第739話 天ぷら食って蕎麦で〆る

      2021/09/29  

 食の分野でイベントをプロデュースされている佐野さんの蕎麦会が日本橋人形町の「蕎ノ字」で開かれた。
  「蕎ノ字」さんは「天ぷら食って蕎麦で〆る」という暖簾を掲げておられるだけあって、天ぷらが美味しい店として評判になり、2年先まで予約がいっぱい。現に今日の会もコロナ前に開かれたこのような会のときに予約されていたという。

  さて、ここからが何やら屁理屈を申上げる。
  天ぷら屋のカウンター席に座る度に、「カウンターって、計算という意味なのに、なぜカウンターって言うんだ」といつも悩む。元々、屋台時代には天ぷらや握り寿司の渡し口、あるいは客と料理人の仕切のようなものだったのだろうが、そのうちに止まり木が用意されると卓の役割をもつようになり、奥行も一尺五寸ぐらいに定まってきて、天ぷらを渡す揚げ箸も同じく一尺五寸になってきた。
 封建主義の江戸時代というのは身分制度が厳しかった。そのために外食店も高級・中級・低級があった。中流以上の人たちは高級な店の客となったが、貧乏暮らしは屋台しか行けなかった。
 屋台時代の天ぷらは、揚げた物を手で受け取って辺りに座り込んで食べていたのだろう。よく、立喰いは江戸時代からあったように言うけれど、もともと日本人は立って食べるという行儀の悪い食べ方はしなかった。明治の福沢諭吉も「立って食べるのは動物みたいだ」と苦言を呈しているし、昭和46年にカップヌードルが売り出されたとき、立って食べるという行為が非難されていたことを昨日のように思い出す。
 また屋台天ぷらは手で食べていたから指が油でベト付くので、辺りの塀や橋の欄干などで指を拭っていた。そのことが川柳にのこっている。
   ~ てんぷらの 指をぎぼしへ 引きなすり ~
   指に付いた天ぷらの油を客が橋の擬宝珠へなすり付けるという行儀の悪さを笑った川柳だ。
 しかし明治維新後は封建制度が崩壊したため、社会の上中下関係は混乱し、高級和食店が低迷し、代って洋食屋が一流になり、低級な屋台はほとんど消滅、庶民は中級店に顔を出すようになった。天ぷら屋、寿司屋も屋根の下で商う店になっていったようだ。

 座ると、先ず目の前のカウンターに目がいく。
 折敷に小さな皿の上に可愛いお手拭ならぬ指拭が置いてあった。10円硬貨の直径ぐらいの大きさだけど、指拭だからこれでいいのだろう。さすがに現代は行き届いている。 
 それから、下ろし大根が小山のように盛ってある。減ったらいくらでも加えていいらしい。大盛の大根下ろしは昔からそうだったようで、江戸時代の天ぷら屋台の絵もそうなっている。
 細い箸も掴みやすくていい。秋葉原の箸勝本店で購入したという。日本の箸は外国の箸に比べて美しい。

蕎麦米のお通し 
 さすがに蕎麦屋さんだ。
・車蝦、頭
 天ぷらの最初は車蝦。最近の天ぷらの定番だけど、日本人は蝦が好きだ。二個ずつあるから、一つはつゆ、一つは酢橘と塩で頂く。
・栄螺、栄螺の肝
 栄螺の肝は初めてだった。苦い物は癖になるという。ビールや珈琲がそうだけど、肝もそうかもしれない。好きな人は好きだ。
・栗
 栗を甘皮ごと天ぷらにしてある。栗を煮たものを天ぷらは食べたような気がするが、生の天ぷらは初めてだった。当店のオリジナルらしい。揚げるのに時間がかかるという。栗はたいていの人が好きだろう。他の皆さかも歓声を上げていた。
・蕎麦掻
 静岡川辺産蕎麦粉の蕎麦掻。川辺ではお茶栽培が終わったら蕎麦栽培に入るという。石臼文化を南宋の国からもたらした円爾は静岡茶の祖でもあるから、茶と蕎麦は縁が深い。それに店主は静岡出身だから、愛する静岡農・海産物をよく食材にするようだ。
・蓮根
 蓮根は穴が美味しいと、たまに冗談を言う人がいるが、たまにそれを本気にする人もいる。
・鱚、真鰭、 
 魚の天ぷらは白身と決まっている。赤身、青身の魚の天ぷらは想像しただけで気持がわるい。なぜだろう。鱚、真鰭の天ぷらはほろりと最高に美味しかった。
・鮎
 鮎も定番だ。ご覧のように泳いている形がいい。頭からいくか、尾からいくか。
・穴子
 穴子の天ぷらも蕎麦屋の定番になった。二つに分けて切ってあるから、一方をつゆに、もう一方を塩で食べた。
・海栗の大葉巻き
 ウニを海栗と書くのはあの棘姿からであろう。しかし海栗の大葉巻きの天ぷらは栗のような味がした。だから「海栗」かとあらためて思った。今日の私の一番だ。
   そういえば、私が気に入っているフランス・チーズの「クロタンドシャヴィニョール」も栗のような味がする。二つ並べたらどうなるだろう♬
・松茸
 松茸の香りと味はたいていの日本人が好きである。やはり皆さんの歓声が上る。松茸の香りとサクッとして歯応えも今日の一番だろう。
・桜海老の掻揚げ
   天ぷらの締めは桜海老。

ざる蕎麦、蕎麦湯
  そして、天ぷら食って川辺のざる蕎麦で〆る。蕎麦屋だけあって、蕎麦米、蕎麦搔き、蕎麦切が揃った。
  もひとつ最後に蕎麦湯で〆る。

  それにしても、食べ物の進化というのは面白い。
  素揚げが江戸に入ってきたころ、誰かが衣を付けて揚げた。美味しかったから、それが江戸の天ぷらになった。
  私が初めて「蕎ノ字」にお邪魔したのは、この店が開店してまもないころ、日本橋そばの会の横田さんに誘われたときからだった。
  それから数回お邪魔しているが、いつも思うことは「蕎ノ字」の天ぷらは衣が上品でソフトだということだった。そこで今日、理由を尋ねてみたところ、やはりノウハウがあった。だから美味しいのだと納得した。もちろん他の店の厚い衣もいい、あれがつゆを吸うと、蕎麦も、天ぷらも、衣も美味しい天ぷら蕎麦ということになる。
  またまた、蕎麦湯も進展する。江戸に蕎麦湯が入ってきたころは文字通り蕎麦湯だけだったろう。それに誰かがつゆを足してみた。ホッとする旨さがあった。それが今の蕎麦湯になった。さらに近ごろは蕎麦粉を加えて、濃厚な蕎麦湯を作るようになった。
   料理は無限に進展してゆくものだ。これからも楽しみにしたい。
   ごちそうさまでした。

 江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる