第854話 信州そば発祥の地 伊那

     

☆そば博物館 
 令和5年9月2日から、長野県高遠町に「そば博物館」が開館することになった。
 そば博物館の推進者は信州大学名誉教授井上直人先生、恩師氏原暉男先生から受け継いだ夢であるという。
 いろんなご縁と経緯から、ソバリエでは稲澤様、笠川様、新嵜様とほしが展示品の一部を寄贈することになった。そのため、9月1日のオープニングセレモニーに、稲澤、新嵜と小生の3名がご招待された。
 稲澤さんは前日から高遠へ入り、すでに運転免許証を返却している私は新嵜さんの車に同乗させてもらうことにした。
 その日、西武新宿線の拝島駅で7時半に待ち合わせ、中央高速道を走り、途中の諏訪湖で休憩して、伊那から高遠へ入った。諏訪湖は久しぶりに見る光景であった。
 高遠城下は、昨年11月に来たばかりであったから、街並みは変らない。博物館は御城下通りの八十二銀行と十一屋酒店の間にある。旧岡部邸の蔵を改造して造ったという。その蔵に井上先生の企画監修のもと、在来種の種、石臼、そば打ち道具、そば猪口、箸など2000点以上が展示されてある。
 運営は、「信州そばNo.1の地伊那プロジェクト」がする。このプロジェクトは、「信州そば発祥の地伊那」から、さらに上を目指し、「伊那を信州でNo.1の地」にすべく活動を続けており、これまで入野谷在来の広報やそば打ち講座などを開催してきた。そして「次は、そば博物館を」というわけである。
 井上先生は、高遠そば大学講座と連携して日本一のそば博物館にしていきたいとおっしゃっていた。
 オープニングセレモニーでは、伊那市長白鳥孝氏、衆議院議員・自由民主党蕎麦振興議員連盟会長宮下一郎氏らが駆け付け祝辞を述べた後、テープカットが行われた。そば博物館は全国でも珍しいため、そば界からは大いに期待されている。自由民主党蕎麦振興議員連盟は、この6月に設立されたばかりだが、私も設立総会に参加していたから、高遠であらためてご挨拶をした次第である。

☆蕎麦 きし野
 出発前に、氏原むつこさまからメールを頂いていた。セレモニーが終了するのは昼過ぎだというのに、事務局は食事のことも考慮していないようだから、一緒に蕎麦を食べに行きましょうと。
 しかしイザ行きましょうということになったら、ワッと10名ぐらいが指に止まったので、むつこむさまが、゚じゃあ「蕎麦きし野」へ」と指示され、各々は車で高遠城近くの店に向かった。
 店では、《胴搗き蕎麦を高遠》を頂いた。
 《胴搗き蕎麦》というのは、挽臼ではなく、蕎麦の実を搗臼で搗いて打った蕎麦切であり、蕎麦そのものの味がする。
 また《高遠》とは出汁や醤油が充分ではなかった時代の汁に、焼味噌を溶かしたり、辛味大根御しを混ぜた古式の蕎麦汁である。
 これは一見、古式蕎麦風である。「風」というのは、白磁の蕎麦猪口こそが江戸になって登場した新しい器なのである。しかも蕎麦猪口であれば啜って食べる。啜るのも江戸になって生まれた新しい食べ方であった。だから江戸蕎麦以前の〝古式蕎麦風〟というわけである。
 仮に《胴搗き蕎麦》を少しだけ木椀に入れて、《高遠》の汁を和えたとすれば、それこそ正真正銘の〝古式蕎麦〟と呼べるものである。しかし、それでは物好きな客しか来店しないだろう。それより多くの客は新しさを求めてやって来るが、それでよいのだ。そう考えると、いま目の前にあるお蕎麦が商品としての価値がある。
 だからだろうか、明日9/2にはテレビの『人生の楽園』に岸野ご夫婦が出演されるという話だった。
 
 さて、高遠と別れの段になった。
 帰り際にむつこさんから、イタリアのトマト「サンマルツァーノリゼルバ」と「シシリアンルージュ」をたくさん頂いた。あまりにも多かったので新嵜さんと分け合ったが、いつもいつも気遣いのむつこさんには恐縮する。
 帰路は、高遠から茅野への152号線をとった。いわゆる古東山道である。東山道は、大和政権が東国攻略のために4~5世紀ごろ開いた道である。
 新嵜さんは、茅野を過ぎた諏訪南インターから、20世紀にできた中央高速道路に入った。
 そして私が自宅へ着いたのは20時だった。
 明日は、第18回江戸ソバリエ認定講座・耳学開講の日だ。また新しいソバリエさんたちに会える。楽しみだ。

【そば博物館】:現在のところ、そば博物館の常時開館までにいたらないため、お問い合わせいただきたいとのこと。
        住所:伊那市高遠町西高遠1695
        お問い合わせ:信州そばNo.1の地伊那プロジェクト事務局 杉山祐樹
        Mail sugiyama@tamaki-ya.jp 

《参考》
『そば文学紀行』❻「謡曲 蕎麦」(『蕎麦春秋』vol.64)

                〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕