第716話 二重の異邦人

     

           ~ 亀井勝一郎の深大寺白鳳仏 ~

 亀井勝一郎(1907~1966)という文芸評論家の話です。
 代表作の『大和古寺風物詩』は、亀井が36歳(昭和18年)のときに上梓した昭和12年から17年までの巡礼記です。
  その大和古寺巡礼の動機として勝一郎はこう述べています。
  「どんなに西洋に学んでも、我々日本人は、西洋に対して異邦人である。ところが同時に、自分の国や伝統に対しても異邦人にになりつつあるのではなかろうか。いわば二重の異邦人である浮動性を、私は精神の危機として感じたのであった。
  述懐しているのは第二次大戦の前です。何と鋭い言葉でしょうか。こうして亀井は大和の法隆寺、薬師寺、東大寺などを訪れ、飛鳥仏、白鳳仏、天平仏について考え始めますが、とくに白鳳仏の〝豊頬の美に魅せられます。つまり飛鳥仏は〝微笑〟しているのに、白鳳仏は微笑の直前=豊頬であることを発見します。
 そして後の1965年(昭和40年)に上梓した『古典美への旅』では深大寺を訪れ、深大寺白鳳仏「釈迦如来倚像」は、薬師三尊(薬師寺)、聖観音(薬師寺)、橘夫人念持仏(法隆寺)、夢違観音(法隆寺)と同じ白鳳仏に比べても「柔らかく、優しい」と述べ、「大和の香薬師(新薬師寺:現在行方不明)と兄妹仏ではないか」と指摘しました。そのうえで亀井は大和香薬師如来(72.7cmの金剛立像)と深大寺釈迦如来(83.9㎝)の作者は同じ流派に属する人ではないか、それが何らかの理由で武蔵国の豪族の念持仏となったのでは、と想像しました。
 なお、ここでいっています(イ)飛鳥仏、(ロ)白鳳仏、(ハ)天平仏というのは、一般的に(イ)聖徳太子時代、(ロ)天武・持統天皇時代、(ハ)聖武天皇時代の仏像という風に区分されています。
  ご承知のとおり、(イ)の聖徳太子時代の飛鳥仏は渡来系の仏です。また(ハ)の聖武天皇の時代は国家仏教の掛け声で全国に国分寺建立が命じられた時代です。武蔵国にも国分寺が建造されました。だから(ロ)天武・持統天皇時代の白鳳仏は両時代の過渡期の仏というわけです。それが豊頬に表現されているというのです。
 
  ところで、白鳳・天平時代はほぼ万葉の時代、いわゆる日本最古の和歌集『万葉集』の時代です。そのなかの一つに武蔵国の防人の歌が残っています。
  当時は万葉仮名で書きましたから、下記のようになります。  
(万葉仮名表記)
多麻河伯尓 左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能児乃 己許太可奈之伎  

 7世紀ごろは日本語を表すために漢字の音だけを用いた文字である万葉仮名が生まれました。本来の字義とは関係なく、大和言葉の音を表記したものです。
 9世紀後半になるとこの万葉仮名を崩してひらがなが作られました。それで表記しますと、下記のようになります。
(ひらがな表記)
たまがわに さらすてづくり さらさらに なにぞ このこの ここだかなしき

  しかし、どちらにしましても音だけの文字化は意味が即座に通じません。そこで日本人は、見ただけで意味がすぐ理解できる漢字を中心に、その補助としてひらがなを使うことを日本語文の基本とすることを長い歳月をかけて考え出しました。それで書きますと下記のような歌になります。そうしますと、見てすぐ理解できる読みやすい日本語文となるわけです。                      
(日本語表記) 
多摩川に さらす調布 さらさらに 何ぞ この子の 幾許愛しき

 ここで申上げたいことは、万葉時代というのは(イ)漢字の伝来→(ロ)万葉仮名の発明→(ハ)「漢字+ひらがな」文の完成という変移における過渡期であるということです。
  その過渡期の万葉仮名の歌と白鳳仏とが武蔵国に存在しているわけですが、亀井勝一郎は『万葉集』には仏教の歌が一つもないという不思議な事実を発見しています。どういうことでしょうか、『万葉集』の撰者の思いでしょうか。その撰者というのはまだ明白になっていませんが、橘諸兄(684~757)、大伴家持(718~785)説などがあります。いずれも藤原一族との政争に敗れた一族です。当時の政争は仏教国家像とも関わります。そのことと何か関係があるのでしょうか、謎です。しかしこの謎解きから武蔵国の白鳳仏も明らかになるのではないかという気がします。

 さて蕎麦のことですが、亀井勝一郎は武蔵野に住んでいましたので、深大寺は度々訪れています。いろんな資料から推察しますと、初めて訪ねたのは昭和16年ごろだったかと思われます。当時、蕎麦屋は1軒、土間には湧き水の細い流れが引いてあって、明治のころは風流人が名月の句会を開くこともあったようですが、普段の客は近くの百姓か、馬車を牽く人ぐらいだったと述べています。
  深大寺で蕎麦を食べるのが好きだった勝一郎は、蕎麦を啜りながら千年の歳月を経ても失われない民族の生命力を味わっていたのでしょうか。深大寺とはそうした思索にふさわしい所なのでしょう。

参考:亀井勝一郎「古典美への旅」(『大和古寺風物詩』)  

〔深大寺そば学院學監・江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる〕