第591話 蕎麦deイタリアン

     

~ 最近美味しかったもの ~
《岩魚の卵と蕎麦粉のブリニ》
《蕎麦搔きのゴルゴンゾーラクリーム》

 江戸ソバリエ講師の林幸子先生とイタリア料理の奥田政行シェフのコラボによる「蕎麦deイタリアン」のランチ会が銀座の「San Dan Delo」で開かれた。プロデュースしたのは友人の佐野弥生子さん。これは行かねばなるまい。

今日の蕎麦粉は羽黒の‘でわかおり’ということだったが、その蕎麦料理は驚きの連続だった。その中の忘れられない味といえる二つを紹介しよう。
岩魚の卵と蕎麦粉のブリニ
「鮎が上れぬ上流に山女が棲み、山女も上れぬ上流に岩魚が棲む」と言われるほどの渓谷の山深き清流にいる淡水魚、その卵は貴重であり、見ても宝石のように美しい。試しに卵だけ口にしてみると、何とも上品な味がする。それをクリームとブリニで包んで頂く。ロシアではキャビアを包むらしいが、この《岩魚の卵》こそ絶品に値する美味しさだった。【和食×西洋の料理】、これが革新である。
蕎麦搔きのゴルゴンゾーラクリーム
「蕎麦粉1×水3」で必死になって蕎麦搔きを作るらしい。それに世界三大ブルーチーズの一つであるゴルゴンゾーラクリームが添えてあるが、刺激のあるゴルゴンゾーラ辛口ではなく、甘口の方をクリーム状にしてある。そのクリームの度合が蕎麦掻きとチーズが同じレベルだからなのか、幸せ感が沁みてくる。
食べ物の表現でよく「合う」と言ったりするが、まさにこのように違う食材でも同じようなふわふわ感を演出したときに使う言葉だろうと思ったりする。
もう一度食べたい。あるいは作ってみたいと思うほど、近ごろでは最高の美味しさであった。【和食×西洋の食材】、これが革新である。

今日の席は、イタリアンだったからチーズが上手く使われていた。日本には、飛鳥時代に「蘇」というチーズがあった。一度だけ食べたことがあるが不思議な味だった。そんなチーズだが、和食の時代になると姿を消して再び現れるのは明治維新以降である。したがって蕎麦を含む和食にはチーズはタブーの食材であった。
ところが、ここ数十年イタリアから吹いてきたスローフードの風はいろんな意味で料理界を変えた。蕎麦界も例外ではなかった。
伝統的江戸蕎麦の素材は厨房のある日常のものに限られていたが、それをイタリアンは、チーズやトマトやオリーブオイルという驚きの食材で蕎麦界に殴り込みをかけ、若い世代はそれを受け入れた。社会が変われば食も変化する。社会は常に世代交代であるから、当然だろう。
そういえば、「銀座 矢部」のパルメジャーノ・レッジャーノを淡雪のように冠した《ちいずからめそば》だ。まさに蕎麦のタブーを破っていた。映画『ゴッドファーザー』では、「敵は己れの一番弱いところを攻めてくる」と言っていた。この原則は暴力ばかりではない。革新の波も一番弱いところを突いてくるのだろう。


最後に驚きの一品・・・。ご覧のとおり、蕎麦が零れ落ちそうである。運んでくる途中で傾いて盛りがズレたのではない。真面目に盛付けたのだという。伝統的蕎麦界は笊の四隅に盛って、最後に真ん中に盛る。その方が箸で麺がほどけやすいからだ。それに山葵の千切りが添えてある。これまで山葵は擂るものだと思っていたが、奥田シェフはお構いなし【和食×西洋の形】にした。これも革新である。 現場は不易流行。それが今日の「蕎麦deイタリアン」の味だった。

〔文・写真 ☆ エッセイスト ほしひかる