第575話 大嘗祭から見えてくる食の政治と平和
2019/05/06
5月1日、新天皇が即位され、時代は令和年間に入った。
現代の私たちは元号の変り目というのは、だいたい一生のうち一度か二度しか経験できない。たとえば、昭和生まれの人は、平成と令和という具合である。そのためか、昨今は三種の神器や改元報道が賑やかである。こうした改元一色報道に批判的な人もいないではないが、現在の報道は常に一色傾向にあるから、そう目くじら立てることでもないと思う。むしろ報道中は、天皇家の人々の優しく丁寧な言葉づかい、ならびに報道陣も倣って丁寧になったことに安らぎがあった。
ただ、新天皇の儀礼の本番は秋に行われる即位の礼と大嘗祭にあるから今年一年はいろいろと報道が続くことであろう。
そこで今回は、大嘗祭と新嘗祭について述べてみたいと思う。
先ず、新嘗祭というのは天皇が天照大御神様の御霊をお招きして、新穀の出来を奉告して感謝申上げる祭祀。その折には新穀で作るご飯やお酒を天皇自ら供御され、そして天皇ご自身も供御を召し上がる。だからこれは「神との共食」の儀といってもいい。
この新嘗祭を新天皇が初めて行うのが大嘗祭である。
新元号になる度に、日本国においては、2000年間きちんと正確に間違いなく大嘗祭の儀式が執り行われてきたことは、実に驚くべきであると思う。
ある人が、失礼を承知で例えれば「三種の神器」は超々一級の民俗文化財、「大嘗祭」は超々一級の無形民俗文化財だと言っていたが、そう考えれば分かりやすいと思う。
そして、その原初は縄文晩期や弥生初期の精神であるともいえる。分かりやすく言えば、卑弥呼の精神が今もエキスとして詰まっているのである。
弥生時代の記録『魏志倭人伝』には、邪馬壹國(ヤマト)の卑彌呼が鬼道をもちいて男王たちを従えていたとある。鬼道とか、あるいは呪術とかいうと何かおどろおどろしい宗教を妄想するだろうが、そんなもので国を長期間統治できるものではない。
卑彌呼の鬼道とは、縄文時代晩期から弥生時代初期にかけての北部九州一帯で行われていた稲の収穫儀礼と、銅鏡を用いた舶来の原始道教の合体のようなもの、すなわち当時としては実に進取的なお祓い「原始神道」であったと想えばまちがいないだろう。この卑彌呼の鬼道に弟王が行政を担当するという二重の統治システムを確立していたのである。
しかし、倭國は卑彌呼没後に再び男王たちが群立、そのため大いに乱れたが、やがては強大な男王によって統一され、倭國(ヤマト)は大倭國(ヤマト)へと拡大、盟主国は九州北部から東遷して近畿に大和國(ヤマト)が誕生することになる。
それでも、稲の収穫儀礼と原始神道という卑弥呼の精神は受け継がれてきた。
それが大嘗祭の儀礼に取り込まれているというわけである。
儀式の一部を紹介すると、いや正確にいえば、専門家の資料からの紹介である。
大嘗祭は紫宸殿南庭に悠紀殿と主基殿が建てられて行われるが、天照御大御神様に寝床を設けて持て成す。
饗応は新穀の白飯と栗飯、お粥、生物(塩鯛・烏賊・鮑・鮭)、干物(干鯛・堅魚・蒸鮑・干鯵)、汁物(鮑汁漬・海藻汁漬・鮑羹・海松羹)、お菓子(干柿・搗栗・生栗・干棗)、お酒(白酒・黒酒)。それを新天皇は一つずつ箸で取り分け、天照大御神様に供御する。
以上は、かつて小生が蕎麦栽培を奨励する詔を発した元正女帝のことを小説にしたときに調べたことであるが、小説の内容は繰り返さず、儀式のことだけ簡単に述べてみた。
いずれにしろ、われわれは天照大御神といわれると遠い神話の世界としか思えないが、儀式ではまるで現実にお客様を迎えるように寝具や食事が用意されるという。眩暈がするようなすごい話であるが、注視したいのは「天皇文化」の秘儀の中心にあるのが、‘食’であるということである。
換言すれば、天皇制下の大嘗祭とは、弥生初期の食慣習と古代王権の確立とが結びついたシステムであり、それが今も日本人の精神「日本文化」として継続していており、それが令和元年の秋にも執り行われるのである。
繰り返すが、本当にすごいことである。
話は少し飛ぶかもしれないが、この日本の「天皇文化」について、日本学者のドナルド・キーンはこう絶賛している。
大統領というのは政治闘争によって選ばれる制度であるが、日本は平和の象徴としての天皇を冠していて幸せである。
なるほど、そういう考え方もあったのかと感心する。
また、理論物理学者のアルベルト・アインシュタインも暗に「天皇文化」に期待するようなことを述べている。
「世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いが繰り返され、最後に戦に疲れるときがくる。そのとき人類は平和を求めて世界的な盟主を上げなければならない。その盟主は武力やお金ではなく、あらゆる国の歴史を大きくこえた最も古く、また尊い家柄の人間でなくてはならない。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立戻らなければならない。我々は感謝する。我々に尊い国を作っておいてくれたことを。」
アインシュタインの発言ははキーンより早いが、言っていることはキーンの延長上の予言のようなことだ。しかしここまで言われると、日本人ですら驚いてしまう。
だが、二人とも平和について、ある期待感を日本によせているのだろう。
〔令和元年5月記 ☆ エッセイスト ほしひかる〕
ほし絵:江戸城に架かる二重橋
(江戸時代の二重橋は木橋だった)
ほし絵:五十鈴川に架かる伊勢神宮宇治橋