第234話 「みんな違っていい」
食の思想家たち二十三、三遊亭圓窓師匠
みすゞさんは、もうろうとしながらも、必死になって娘のふうちゃんのことを思い浮かべ・・・・・・、語りかけた。
「ふうちゃん。おかあちゃんの写真、受け取りに行くんよ」
闇の中で、ふうちゃんが巡礼の姿になり、手には鈴を持っている。
昼間、写真屋からもらったあの三つの鈴である。母をさがしている様子だった。
みすゞさんは声をかけようとしたが、もう声は出てこなかった。
・・・・・・。
窓からのぞいていたお月さんが、やさしくささやきかけた。
いいのよ、みすゞさん。安らかにおやすみなさい。
昨夜、アンデルセンの『絵のない絵本』を読んだばかりであった。
それは、― 夜空に浮かぶお月さんが、自分で目にした地上の出来事をある絵描きに語って聞かせるという幻想的な童話であった。
でも今の私は、落語の会場にいた。語られる話は、まるで昨夜の続きかのようであったが、そうではなく三遊亭圓窓師匠の創作落語「みんな違って ― 金子みすゞの最後の一日」の終わりの部分 ― 詩人金子みすゞが自ら命を絶つ場面だった。それは幻想的な童話でもなんでもなく、重く、悲しい昭和5年3月9日のことであった。
私は落語については、あまり詳しくないが、圓窓師匠の落語は、師匠のお人柄に魅かれ、こうして時々聞きに行く。
どこが好きかといえば、師匠の創作意欲やプロデュースの姿勢であろうか。
ご本人は「な~に。人のやらないことをするのが好きなだけだよ」とおっしゃるが、今日の落語も驚くばかりである。矢崎節夫氏の『金子みすゞの生涯』に感銘して創作され、さらには口演の背景にピアノ曲(竹葉子氏)を流し、切り絵(外村節子氏)で飾って本にもされた。
師匠が金子みすゞの詩に注目されたのは、師匠の姿勢が、みすゞに流れる詩情に共鳴したからであろう。
それが「みんな違っていい」である。
おばあちゃんが「ふうちゃん。今晩は誰と寝るんかね?」と尋ねたとき、
ふうちゃんは言う。「おばあちゃんと。つぎはおじいちゃんと。そのつぎはおかあちゃんと。」
「ふうちゃんは誰と寝るのがいちばんええの?」
「あのね、みんなちがって、みんなええの。」
人は、みんな違ってみんないい。
私は、それを良識的なセンスだと思う。
― そう。食べ物だって、みんな違ってみんないい。
参考:矢崎節夫『金子みすゞの生涯』(JULA出版局)、三遊亭圓窓『みんな違って』(高陵社書店)、
「食の思想家たち」シリーズ:(第234三遊亭圓窓師匠、224ほしひかる、222村上春樹氏、219新渡戸稲造、201村瀬忠太郎、200伊藤汎先生、197武者小路實篤、194石田梅岩、192 谷崎潤一郎、191永山久夫先生、189和辻哲郎、184石川文康先生、182 喜多川守貞、177由紀さおりさん、175 山田詠美氏、161 開高健、160 松尾芭蕉、151 宮崎安貞、142 北大路魯山人、138 林信篤・人見必大、137 貝原益軒、73 多治見貞賢、67話 村井弦斉)、
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長☆ほしひかる〕