第260話 ミレー〔種を播く人〕

     

【左山梨県立美術館蔵、右ボストン美術館蔵】

~ 双子の再会 ~

ミレーの〔種を播く人〕(1850年画)を観ていると懐かしさとか、心の温もりといったものを感じさせてくれる。そのせいか日本でも大人気の絵画の一つである。
ところが、この絵は2枚ある。1枚目は山梨県立美術館、2枚目はボストン美術館。イヤ、詳しくいえば3枚目もある。ただし、それは個人の所蔵なので画集でしか見られない。
そんなわけで世に〔種を播く人- 3兄弟〕が存在するのであるが、とくに前の2枚は「双子の兄弟」といっていいほどそっくりである。
流行の名画を材にしたミステリー小説風にいえば、「なぜミレーは同じ絵を2枚も描いたのか?」とか「ミレーの隠された暗号!」などと興味は尽きないところであるが、彼は少年時代から絵が大好きで、暇さえあれば描いていたというところからすれば、単に「もう一度描きたかったから描いたに過ぎない」というところかもしれない。現に、ミレーには〔牛に水を飲ませる農婦〕(1863年頃&1873-74年画)など、2枚作品が幾つかある。
その、双子のうちの一人がボストンからやって来て、丸の内の三菱一号館美術館で待っているという。
というわけで、いそいそと出かけて行って〔種をまく人〕の前に立った。
やはり、他の絵とちがって、圧倒的な存在感がある。他のお客さんも暫く絵の前から動かない。
だが、ここでフッと思った。せっかくアメリカから日本へやって来るのなら、いっそのこと「山梨県蔵とボストン蔵の二つの絵を並べて展示してほしい」してほしかった、と。しかも今年は生みの親ミレーの没後200年だというから、当の双子だってそう願っていたのだろう。
だが、残念ながら、そういう機会はなさそうである。
仕方ないから二つのポスト・カードを並べて我慢した。
1枚はかつて山梨県立美術館に観に行ったとき買ったカード、もう1枚はこの度の展示会場三菱一号館美術館で買ったカードだ。もちろん、写し方、印刷技術の違いから、正確な比較にはならないだろう。
しかし、どうだろう。こうして並べてみると、双子の兄弟が、いかにも「この日を待っていたんだ」というように仲良く種を播いているではないか。
ただ、よく見てみると、どうもボストン蔵の種を播く農夫の方が肩や太股あたりの筋肉ぐあいが逞しい。だから種を播く腕にも力が入っている。
となると、次なる疑問は、どちらが兄で、どちらが弟か? つまりサロン(官展)に出展した山梨蔵の方が兄か、それともボストン蔵の方なのか? と気になるわけだが、それは「なぜ、ミレーはボストンの方を逞しく描いたのか?」の解明にもつながり、当時のミレーの心境にも迫ることができるというものだろう。
ともあれ、双子の夢の再会 ― いつかは実現してほしいものである。

〔エッセイスト ☆ ほしひかる