第829話 深大寺で《節分蕎麦》
2023/02/26
深大寺「門前」の浅田さんから「深大寺在来蕎麦が少しあるから、寺方蕎麦研究会の皆さんで、《節分蕎麦》としていかがですか」とのご提案も頂いた。加えて「今年は、天台宗深大寺で三年ぶりの豆まきがあるから、ほしさん、豆まきをやりませんか」とのお誘いも頂いた。
2月3日(新暦)の節分に深大寺で豆まきをして、その後で「門前」さんで《節分蕎麦》を食べる。
こんなにもどっぷりと、伝統の食と行事を体験できる機会はめったにない。
さっそくメールで江戸蕎麦(旧寺方蕎麦)研究会の皆さんに声をかけた。
今年は寒い日が続いている。明日から立春なのに春はまだだという、その日、裃を付けて出番を待った。やがてお寺の鐘を合図に豆まきの一行は境内をお練りして、大師堂で太鼓に合わせた般若心経の読経と護摩を浴し、それから豆まきの舞台に立った。
節分とは、立春、立夏、立秋、立冬の前日をいうが、一般的には立春(旧暦一月十四日)の前日(旧暦一月十三日)を指している。
「福は内」と言いながら、一所懸命豆をまいた。ただし「鬼は外」は、ここ深大寺では言わないという。第18代天台座主の元三大師が鬼になって疫病を退治したという有難い伝説からであるが、私はこれも「福対鬼」という対立を嫌う日本の仏教思想の表れではないだろうかと思ったりした。私の家の近くの雑司ヶ谷鬼子母神は、元は鬼だけど仏の教えで優しくなったから、「鬼」の字の点(角)を外して書くようになったというくらい、日本人は優しい。
とにかく「福は内、福は内」と叫んでいるうちに、自分自身が「福は内」の気分になってくる。それは豆をまく人と福を願う人の気持ちがひつとになったような、よい体験だという気がした。
終わってから、小林さん、小島さん、高橋さん、宮本さんが待っている「門前」さんへ行った。
昔は、節分の日に、清めの蕎麦を食べて晴れやかな気持で立春を迎えたらしい。とくに京阪では節分に年越蕎麦を食べることが多く、京都の吉田神社の追儺式では河道屋の蕎麦が人気だったと聞いている。
それで今日、「門前」さんで《節分蕎麦》として頂いたのは、貴重な深大寺在来蕎麦、しっかり締まって美味しい蕎麦だった。
今年は、深大寺さん、門前さん、そしてソバリエの皆さんに、何かよいことがありそうな気がする。
〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕
写真:宮本学様