健康ニュース 6月1日号 玄米を考え直そう!

     

隣家のインテリ夫人「あまり健康でなかった友人が玄米食に切り替えてから病知らずになった、というのです。先日会った時、私にも玄米食に切り替えるようしつこく言うので嫌になっちゃいますわ。玄米ってそんなに素晴らしいのですか?」

隠居中の大御所 暈穀菜「玄米を食べて自分が健康になったからといって他人にも強要する人は多いね。そんな時ワシは、そんなに玄米食が健康に良いなら、なぜ入院患者の食事に玄米食が出されないのか、と質問することにしているよ。玄米を本当に研究している者ならすぐ分かることだよ。玄米の短所を知っておくことだね」

隣家のインテリ夫人「そういえば、父が入院している時も白いご飯でしたわ。なぜですか?」

隠居中の大御所 暈穀菜「玄米にはね、フィチン酸という成分があり、このフィチン酸が様々なビタミン、ミネラルなども道連れにして排出するのだね。今様に言うとデトックス作用だな。ただフィチン酸は薬などの有効成分も体外に出してしまうから患者には良くないよね」

隣家のインテリ夫人「なぜ薬の成分まで出してしまうのですか?」

隠居中の大御所 暈穀菜「そりゃ、フィチン酸自身は、有効な成分かどうかの判断をできないからね。役立つか役立たないかの区別なく体外に排出する訳だな。それよりも米の歴史を少し勉強すると面白いことが分かるよ。知りたいかな?教えてやろうか」

隣家のインテリ夫人「そんな勿体振らないで教えてくださいな」

隠居中の大御所 暈穀菜「それでは教えよう。まず米が定着したのは、水資源に恵まれたことで、水田耕作により連作障害がなかったこと。二つ目は、狭い土地(水田)からの収穫でも大人数養えること。最後が最も重要だが、数年間はOKという長期保存ができたことだ。ただ江戸時代辺りまでは、土臼と言って七分搗きしか出来なかった。この状態だと米に含まれているビタミン、ミネラル類も大幅に減ってしまっている。だから脚気などの病気になる人も多かったのだね。1916年(大正5年)に衝撃式籾剥機が発明され、さらに1923年にはコントロール型脱穀機が普及し始めたのだ。これにより、ほぼ今流通しているタイプの玄米を食べる時代になったわけだ。江戸時代の人たちの食事内容は、質量とも90%近くを七分搗きの米に依存していた。分かりやすく言うと、食事とはご飯を腹いっぱい食べることにあったのだね。当然栄養不足で脚気や他の病気になるよね。病気になった者が玄米食に切り替えると、病気が軽くなるとか治ったのだろうね。喩えると玄米食は薬の代用だったのだよ。まさに医食同源といえよう」

隣家のインテリ夫人「それでは友人の言う玄米食は健康に良いということになりますよね」

隠居中の大御所 暈穀菜「最後まで言わないとわからないのだね。君の食事は白いご飯だけかな?おかずなど色んなものを食べているだろう。その色々な食べ物の中に、玄米の栄養素以上の多種多様の栄養分が含まれているから、その歳でも健康なのだと思わないかな。ご飯だけの食事だと、江戸時代の君の歳だと間違いなくしわくちゃばあさんだよ」

隣家のインテリ夫人「・・・・・」

隠居中の大御所 暈穀菜「しゃべり疲れたなぁ。玄米酒という旨い酒をいただいたので軽く一杯やろうかね。肴を頼んだよ」