第779話 一東菴の《三角蕎麦》
2022/05/11
~ 蕎麦文学紀行-番外編 ~
最近、鶴岡越沢の《三角蕎麦》のことをよく耳にする。
そんなとき、江戸ソバリエの小池ともこさんと齋藤利恵さんから、「一東庵さんに三角蕎麦をお薦めしたら、さっそく購入してもらいましたので、食べに行きませんか」と誘われた。もちろん二つ返事でご一緒した。
先ずは蕎麦屋定番の《玉子焼》・・・、玉子焼は江戸名物だったはずであるが、最近は蕎麦屋の定番になったようだ。ただ東京流は砂糖味が効いているが、大阪流は隠し味ていど。それに《馬刺し》《鴨煮》、私は鴨が好き。鴨料理もいろいろで、焼く、煮る、燻製、鴨のソーセージなどがあるが、当店は煮る方。
さて、お目当ての蕎麦切、まずは《対馬在来》、島根《佐比売在来》そして鶴岡《三角在来》、おまけに《○○在来》。その○○は秘密でまだ明かしたくないとのことだが、そこがまたミステリアスでいい。
かつて訪れた対馬の家の石屋根や石塀、出雲の古代遺跡、鶴岡の街の光景が口の中に広がる。
それにしても一東庵さんの蕎麦はスゴイ。蕎麦そのものの風味、味わいに特化して成功した店だと思う。
数年前、湊かなえさんの『リバース』という小説を読んだとき、蕎麦の時代転換が描かれていた。すなわち、これまで蕎麦とは喉越し、腰のよさが蕎麦の美味しさの基準だと思っていたが、蕎麦そのものの味を味わうとは!という件である。つまり蕎麦の楽しみが触感から味覚へと変化したことを述べられていた。
こうした変化についてはソバリエ事業を始めてから10年経ったころから現れはじめた。
だから『蕎麦春秋』誌vol.60で紹介した桐野夏生さんの『魂萌え!』でも蕎麦界における時代転換について述べたが、湊かなえさんの小説も然りである。文学がすごいと思うのが、こういうときである。
ところで、細かく言うと〝喉越し〟というのは新しい言葉である(農業・食品産業総合技術機構:早川文代)。それまで蕎麦切は〝喉のすべりがいい〟と言っていた。本来、喉越しというのは炭酸飲料など水が喉を通るときの表現語である(九州大学:都甲潔)。だからビールのCMで使われた。しかし人間は何度も何度も聞かされると、その言葉だけが脳に棲み着いてしまう。そんなわけで、固形物の蕎麦も「喉越しがいい」と言うようになってしまった。
そんなことを思いながら、『蕎麦春秋』誌vol.61の原稿『吾輩ハ猫デアル』の紹介文では、「蕎麦は喉のすべりがいい」と書いた。乞、ご期待♪
〔江戸ソバリエ ほし☆ひかる〕