第768話 三瓶山の《釜揚げそば》
「蕎麦はとりわけ江戸を盛美とす」(『絵本浅紫』)
といわれる「江戸」に足りないところがある。それが蕎麦の生産である。
だから江戸ソバリエとしては産地のことが気になるので、その動きに耳を澄ましている。そんななかで最近聞こえてくるのが、「GI保護制度」という言葉。
何だろうと思っているところに、GI産品展示会(1/19,ホテルニューオータニ)の案内をもらったので行ってみた。
会場に置いてあった資料によると、GI:Geographical Indication)とは「地理的表示」のこと。地域で育まれた伝統を有して、その高い品質などが生産地と結びついている農林水産物や食品の名称を〝知的財産〟として保護する制度のことだという。登録されると、たとえば日本はEUやイギリスとの間で経済連携協定(EPA)が発効し、GIの相互保護が開始する。これによって日本で登録されているGI産品は相手国でも保護対象となるらしい。
たしかに、ネットなどでもそのようなことが紹介されてあるが、このような場に来て食品に囲まれてみて、やっと全体像がつかめたような気がする。
そのGI産品は、現在約100品ちかく登録されているが、麺類は《対州そば》《三瓶そば》《伊吹そば》《三輪そうめん》が登録されている。
そのうちの《対州そば》は、私がよく行く総本家小松庵などで使用しているし、《伊吹そば》は近江出身のソバリエさんから詳しい話を聞いているが、今日は島根の《三瓶そば》が出品されていた。
展示してある《三瓶そば》の玄蕎麦は小粒である。在来種はだいたい小粒が多い。尋ねてみるとやはり「在来」とのこと。江戸中期ごろには、標高約1100㍍の三瓶山で栽培していたらしい。前に京都の「晦庵河道屋」さんから頂いた『蕎麦志』という史料にも「安濃郡三瓶山ノ産ヲ佳トス」と記載されているぐらいだから、昔から知られていた蕎麦である。
その《三瓶そば》を帰り際に頂いた。楽しみだが、どうやって食べようか。
基本的には蕎麦の試食には《ざる蕎麦》が一番いい。しかし島根には《釜揚げそば》という郷土蕎麦があると聞いているから、せっかくなら島根流にしようかと思うが、まだ《釜揚げそば》なるものを食べたことがない。ただ私の故郷佐賀では、冬は《釜揚げうどん》をよく食べていたから、だいたいは分かる。
そういえば、志賀直哉が『釜揚げうどん』というエッセイを書いていた。それを読むと、志賀直哉は《釜揚げうどん》用の定紋付き容器をわざわざ作らせているから、面白い。《釜揚げうどん》は地味なようでも好きな人がいるのだなと感心する。
そんなわけで《釜揚げそば》にしようと、冷蔵庫にある小葱を切って海苔を刻み、鰹削り節のパックを開けて薬味の準備、さらにもう一つ七味も並べた。江戸蕎麦の薬味は練馬大根、千住葱、奥多摩山葵を少量だけ使うが、昔流の蕎麦の食べ方は薬味の種類が多い。だが今日の冷蔵庫にはこれしかないから、これでいこう。
それから、湯を沸かして茹で上げ、麺を器に移してから茹で湯を注いだ。
自己流だが、まあいいだろう。さっそく麺だけを啜って蕎麦湯を一口味わい、それから蕎麦つゆと薬味を入れて、ほっこりと《釜揚げ》のおいしさを楽しんだ。和食には〝温味〟と〝涼味〟という特別な味覚があるが、《釜揚げそば》には温かな美味しさがあると思う。
《参考》
『蕎麦志』
志賀直哉『釜揚げうどん』
〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕