第853話 日本初の外食店の話

     

 《奈良茶飯風おこわ》というのを食べに行こうと、ソバリエ神奈川組の皆さん(高田在子様・赤尾吉一様・一ノ瀬静男様)と京浜川崎駅で待ち合わせた。
  お店は旧東海道沿いにある「茶寮 東照」という和菓子屋さん。江戸時代の川崎が東海道五十三次の二番宿だったことから、当店は川崎宿由来の商品が多いとのこと。
  その一つに十返舎一九作の『東海道膝栗毛』や長谷川雪旦絵の『江戸名所図会』が紹介している川崎宿「万年屋」(「万年屋」跡:川崎市本町2-11)の《奈良茶飯》を現代版として再現した《奈良茶飯風おこわ》がある。
 再現のきっかけは、平成13年(2001)に開催された宿駅制定四百年記念「大川崎宿祭り」のためだった。
 という話を耳にして気になっていたが、てっきり平成13年の「大川崎宿祭り」限定の食とばかり思っていた。ところが某誌のT記者さんから、今も続けて供していると聞いたので、神奈川組の皆さんに声をかけさせていただいて駅に集合した次第である。
 もともと川崎宿の「万年屋」というのは、明和年間(1764~72)には一膳飯屋だったらしいが、店の《奈良茶飯》が川崎大師の参詣客の間で人気となって宿場一の茶屋になり、やがては宿泊もできる旅籠となったらしく、幕末にはアメリカ駐日総領事のハリスが宿をとり、また明治10年には皇女和宮も一泊したと伝えられている。

 私が、《奈良茶飯》に興味をもっているのは、その「商い=一膳飯屋」が日本初の外食店だからである。
 最初に、「奈良茶屋」という一膳飯屋ができたのは、浅草待乳山聖天の門前だった。頃は江戸初期の明暦大火後のことである。初めは《奈良茶粥》だったらしいが、江戸っ子が粥を好まなかったため、《茶飯》にしたといわれている。するとこれが聖天様の参詣客に受けて、いつしか川崎宿まで広がったようである。
 しかし、これは単に《奈良茶飯》が名物になるほどに売れたというだけの話では済まない。『守貞謾稿』が聖天山下の奈良茶は「皇国食店の鼻祖」と明記しているから大変である。著者の喜多川守貞は関西出身であるため、東西の食文化に通じた人物である。だから彼が「待乳山下の奈良茶飯屋」を日本外食史上初の外食店としたのは間違っていないと思われる。つまり日本人は・・・先ずは江戸っ子ではあるが、江戸初期からお金を払って飯を食うことを始めたということになる。
 人々がそのような行動に出るには、時代背景が関係する。
 ❶貨幣が信用されるようになったこと。❷そのために平和な社会が訪れていたこと。❸人々がより多く活動できる新都江戸が誕生したことなどによって、商品と貨幣の交換が浸透していったのである。
 ❶については、現代人にしてみれば驚くべきことだが、それまで日本の貨幣は日本人のなかで信用されておらず、宋銭が輸入されて日本国内で流通していた。それが豊臣政権時から自国の貨幣をという考え方が生まれたが、派手好みの秀吉は大判を作ったため、流通せず記念の贈答用にとどまっていた。それを徳川幕府は流通できるようにと簡便な小判にした。
  だから、日本の本格的経済活動は徳川政権下で始まったとみてよい。その流れから外食店が誕生し、食べ物は商品となり、蕎麦を商品とする蕎麦屋も産声を上げたのである。
 余談だが、一部の蕎麦通の間では蕎麦屋の初めは大坂城築城の折に蕎麦屋ができたと唱える方もおられる。しかし見てきたように「商品と貨幣の交換」という経済行為が庶民の間にみられなかった大坂城時代では無理である。それに築城は秀吉が大名に命じて工事が行われていた。仮に蕎麦屋らしきものがあったとしても、それは請け負った大名の賄いであって、蕎麦屋という商いはまだなかったと考えた方が理に適っている。
 そのようなわけで、食べ物が商品となり、それが購入されるようになると、商品に完璧さが求められる。そこで作る者が専門化する。蕎麦界でいえば蕎麦打ち職人の誕生と、彼らの店を支える産業群(農業、製粉業、醤油業、鰹節業、食材業・・・)が江戸中期に育っていった。
 この専門化と産業群という図式によって、江戸蕎麦は盛美を謳歌するまでになったのである。
             〔専門職×産業群

 しかしながら・・・、現代においてこの図式は健在であろうか、もしかしたら商品化経済が行き過ぎて販売する企業の力が肥大化し、作り手である職人の影が薄れているのではないだろうかと、危惧が過ぎる。
           
 さて、料理研究家西本薫子氏考案だという「東照」の《奈良茶飯風おこわ》は、粳米と糯米に、栗と炒った大豆、そして粟や小豆を加えて、お茶で炊き上げてあった。いえば先刻の危惧も不要なくらい、伝統と革新の均衡のとれた、口福の現代版《奈良茶飯》だった。

 ごちそうさまでした。

《参考》
 白井聡『武器としての「資本論」』

                〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕