第725話 御祝儀物 新内「そば」

      2021/07/16  

~ 蕎麦芸能音楽 ~

旧安田楠雄邸
 友人が旧安田楠雄邸で開催される新内節の会に誘ってくれたので参加した。その友人とは長い付合いになるが、ご主人は松尾芭蕉の研究家、ご子息は教師であり歌人、そしてご本人も裏千家の師匠をされているという文化度の高いこ家族であるが、驚いたことにご主人は手打ち蕎麦界では知られている池田史郎さんと高校時代の親友というから奇縁である。
 そのうえに、なによりその友人ご自身がプロデューサー的なところがあって、日頃から「あなたはこの能力があるからおやりなさい」みたいな言葉が時々聞かれるが、今日のお誘いも「新内の曲名は『蕎麦』なのよ、参加しなければダメよ」的なことだった。

  会場の旧安田楠雄邸(文京区千駄木)というのは、「最大の金融財閥」といわれた旧安田財閥の創始者の孫の邸である。「建物は書院造や数寄屋造の和風、内部は洋風応接間などを設けたいわゆる和洋折衷型である」と案内書に記してあるが、現代から見れば全て和風である。
  こんな具合だから、友人は仲間と一緒にボランティアで保存活動をしっかり行っているわけである。
  各部屋にはまた別の知人が生けた花が飾ってあった。流派は「古流」だという。古流というのは江戸流の生け花ということぐらいのことは聞いたことがあったが、実際に拝見するのは初めてだった。歴史的建造物にはよく合った渋味のある生け方のように見えた。
  それから、蕎麦に関係しているとやはり気になるので台所を覗いてみた。木製冷蔵庫、ガスレンジ、銅の流し台など当時は「アイルランド型」のキッチンと言ったらしいが、これも今やしっかり和風である。
 古い建物が好きだったソバリエで墨線画家の伊嶋みのるさんがいればすぐ描いただろう。

☆御祝儀物新内「そば」
 さて、今日の新内節もそうだが、たまに肥前節、土佐節、豊後節、義太夫節、常磐津節、富本節、清元節などの江戸の音楽の名前を耳にするが、何が何だかよく分らない。しかしそれらはみんな浄瑠璃節からの流れだから、みな同じ仲間だということも聞いたことがある。そのなかで新内節だけは舞台演奏から離れ、花街などの流しとして発展していったのが特徴だという。よく古い時代劇映画では新内流しが登場し、三味線を爪弾く音がスクリーンに哀調を漂わしていたが、今はあまり見られなくなった。   
  今夕の会は、その流しでの登場という演出で始まった。枯山水の庭園に三味線の爪弾きが流れる。昔の映画のようだった。
   最初の曲は、師匠の岡本宮之助+文之助による「暁烏」。
   宮之助師匠のお話によると、新内節には1)義太夫節から借りた段物、2)遊里や心中を描いた端物、3)滑稽なチャリ物があるという。
   うち、この「暁烏」は江戸三河島で起きた情死事件を、吉原の遊女浦里と春日屋時次郎の情話として脚色した長い物語りだという。 「暁烏」が始まったら、すぐ雨が降り出した。庭には栢や柏などの大樹が茂り、石塔や庭石が敷いてある。幸い風がないので、まるで三味線の音に合わせるように木の葉や敷石に雨が落ちる。三味線というのは〝入梅の音楽〟かと思うほどよく合っていた。

 また、新内には特別に御祝儀物というのもあるそうだ。それが次の曲の「そば」である。岡本宮之助師匠の、そのまた師匠である岡本文弥(1895~96)の作らしい。
   聴いていると、台詞が面白い。「細く長く、蕎麦めでたや」とか、「名月や 先蓋とりて 蕎麦をかぐという芭蕉の高弟嵐雪(1654~1707)の句、あるいは深大寺の挽きぐるみ晦日蕎麦、引越蕎麦、年越蕎麦、新蕎麦、敦盛、ぶっかけ蕎麦、鴨なんばん、しっぽく蕎麦、天麩羅蕎麦、あられ蕎麦、卵とじ蕎麦、花巻蕎麦などがポンポンと出てくる。
   入りの「細く長く、がなぜ めでたい? 太く長いがいいじゃないか」なんて野暮なことを言っていけない。「長い麺はめでたい」というのが主体であって、「太く短く」に対する反語を遊び感覚で言っているだけである。また松尾芭蕉は「江戸蕎麦と蕉風俳句は江戸の水のよく合う」と言った人であるから、嵐雪も蕎麦に関心があったのだろう。
   それから、ぶっかけ蕎麦、鴨なんばん、しっぽく蕎麦、天麩羅蕎麦、あられ蕎麦、卵とじ蕎麦、花巻蕎麦、これらは今、全国の蕎麦屋さんの定番になっているが、元々は江戸時代の江戸の蕎麦屋が考案した江戸蕎麦の数々である。それが分っていないとこの曲の真意は伝わらない。つまりこの御祝儀物の「そば」は江戸蕎麦讃歌なのである。

 文弥師匠は江戸蕎麦というものがよく分っていたのだろう。
   彼に、こんな粋な句がある。

 そばや出て またよりそいて 春の月

 二人で蕎麦を食べて店を出て、またお互のに寄ったら、春の月が出ているという幸せ感を粋に詠ったのだろう。

 全国には蕎麦芸能音楽がたくさん残っている。その代表格は鹿児島の「蕎麦切り踊り」や会津の「蕎麦口上」である。
 http://www.edosobalier-kyokai.jp/pdf/hoshi_kagoshima.pdf (参考)
 今日の新内の御祝儀物「そば」も江戸蕎麦讃歌として大事にしたいと思う。

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写真:しっぽく、あられ、鴨なん、敦盛、玉子とじ

〔江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる〕