第765話 「正月四日の客」

     

~ そば文学紀行 番外編 ~

 令和四年正月四日。
 上中里の「浅野屋」で北原久仁香さんの語りがあるから行こうと、友人の大松さんが誘ってくれた。彼女は、これまでも「そば」という曲が披露される新内の会があるよと声をかけてくれたり、琵琶奏者の川嶋信子さんを紹介してもらったことがある。その川嶋さんには幻の謡曲「蕎麦」を作曲していただき、江戸ソバリエ・シンポジュウムで演奏したりした。いえば大松さんは私の蕎麦文芸の顧問みたいな人だ。  
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第738話 伊那入野谷 夢幻蕎麦 - ほしひかるの蕎麦談義 - フードボイス (fv1.jp)

 さて、今宵の演題は、池波正太郎(1923~90)原作の「正月四日の客」。まさに一年に一度の今日だけしか聞けない物語ということになる。
 小池純一郎さんの三味線とともに、北原さんが語り始める。
  三味の糸も蕎麦切も細いためか、三味線の音は蕎麦屋の雰囲気によく溶けこんでいるように思う。
  話の舞台は江戸・本所のある蕎麦屋。店の蕎麦の評判はすこぶるいい。
  ところが店主は正月四日だけ、ねずみ大根の絞り汁を蕎麦つゆにたっぷりあわせた《さなだ蕎麦》を出している。それは口がひんまがるほどの辛さ、しかもこの日はこれ一品しかないというから、常客ですらこの日だけは顔を出さない。というのに、一人の見知らぬ男がふらりと店に入ってきた。
  店主が今日は《さなだ蕎麦》しかないことを言うと、じゃ、それを頼むと言って、出された《さなだ蕎麦》を息もつかずに食べ終え、実に嬉しげな満ち足りた微笑で「来年の正月四日にもまた来る」と言って帰って行った。
  翌年の正月四日、あの客が顔を出して、昨年亡くなった女房の位牌に線香をあげてくれた。店主は男に親愛の情を感じた。そして客は来年の正月は来られないが、再来年の正月四日にはまた蕎麦を食べに来ると言った。
  そんなとき、人生の恩人である御用聞きがやって来て「極悪非道の大泥棒を探してる」と言い、さらにある衝撃的なことを告げた。
  「・・・・!」
  実は、正月四日というのは店主の両親の祥月命日だった。この日、父母が大好きだった《さなだ蕎麦》を誰が何と言おうとも止めなかったのは深い訳があった。 
  店主の父親は盗人に殺され、母親は強姦後に撲殺されたのであった。
  幼い頃の心の傷をかかえている店主は、現れた正月四日の客に言った。 
  「丹那は盗みをはたらくときには女をおもちゃにするのですね」
  「なんだと・・・」
 「そいつを聞かなきゃ、私も黙っていたのに」
  「爺いめ!」
  大泥棒は潜んでいた役人に囲まれ御用となったが、蕎麦屋と大泥棒の会話が見事である。食通の池波だからこそ書けたのだろう。
  「人のこころと食い物の結びつきは思うように解けねえのだよ」
   「爺いめ‼」
  「《さなだ蕎麦》の味を忘れねえでおくんなさいましよ」
   「なにをいいやがる。人間の顔は一つじゃねえ。顔が一つなのは爺い、てめぐれえなものだ」

 傷をいだいて生きてきた蕎麦屋の店主は、やっと暴力と性暴行の犠牲となった両親の供養ができたのであるが、その最後の場が凄い。
   北原さんの全身で怒りを爆裂させるような迫真の語り。その爆裂の語りこそが、弱者は救われなければならないという人間愛のメッセージのように感じた。
   
 それにしても、正月四日の蕎麦屋での、正月四日の蕎麦屋の物語。なんという粋な演出かと感心しながら、啜る蕎麦は白く細い、腰のある江戸蕎麦だった。感動の、令和四年の蕎麦初めだった。

後談
  実は、上中里・田端界隈には浅野屋は何軒かある。
  一軒は今日の舞台、もう一軒の浅野屋は芥川龍之介や室生犀星が贔屓にしていたと近藤富枝(1922~2016)の『田端文士村』に書いてある。そのことを大松さんに話したら、「隣に座っている方は近藤富枝さんの妹さんよ」とおっしゃった。これは天の演出だろうか‼

参考
*池波正太郎「正月四日の客」(『にっぽん怪盗伝』)

〔エッセイスト ほし☆ひかる〕