<コンビニ創業戦記・附伝>「鈴木貞夫言行録」第8回

      2017/01/19  

第四章「コンビニ時代」(その2)

――1976年(昭和51年)~2006年(平成18年)--42歳~72歳

《サンチェーン》ーーダイエーグループ時代

―ー1980年(昭和55年)9月~1989年(平成元年)2月--46~55歳

サンチエーンがダイエーグループ入りする経緯については、≪サンチエーン創業物語≫(第18回第23回第24回)を参照していただきたい。

ダイエーグループ入りが決まると、すぐに社名を「サンチエーン」に変更する。そして、創業当初の素朴な店舗サインやロゴマーク、店舗ファザード外観やイメージの向上変革に取り掛かった。

「シティコンビニエンス」を基本コンセプトに、サンチエーンの新しいイメージ戦略を練り上げ、2年ほどの時間をかけて完成したのが、下図の店舗ファザードである。

そのいきさつも既に述べているので、ここではふれないが、ともあれ私の琴線に深く響く出来上がりであった事は間違いない。

(店舗ファザードを「シティ・コンビニエンス」に一新)

『社内報・月刊流通レーダー』

サンチエーン社内報は、週刊から月刊に変更したのは、80号からである。

ページ数も倍増し、時々の全体方針や出店情報などのほか、社員の投稿文や人事・慶弔情報など、内容も充実させることができた。

(社内報・「月刊流通レーダー」126号・132号)

『SV社長塾の開催』

毎月の全国SV会議の場で、「SV社長塾」と称して、毎回その時々の方針や課題についての私の考え方を話する機会を設けたのは、昭和58年ごろのことである。

その内容を社長ブリテンとしてまとめて社内配布した。いま改めて読んでみると、未熟な論理立てではあるが、サンチエーン建設にかける自らの志と人材育成への情熱を、何とかSVたちに伝えたいとの熱意だけはひしひしと感じるのである。

「サンチエーンSV社長塾」は、DCVS発足の直前の第50回まで開催した。一例として「第6回社長塾ブリテン」の概要を紹介したい。

《 【コンプリートストア創りについて】

サンチエーンの一店一店を「コンプリートストア」に創りあげていくために大事なことは、やろうとする意志、実際にやる実行力である。それが前提にあれば、人間の社会に、不可能はない。やれば出来るということである。

そして物事はやって見なければ分らない。どんなに机上で議論し、評論をしてみても現状は変わらない。

現状を変えるのは行動によってのみである。

我々には手本がある。やって見せている手本が沢山ある。

同業でいえば「セブンイレブン」、他業種でいえば「マクドナルド」など、やって見せている手本が沢山ある。

創業以来のサンチエーンの経験の中でも、優秀な店の手本が自分たちの目の前に多くあるのだ。

皆さんSVさんの中にも、手本となる成果を上げ続けているSVも多い。

一人一人が、そういう「手本から学ぶ」という姿勢を持てば、おのずから道が開けてくる。

吾々は創業以来、CVS業界に於いて、量も勿論だが、「質でこそ日本一になりたい」という目標・夢を掲げている。

ライバルは強敵だから、簡単にはいかない。長期的な戦いである。

皆さんは、そういう大きな夢のある闘いに参加しているのだから、折角の大チャンスを活かしてもらいたい。

そのためには、やろうとする意志と気力、実行力を一人一人が高めなければならない。

サンチエーンの最重点課題は、一店一店の「コンプリートストア創り」である。

「コンプリートストア創り」とは一言でいえば、「お店のレベルを上げていく努力を積み重ねる」ことである。

具体的な重点努力項目は、サンチエーン店の基本スロガーン『品・鮮・清・笑』を実践し、磨きあげ、習慣化し、『店風』として定着させることである。

『品』とは、それぞれのお店に適合した商品の質と品揃えの追求であり、『鮮』とは、最適鮮度の追求であり、『清』とは、清潔、整理整頓、定物定位の追求であり、『笑』とは、固定客つくりのフレンドリーサービスの追求である。

これを積み重ね続けることである。

『品・鮮・清・笑』については、日頃から繰り返し強調しているところであるが、サンチエーンは、これを科学的に、システム的に、そして自動的に追求し続けていける企業文化を築きあげたいと熱願している。

そうすればサンチエーンは、必ず日本一質の高いコンプリートストア・チエーンを実現できることは疑いないと断言する。

重要なのは、「積み重ねの実行」である。つまり、「知行合一」「事上練磨」である。 》

以上

ここで、「SV社長塾の意義について」(第5号)と「変革型リーダーについて」(第7号)及び「サンチエーン・ローソン合併について」(第47号)のブリテンを掲示しておきたい。

(SV社長塾講義ブリティン第5号・第7号と第47号)

『渥美先生のペガサスセミナー参加の記憶』

私は、サンチエーン創業後の昭和53年(1978)以来DCVS発足の直前まで、半年ごとに開催されたペガサス経営戦略政策セミナーには、毎回参加、20回以上に上ったと思う。

その都度、この国にチエーンストアの産業化を実現したいという熱い使命感で、時々のアメリカ流通の新しい知的情報を、熱血指導される渥美先生の情熱に強い感化を受けたものである。セミナーを終えると、毎回幹部会議の席上その概要をレポートし、また自社の方針や施策に会社の実情に応じて反映させるべく努めたつもりである。

昭和58年度ペガサスセミナーに於いて、渥美先生から「サンチェーンの創業1年・100店舗達成」を表彰していただいた事は、私の忘れえぬ喜びである。

(100店舗達成記念表彰を受ける)

ペガサスクラブは、日本の流通革命黎明期における理論的指導者・渥美俊一先生主催のチエーンストア経営者育成・学習の組織であった。

ペガサスクラブの機関紙「経営情報」25周年記念特集に掲載された、「渥美イズムとの出会い」と題した私の投稿文をも紹介しておきたい。

《 【渥美イズムとの運命的な出会い】

昭和53年以来、半期ごとの政策セミナーには必ず参加しているから、渥美先生の講義をお聞きする機会はきわめて多いのであるが、直接ご指導を受けたことは残念ながら少なくて、たしか2回である。

だが、渥美イズムの信奉者としての歴史は古い。かれこれ20年にもなる。

私が渥美イズムを知ったのは昭和41年頃、雑誌「月刊食堂」であった。

当時、私は将来の独立を目指して、10年ほどお世話になった百貨店・(株)東京丸物(現池袋パルコの前身)を退職し、友人の経営するレストラン企業で修行中であったが、勉強のため愛読していた「月刊食堂」誌に、渥美先生が毎号シリーズで連載されていたのである。

飲食業における水商売的非近代性の克服、科学的経営の必要性やその手法、そしてチエーン展開に基付く外食産業構築のロマンに満ちた壮大な渥美理論に、私は鮮烈な感銘を受けた。以来、私は渥美イズムの熱烈な信奉者となったのである。

いつの日か必ず、渥美イズムの実践者として自ら一軍を率い、流通革命の一翼を担いたいと心中密かに心を燃やし続けていた。

昭和五一年、ようやくその時は来た。そのころ黎明期にあったCVS事業に挑戦するため、サンチェーンの創業に参画することになったのである。

それから今日まで、山あり谷あり、風雪ありの10年余りの間、私が常に経営の指標、拠り所としてきたものは、まぎれもなく渥美イズムであった。おかげさまで、未完成ながら現在のサンチェーンがある。「渥美イズムとの出会いなかりせば」と思うと、そこに運命的なものさえ感じるのである。

とはいえ、流通革命の戦いはこれからがまさに本番である。我がサンチェーンが、ダイエーグループの明日の中核企業としてエクセレント・カンパニーに成長すること、そして21世紀ヘ向けて、国際化、情報化、ソフト化、サービス化の滔々たる流れの中で、自らのレゾンデートルをより明確にして、この国の生活者に真の暮らしの豊かさ、便利さを提供していくこと、すなわち経済民主主義を実現していくために、われわれはさらに厳しい研鑚と努力を積み重ねていかねばならない。

自称弟子の末席をけがす者として、これからも渥美イズムのよ深い理解と真剣な実践を心がけて参りたい。

渥美先生のますますのご健勝と、これまでにも勝る厳しいご指導をお願い申し上げる次第である。 》

( ペガサスクラブ創立25周年記念誌と私の投稿文 )

『雑誌・新聞記事、インタビューなど』

いくたびか経済誌や新聞などの取材を受けた。手元に残る懐かしい記事をいくつか挙げておきたい。

(日経流通新聞’61・10月)

(雑誌ヴァンドゥー・1987・6月号)

(コンビニエンスストア新聞・1087年7月)

(日経就職ガイド’89より)

(「大阪24時間都市のイメージ」’86・3月刊)

『2001・ダイエーグループの船」中国訪問の旅』

この時の「中国訪問船の旅」は、昭和62年(1987年)9月のことであるから28年前のことになるが、今から思えばダイエーグループとしてのまだ全盛期にあたっていた。

中内さんもまだまだ60代半ば、元気そのもので意気天を衝く勢いがあったと思う。

旅の詳細は既に≪DCVS回想録≫第10回に記述しているので参照していただきたいが、私にとって特に忘れ難いのは、往路の船中で開かれた「21世紀を語る」シンポジュームで、《サンチエーン中国・一万店舗構想》をぶち上げたことである。

当時の中国は、漸く開放政策が始まったばかりで、まだ人民服と自転車の洪水が、日常の光景であったから、世界第二位の経済大国となった現在の中国とは比較にならないが、それでも、地鳴りのような成長のエネルギーをひしひしと感じた事は間違いない。

その後の中国が、日本を追い抜き世界第二位の経済大国へと駆け上がった目覚ましい大躍進は、今日我々が日常目にするところである。

(21世紀ビジョンを語る)

(2001ダイエーグループの船参加者名簿)

(中内CEOからのお手紙)

『サンチエーン・ミュージカル「雪舟」』と『SMB(サンチエーンミュージック・バトル・ロイヤル)』&『サンチエーン・東京キャンパス・サミット』

いずれも、サンチエーンの文化後援活動の一環であり、「ミュージカル」は1000店舗達成記念として、昭和63年(1988年)11月に、中村雅俊主演で新宿コマ劇場で好評裡に興行された。

「SMB(サンチエーン・ミュージック・バトル・ロイヤル)」は、若者の音楽支援活動としてサンチエーンが取り組んだものである。

第1回は、昭和61年(1986年)11月開催、「メロディ・ベース」と「新星白玉楽団」が受賞。

第2回は、昭和62年(1987年)11月開催、「ALIーPROJECT」と「JAG-JOY]が受賞。

第3回は、昭和63年(19988年)10月、「STAY」と「三四郎」、「岩田麻里」が受賞した。

「サンチエーン・東京キャンパス・サミット」は、東京都後援の下に、各大学の中心的役割を担っているクラブ・サークルのリーダーたちのコミュニケーションの場を作り、各キャンパス間のネツトワークを築き挙げることを目指して企画されたものであった。

サンチエーンは、若者文化創造を支援する立場から協賛した。昭和63年(1988年)11月、ホテル・センチュリー・ハイアットにて開催。

 

これらについては、≪サンチエーン創業物語≫(第26回27回)を参照されたい。

(サンチェーン・ミュージカル =SMB・応募パンフ)

(サンチエーン・東京キャンパス・サミット)

『ダイエーグループ商人塾の思い出』

ダイエーG商人塾は、「ダイエーグループ管理職研修体系」の一環であり、グループ各社の経営者の実力養成を目指して、

1・ダイエーグループ各社の経営強化と発展のため各社経営執行責任者の視野の拡大と相互理解を図る。

2・企業理念たる「FOR THE CUSTOMERS」の再徹底を図る

3・各社経営執行責任者の相互啓発と相互研鑽の場とする、との目的で開設実施されたものである。

(ダイエーG「管理職研修体系と第3期ダイエーG「商人塾スケジュール)

私は第3期生17名の一人として、昭和63年(1988年)3月~8月の間、毎月一回(一泊二日)の日程で夏季商戦の最盛期7月を除き、5回にわたって参加した。場所は、芦屋六麓荘の中内別邸・萬山荘であった。日程は次の通り。

第1回  3月17~18日

第2回  4月14~15日

第3回  5月15~16日

第4回  6月16~17日

第5回  8月18~19日

毎回、外部講師の講義とデイスカッション、各社毎の戦略発表などであった。

最終回には、中内CEOが出席し、懇談的に激励していただいた事は忘れえぬ感激であった。

(商人塾修了記念)

(中内CEOを囲んで)

(第3期ダイエーG「商人塾」塾生名簿)

『流通レーダー「ひまわり」』

社内報「流通レーダー」は、第130号から後「ひまわり」と名称を変更、DCVS発足直前の第190号まで発刊した。

(社内報・月刊「ひまわり」・FC元年宣言155号)

(179号)

(DCVS合併発表190号)

『第27回サンチエーン社員総会』

昭和63年(1988年)は、創業満12年目に当たる。2年前の昭和61年に、ローソンとの間で地域調整し、北海道、東北、九州の約2数十店舗を、地域調整によりローソンにを移管していた。

これにより関東・関西・東海の大都市圏に集約した「シテイ・コンビニエンス」としてのサンチエーン」は、この年、念願の大都市圏1000店舗達成を記念して、北区赤羽公会堂で第27回社員総会を開催した。

サンチエーン社員総会は、創業以来、社員の意思統一と一体感の向上を目指して、熱烈に開催し続けてきたのだが、いつしか回を重ねて27回となっていた。

思えば、節目節目に遭遇した幾多の難局を、社員総会の場で結集した熱き組織的エネルギーで、一つ一つ乗り越えてきたのである。

私はこの総会で、

《 1・FCチエーンとしての完成度を高めよう!

  2・業界トップ水準の店日販を目指そう!

  3・そのために品鮮清笑(QSCC)を磨こう! 》

と総括した。

(第27回総会プログラム・勤続表彰・ハワイ研修ツアーメンバー・QSCCなど)
「サンチェーン’89年新春Fジー総会」

「講演」

このころ、経済誌やお取引先から、講演を依頼されることがあった。

「サンチエーンの経営戦略」とか、「CVSの商品政策」などのテーマが多かったと思う。

自らの体験談や日頃感じていること、社内で話していることなどを披露することになった。 主なものをリストアップすると次の通りとなる。

<講演リスト>

’83年(昭和58年)

2月・「ダイヤモンド・フリードマンセミナー」(全共連会館)

 (講演風景)

9月・「菱食流通大学セミナー」(日本青年館

'85年(昭和60年)

11月・「激流セミナー」(農協ビル)

'87年(昭和62年)

4月・「激流セミナー」(サンケイ会館)

 (セミナー概要)

7月・「日販マネジメントセミナー」(ホテル・メトロポリタン)

                   

 (セミナーガイド)

ここで、ダイエーグループ時代の「サンチエーン年譜」を整理しておきたい。

<サンチエーン年譜>――ダイエーグループ時代

ーー1980年(昭和55年)9月~1989年(平成元年)2月――46歳~55歳ーー

――1980年(昭和55年)――実践の年――46歳
<9月>  長崎・新潟に出店
<10月> 社名を(株)サンチエーンに変更
第3回運動会(筑波大グラウンド)
<11月> 第14回社員総会
――1981年(昭和56年)ーー信念の年ーー47歳
<5月>  第15回社員総会
<8月>  プチサン1号店オープン
<9月>  アドバンスCVS早稲田店オープン(FFコーナー設置)
<11月> 第4回運動会・雨天につきジャンケン大会(六義園)となる
創業5周年記念・第16回社員総会(中内CEO出席)
第2次コンピューターシステム「アトラス」・店舗端末「アシスト」導入
ーー1982年(昭和57年)--挑戦の年ーー48歳
<1月>  新型レジ(責任・部門キー付き)
<2月>  決算月を3月から2月に変更
<5月>  第17回社員総会
<8月>  東海DO開設
ダイエーグループコンビニ1000店舗達成
マガジンショップ11店舗同時オープン
<9月>  サンチエーン牛乳・サンチエーンアイスPBデザイン一新
<10月> サンチエーン本社を上野に移転
サンチエーン新CI決定導入開始
<11月> 第18回社員総会
――1983年(昭和58年)--革新の年ーー49歳
<1月>  「サンチエーン・オリジナルバーガー」発売
<2月>  ダイエーグループCVS、第1期マネジャー・SV合同研修開始
ダイアモンド・フリードマン・流通セミナー講演(全共連会館)
<4月>  旭川に出店
<5月>  第19回社員総会
<6月>  サンチエーン恐竜ペット「サンチャン」登場
<7月>  群馬DO開設
サンチエーン新ユニフォーム導入開始
<9月>  菱食・流通大学セミナー講演(日本青年館)
<10月> 第6回運動会(墨田公園グラウンド)
<11月> 第20回社員総会
<12月> 700店舗達成
パート3プロジェクト活動スタート
――1984年(昭和59年度)――基本の年ーー50歳
<1月>  ダイエーグループ・エクセレントカンパニー賞受賞
ダイエーグループCVS・SV合同研修
<2月>  全国オンラインシステム完成
<5月>  フランチャイジー共済制度スタート
全国ラジオ・テレビCMスタート
第21回社員総会
<6月>  ダイエーグループCVS・SV合同研修
<8月>  長崎DO開設
<9月>  サンチエーン・オリジナルFF「ほっとΠ」発売
<10月> 第1回ダイエーグループ・D2P訓練を受講
第7回運動会
<11月> 北陸DO開設
第22回社員総会
ーー1985年(昭和60年度)--実証の年ーー51歳
<2月>  「サンチエーンの経営信条」発表
<4月>  ニューメディア実験店(三鷹仲通店)オープン
<5月>  第23回社員総会開催
<6月>  ダイエーグループQCサークル洋上大会参加
<7月>  「HAPPY WORKING」のキーワード発表
新型レジ(MAー136)導入
<9月>  本社カジュワルデー開始
第2回ダイエーグループD2P訓練参加
<10月> ローソンとの全国日配品共同配送開始
本社周辺のクリーンパトロール開始
第8回運動会(墨田公園グラウンド)
<11月> 第24回社員総会
激流セミナー講演(農協ビル)
<12月> 地区長・SVハワイ研修実施
ーー1986年(昭和61年)--変革の年ーー52歳
<1月>  本社女子社員制服一新
<3月>  新運営委託FCシステムスタート
4画面防犯カメラ実験開始
新社員Fジー制度スタート
ガソリンスタンド併設・CVSS1号店・2号店オープン
<5月>  オリジナルサラダ発売
<6月>  社員等級制度変更
パート3プロジェクト店舗実験開始
<9月>  サンチエーン放送局開局
ダイエーグループ賞受賞
<10月> ローソンとの地域調整により関東・東海・関西乃大都市圏にサンチエーンを集約する
第9回運動会(台東リバーサイド)
オリジナルODEN 発売
<11月> 10周年記念第25回社員総会(中内CEO記念講演)
SMDⅠ(サンチエーンミュージック・バトルロイヤル・Ⅰ)グランプリ開催、各賞決定発表
<12月> 社員ハワイ研修実施
店舗ユニフォーム一新
――1987年(昭和62年)--開発の年――53歳
<3月>  女子社員による商品R&D委員会発足
新オペレーションマニュアル全店配布
フランチャイズチエーン・ショウに初出展
店舗防犯カメラ四画面導入開始
<4月>  激流セミナー講演(サンケイ会館)
<6月>  幹部サタデー読書会スタート
サンチエーン通信教育講座開講
<7月>  オリジナルFF「おにぎりサンド」発売
日販マネジメントセミナー講演(東京ホテル・メトロポリタン)
<9月>  第1回商品展示会開催
ダイエーグループ中国訪問船の旅に参加
<10月> 第10回運動会開催(台東リバーサイド)
SMBⅡグランプリ、各賞発表
<11月> 第26回社員総会
水戸出店開始
<12月> 社員ハワイ研修実施
ーー1988年(昭和63年)--開発能動の年――54歳
<2月>  静岡に出店
800店舗となる
サンチェーン社長SV塾スタート
<3月>  フランチャイズチエーン・ショー出展
第3期ダイエーG商人塾開講(3月~8月)
<4月>  春夏フレンドリーセミナー開催
<5月>  カウンター委員会、米飯委員会活動開始
<6月>  D・CVSグループ統合システム稼働
<8月>  900店舗達成
第3期ダイエーG商人塾修了
<9月>  POS導入開始
<10月> SMBⅢグランプリ・各賞決定
<11月> JFAアメリカ・フランチャイズセミナーに団長として参加
サンチエーン・ミュージカル「SESSUE」好評開催
第1回サンチエーン「東京キャンパスサミット」開催
第25回サンチエーン社員総会開催
<12月> 社員ハワイ研修実施
1000店舗達成
――1989年(平成元年)--開発深耕の年――55歳
<1月> 昭和天皇崩御・平成となる
ダイエーグループ「ゴールド褒賞」受賞
サンチエーン・ローソン対等合併
平成元年3月1日より「ダイエー・コンビニエンス・システムズ」発足を発表

(追記)

《松岡康雄さん永眠》

ダイエー・コンビニエンス事業本部長、ダイエー・コンビニエンス・システムズ社長、ローソン会長などを歴任された松岡康雄さんが、2014年9月1日、病気のため逝去された。享年76歳であった。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

松岡さんは、サンチエーンがダイエーグループ入りして以来の経営上の私の戦友であり、ある意味で二人三脚で、この会社を盛り上げてきたつもりである。

かねて、「ローソン同窓会」を立ち上げようと、松岡さん、藤原さん、山川さんはじめ有志の皆さんと共々に準備を進めていたのだが、その第1回同窓会の開催を間近にしての悲報であり、まことに残念であった。

実は、亡くなられる半月ほど前の8月中ごろに、松岡さんから電話が架かってきた。「突然入院することになった」というのである。「どうしたの」と聞くと、「手術をすることになるかもしれない」とのことであった。

それまでに、何度かやり取りして、4月に発起人会を開き、第1回同窓会の日取りと場所を決めた後であったから、とても気がかりだったのだと思う。「大事にしてしてね」と云うと、「分かっているよ」と答えたのが、最後の電話となった。

第1回の「ローソン同窓会」は、10月14日、「松岡さんを偲ぶ会」として虎ノ門・北大路店で開催された。

今後も松岡さんの遺志を継いで、「ローソン同窓会」を立派に成功させていきたいと有志一同、考えているところである。

松岡さんとの忘れえぬ思い出はいろいろ尽きないが、中でも特に、ホノルルでの「ローソン・5000店記念オーナー・シンポジューム・イン・ハワイ」のオープニング・セレモニーで、中内CEOを中心に松岡さんと私の三人で、全国のローソン・オーナーさんご夫妻を心厚く「おもてなし」できたたことは、お互いの人生で最高の晴れやかな思い出である。

(’93・3月12日・松岡さん還暦記念)

(’91・2月DCVS幹部セミナーにて)(’93・12月会食会)(’94・5月5000店ハワイ・オーナーシンポジュームにて)

ハワイ・オーナー・シンポジュームについては、≪DCVS回想録≫(第13回第14回)を参照していただきたい。

 以下次号で鈴木貞夫言行録(第9回)を掲載します。

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