第645話 深大寺第八十八世張堂完俊師ご逝去

     

~ ありがとうございました ~

 国宝白鳳仏を所蔵する深大寺(調布市)の第八十八世山主張堂完俊師(72歳)が令和2年6月3日、肝臓癌のため逝去された。

私は、6月5日に八十八世を見送った。その日は執事の林田さんとお会いする約束をしていたので伺ってみて初めて知ったので、お見送りすることができたのがせめてもの恩返しのように思えた。

深大寺というのは「そばの寺」として名高い。そしてそれを成したのは八十八世の力であった。

『蕎麦全書』や『江戸名所図会』によると、寛永寺五世公弁法親王が「その味至極甘美なり」とご吹聴されてから深大寺そばは通の間で高名となったという。また江戸時代を通して深大寺そばは境内などで収穫されていたが明治になってから途絶えていた。そこで「何とか復元したい」と立ち上がったのが深大寺山主の張堂完俊師や「門前」の浅田修平さんたちであった。完俊師は1987年に「深大寺そばを作る会」を結成し、地元でそば栽培を続けていた高橋金平氏の指導を受けながら種を播き始め、年末の「深大寺そばを味わう集い」の招待客に毎年振舞うようになった。その後の1995年、会は「深大寺一味会」へと改名し、深大寺への奉賛を目的としてそば作りをすることにした。現在は深大寺南町の畑を借り、毎年深大寺そばを収穫している。
さらに完俊師は2010年に「深大寺そば学院」を設立、それから2012年から「深大寺夏そばを味わう集い」とそば守観音様への献そば式を行うようになり、また2019年には「深大寺在来種」の保護を目的として、JA東京中央会に申請して江戸東京野菜の特別枠に登録された。

もちろん、私も一味会、「深大寺そばを味わう集い」、「深大寺そば学院」、「深大寺夏そばを味わう集い」、献そば式、江戸東京野菜の登録にも関わらせて頂いたり、他に一味会の韓国旅行にもご一緒させてもらった。また元三大師1025年中開帳八十八世の晋山式白鳳仏国宝指定記念講話などの深大寺の重要な式にも出席させてもらったのが今あらためて思い出される。

そして何よりも貴重な体験をさせてもらったのは長谷川雪旦が描いた『江戸名所図会』のなかの「深大寺蕎麦」の再現であった。絵の登場人物は七十七世覚深、画家の雪旦、『図会』の作者齋藤幸孝、そして深大寺の僧と寺小姓、その役を八十八世、浅田さん、林田さん、小生が担い、寺方御膳を楽しむというものであった。

料理は武蔵地区の食材で作り、蕎麦は大蒸籠に盛ってあるものを木椀に小分けし、垂れ味噌で和えて食べるという寺方蕎麦を再現した。再現のヒントは幸田露伴の小説『観画談』によった。つまり画を観ているうちに描かれている人物が呼び掛けてきたという話である。それを読んで、私も絵の中に入っていこうと思ったわけだ。

しかし、構想はしても再現はその時代の道具がなければ始まらない。そのことを当時NHK大河ドラマの美術の仕事をされていた吉川真理(江戸ソバリエ)さんにお話したら、「用意できますよ」と二つ返事。そこで具体的に企画して実現できた。

こうして、寺方蕎麦というものを身体で体験することができたからこそ、江戸蕎麦のことが理解できたのだと思う。

ところで、6月2日の夜、張堂家のご家族はいろいろお話されたという。伺ったところによれば、完俊師はご長男に「戒名は何する?」と訊かれたので、ご長男は「一味戒院大僧正完俊大和尚」と返事されたところ「いい」とおっしゃられ、「後はお前たちに任せるが、せっかく蕎麦のこともここまでやってきたからできれば続けてほしい」とも言われたという。そしてこれまで約3年禁酒されたいたがワインを飲まれ、「じゃ寝るから」と言って横になられ、そのまま永眠された。年齢はまだお若い方であったが、大往生であると思う。できれば見習いたいものである。

33年にわたるそばへの多大なるご尽力に敬意を表し、八十八世のご冥福を祈念する。

なお、八十九世山主には張堂興昭師が6月5日から就任された。合掌

写真:元三大師1025年中開帳

〔文 ☆ 深大寺そば学院 ほしひかる