな」と肩を抱かれたような言葉である。
詩集の一作目の「赤い橋」は、こんな言葉で始まっている。
その日がきたら わたしは橋を渡る
ずっとわたしに尾いてきた カミソリ堤防のように痩せた
犬の影も消える
少年の勇気を感じさせる詩だ。
本題の「雲母橋」は、にんべんの近くの西堀留川に架かっていた橋だけど、今は川も橋もない。
詩人は、今は「ないものを魂の言葉で呼び出すそこには感性や想像力やあるいは構成力やらの裏打ちがあるはずだ。それが講演とか、催事の企画とかの類似点だ、と私は思う。それに講演や企画というのは、たとえばわれわれは尽きるところ【蕎麦賛歌】だ(明日の場合は【箸賛歌】だ)。だから、ときに詩集を手に取る。

セミナーが終わったその夜に、ご出席されたある方からこんなメールを頂いた。
「(略)。もっと感覚感性を磨くよう努めていきたいです。」
私が詩集を開いていたのをお見通しだったのだろうか!!

参考:西堀留川の幻の橋(荒布橋→中ノ橋→道浄橋→雲母橋)

〔文 ☆ エッセイスト ほしひかる〕