第276話 年越蕎麦

     

挿絵☆ほし

江戸ソバリエ協会では毎年、年越蕎麦コンクール「わが家の年越蕎麦、私たちの年越蕎麦」を募集している。
日本の伝統歳時を応援するのも蕎麦文化への寄与のひとつだとの考えからだ。
お蔭さまで、今年もたくさんのご応募をいただき、その中から福島和子さん(江戸ソバリエ・ルシック)、谷岡真弓さん(江戸ソバリエ「石臼の会」)、興津芳信さんが(江戸ソバリエ「石臼の会」)が入賞された。
皆様と共に蕎麦文化へ寄与することができたことは、たいへん喜ばしいことだと感謝している。

ところで、こうしたことをやっていると、「年越蕎麦は何時ごろ食べるものですか?」といったご質問をいただくことがある。

その前に、年越蕎麦というのは宮廷の「追儺の儀」に由来すると思われるので、そちらの話からしてみよう。
大晦日、宮廷では陽が暮れると、大晦日の大祓に続いて、鬼を退治する追儺の儀が行われるという。平安時代などは宮廷雑事係のうちの大柄の者に四つ目の鬼の面を被らせ、さらには手に盾と鉾を持たせて鬼役とし、一方では侍臣が桃弓と葦矢を持って鬼を追っ払うことを行った。
四つ目の面は中国伝来のことらしい。また桃についても、古代中国の道教では桃に魔除の力があるとされていたところからきているのだろう。現に、その影響からか日本各地の古墳からも桃の種が見つかっている。葦の方はおそらく悪しに通じる日本流の縁起であろう。
この追儺は、室町時代あたりから「大晦日」と「節分」の行事に別れていった。
昔の、大晦日の大掃除は大変な労働だった。それで夕食は簡単なもので済ませようということになるが、どうせなら饂飩などの麺よりも、切れやすいお蕎麦に「今年一年の災危を断ち切る」と祈念して大掃除後の食べる蕎麦が最適となった。これが年越蕎麦の由来であるが、その時期は江戸中期ごろからだろう。
一方、節分には五穀が撒き散らされる。そのひとつが豆捲きになるわけである。
ただ、慣習というのは平坦な一本道を歩んできたわけではない。あれとくっついたり、これが離れたり、時には真面目に、偶にはふざけ半分が入り混じって形成されてゆくものだろう。

さて、「年越蕎麦は何時ごろ食べるものですか?」という質問であるが、先で見たように、昔は陽が沈むと一日が終わり、昇ると一日が始まるのである。したがって回答としては「夕方です」となる。
しかしながら、行事・儀礼は日常生活の中から生まれるものである。時計で一日を計るようになった現代では、午前零時が一日の境界であることはいうまでもない。だから「除夜の鐘でも聞きながら、お食べになってはいかがですか」との回答になるだろうと、たあいもないことを真剣に考えてみたが、要は「一日の終わりに」ということは「皆でそろって」というところに意味があると思う。

参考:『延喜式』、松本栄文著『日本料理と天皇』(枻出版)

〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる