第811話 幻の高級料亭「百川」
2022/10/27
9月○日17時、友人と日本橋「利休庵」で会った。
二人とも《天もり》を注文した。蕎麦切の線もきれいだけれど、驚いたのは《天麩羅》の色の鮮やかさだった。こんなに色が鮮明に仕揚がっている天麩羅は初めてだった。帰り際、いつも帳場に座っている店主にそれを伝えたら、きちんとお礼を言われた。店主とは以前に日本橋の蕎麦を語る座談会に一緒に出演したことがあるが、いつもいつも丁寧な方だ。
それから、まだ少し時間があったので、目の前にあるミカドでコーヒーを飲んでから友人と別れた。
実は今夕19時からお江戸日本橋亭で柳家権之助師匠の落語会がある。
師匠の奥さんがソバリエさんだから、たまに楽しみに行く。予定だと今宵は江戸の高級料亭「百川」の口演ということになっているから、楽しみだ。
その日本橋亭へ利休庵、ミカドから行く途中に福徳稲荷神社がある。宮司さんは私と同じく北部九州出身だから、親しくさせていただいている。この辺りに江戸時代の高級料亭「百川」があったというが、実在した高級料亭を落語の話材にすることは珍らしい。
落語というのは、明治政府が江戸文化を否定するために擁護した庶民娯楽である。否定するというのはどういうことかというと、たとえば講談、浪曲などは江戸時代の英雄が活躍して拍手喝采されることが多い。その点、落語は熊さん、八っつぁんや、名前ではなく「大家さん」としか呼ばれない、いわばいい人で庶民的な人ばかりが登場するから、政府にとってはまことに都合がよかった。
というような屁理屈を抜かすのは落語に失礼になるかもしれない。
とにもかくにも、権之助師匠の身体を張って熱演する「百川」は面白い。おかげで、江戸時代の日本橋の河岸や高級料亭の景色が見えてきて、いい話を聞いたと満足しながら帰路についた。
今日も権之助師匠の落語会にはたくさんのソバリエさんが見えていた。大体が二次会へ行かれたが、私は今晩は失礼した。今週の土・日から始まる江戸ソバリエ認定講座の準備が溜まっていたいたからである。帰宅してからテレビをつけ放しにしながら雑務を処理していたら、何と画面に「百川」が出てきた、驚いて手を止めると、黒船で史上有名なペリー提督を接待した「百川」の本膳料理を再現したという内容だった。その内容は史料でほぼ知っていたが、再現した料理を映像で見るのは初めてであった。お蔭で今宵の権之助師匠の「百川」の景色に、再現料理を重ね合わせることができた。
幕府のペリー提督接待は1854年3月8日だった。招かれざる客とはいえ食外交は尽力しなければならない。幕府は「百川」に命じて、本膳、一の膳、二の膳、三の膳を振る舞った。ペリーは昨年、琉球王国にも押しかけていた。琉球王国も迷惑に思ったがしかたなく食外交を果たした。料理は豚肉を中心にした琉球料理だったらしくペリーは満足した。しかしそのペリーは肉が出ない日本料理が不満だった。
琉球も、日本も得意の料理で誠意をもって接待をしたのに、肉料理なしの明治政府は反省を余儀なくされた。
よって、日本は1871年(明治4年)、明治天皇が肉食解禁令を出した。天武天皇が675年に肉食(家畜)を禁止してから1200年、天皇家の家訓は書き換えられたのである。よく日本は仏教国だから肉食を禁じていたというが、同じ仏教国の中国も朝鮮半島もそんなに厳しくない。日本の場合、天武天皇の家訓が守られ続けられることによって日本国の家訓になったよううなところがある。
しかし、幕末の田舎志士たちによる江戸都市文化の否定、そして維新政府の脱亜入欧策によって、人々は次第に「洋食が一流、日本食は二流」の認識をもたされるようになり、その流れのなかで誇り高き和食の高級料亭は倒産し、「百川」も歴史舞台から消えた。
というのが、「明治の政変」ならぬ「明治の食変」といったところだが、最近はこの食変は正しかったのかと疑問視されている。
幻の「百川」の例は、幻の和食、幻の日本とならぬための反面教師と心得た方がよいのかもしれない。
〔エッセイスト ほし☆ひかる〕