第266話 御喰初

     

【金昌寺慈母観音、スサノオ神社絵馬、聖母子像、御喰初

キリストのお蔭か、ダ・ヴィンチのせいか、西洋の「最後の晩餐」という言葉はかなり有名であるが、日本人にはそういう認識はあまりない。
代わってあるのが、「御喰初」である。敢えて対照的にいえば、「最初の朝食」といったところであろうか。子供の成長と自立を願って生後100日目あたりに行う儀式である。そんな慣習が外国にもあるのかどうかは知らないが、日本の親たちは昔から、子の健やかな成長を願ってやまなかった。そのため各地に「子育観音」とか「慈母観音」といったものがあることは、すでにご承知だろう。
すると、「イーヤ、その手のものは西洋にもありますよ。たとえば『聖母子像』とか」とおっしゃる方もおられるだろうが、「イーエ、それは主キリストと生母ゆえに聖母となったマリアであって、日本のような普遍的な母子像ではありません」と答えたくなる。
ともあれ、どんな人間も、どんな動物も、赤ちゃんというのは実に可愛いらしい。見ているだけで心が癒される。よく公園などで、数人の保育園児たちが遊んでいる姿を見かけることがあるが、それはよちよち歩きの雛のようで、つい足を止めて見入ってしまう。
ましてや、血を分けた子や孫はなおさら愛おしい。いま放映中のNHKの大河ドラマではないが、晩年になって生まれたわが子のために秀吉がクレイジーになり、天下動乱を招いたという歴史は、天下人としては失格かもしれないが、人間らしい話であると、最近生まれた可愛い孫の顔を見ていると、肯いてしまう。

その孫の「御喰初をやるから、」と娘から連絡があった。ジジババはまるで初デートのようにいそいそと出かけて行った。
テーブルには、婿さんと娘が作った御喰初用の料理が並び、孫はそのテーブルの前にチョコンと座らせられる。当人は何のところかさっぱり分からないだろう。だからご馳走よりか、「アタチ、何をさせられているノ?」とママやパパの顔をジーッと見つめている。すると「その姿が可愛い」とパパママやジジババははしゃぎながら、写真におさめる。
実は、こんな幼ないときというのは人間誰しもあったのであるが、自分の時間というものは自分の中にあるため、自分の事はなかなか分からない。代わって、側から見てくれるのが両親である。それを愛情という。
その眼差には愛があるから、子や孫は、たとえ目鼻が小さくても可愛い、愚かでも何でも可愛い。アバタも笑窪というわけだ。
そう思って「お~、可愛い」と抱き上げると、泣いてしまう。まだママ以外の人間はダメのようだ。それでも、ジジババはメゲズニ「この児は賢い。ママ以外の顔がチャンとわかっている」なんて手放しで褒めてしまう。赤児というのは記憶日数が短いため見慣れた顔しかダメだということがわかっていてもだ。
ト、まあ、平凡で、人並みの幸せというものを味わうことのできるのは、たいへんありがたいと思える御喰初の日であった。

〔エッセイスト ☆ ほしひかる