<コンビニ創業戦記・附伝>「鈴木貞夫言行録」第14回
2017/02/10
第五章「ソフトブレーン・フィールド時代」(その2)
《SBF(株)時代》(2)
80歳を過ぎて、息子や孫の世代と変わらない若い仲間たちと、同じ職場で、同じ時間に、同じ空気を吸い、同じ言葉のやり取りが毎週のようにできる事は、この上ない幸せであり、木名瀬さんはじめ全従業員の皆さんには、心から感謝を申し上げたいと思う。
「いつまでも若いですね」といわれることが多いが、それも皆さんと日頃、当り前のようにお付き合いしているお陰であると思っている。
<SBFの10年を振り返る>(その1)
この10年間に、私が経験したり、関わった印象深いことどもなどを、思い出しながら記してみたいと思う。
「SBF成長の足跡・グラフ」
SBFの業績の折れ線グラフをみると、創業してからの3年半は不安定であり、私が参加した2006年から2007年の2年間ほどは、今思い出しても一番苦しい時期であったろう。
それが2009年ごろから2015年度にかけて、お取引きいただくクライアントも着実に増えて、右肩上がりの増収増益を実現している。
さらに来年度は、一段の飛躍が期待されており、頼もしい限りである。
(SBFの成長トレンド)
「幹部会議・役員会・全体方針会などへの参加」
朝礼で週2回スピーチするほかに、私が主に参加しているのは、 毎週1回の幹部会、月例役員会、四半期方針会、半期方針会、年度方針会、SBグループ会などである。
その時々に、気がついたことを質門したり、一言、二言助言をすることもあるが、日常はよほどのことがなければ、あまり口出しはしないことにしている。
どちらかといえば、いわゆる社外取締役的な立場で、社内の動きをよく理解しようと心掛けているからである。
若い皆さんが、伸び伸びと、思い切り自由に、力を出し切って下さることができれば、自ずから業績は向上していくものと考えている。
「南品川オフイスで東日本大震災に遭遇」
私が最初に参加した頃、最初のSBFオフイスは、ソフトブレーン品川旧本社の1部に間借りしている状態であった。
まもなくオフイス独立(市ヶ谷MSビル6F)を実現し、その2年後には、社員数増加、業容の拡大に伴い、青物横丁の南品川オフイス(南品川Jビル7F)へ移転する。
この南品川オフイスで、あの「東日本大震災」に遭遇したことは、生涯忘れることはないだろう。
その日は金曜日で、私は出社日であった。
2011年3月11日午後2時46分、地震発生。
発生時の衝撃は極めて大きいものであった。
ドーンと数回の突き上げがあった後、横揺れが長く続いた気がする。
デスクや椅子、コピー機などが左右に動き、ガタガタと音を立てた。あちこちで悲鳴が上がった。
私は、ビルのガラスがきしんで、割れて、飛び散ってくるのではないかと警戒した。
遂に首都直下地震が来たか、と一瞬覚悟していた。
揺れがおさまってから、すぐにテレビをつけたが、震源地が岩手沖というだけで、その時は被害の詳細は放映されていなかった。
その時点では、津波災害の情報や福島原発事故被害などは全く知る由もなかったのである。
次第に、首都圏の交通機関がほとんど停止状態にあり、復旧の見込みがつかないとの情報で、午後4時過ぎ、徒歩にて帰宅する決断をする。
一部の社員は会社に泊まったが、それも一つの選択枝であったろう。
私は、第1京浜沿いに、青物横丁、品川、田町、浜松町、新橋へ出る。
すでに道路は車で大渋滞、あちこちで警笛が鳴り響いていた。
歩道は帰宅を急ぐ人たちで、上りも下りも、ひっきりなしに、黙々と歩く行列が途切れない。
そしてすっかり陽が落ちて夜となった中央通りを、街の明かりに照らされながら、銀座、日本橋、神田、秋葉原、上野、日暮里へとひたすら歩いた。
銀座では、歩道にビルの壁面や看板などの落下物を見た。
日本橋では、立ち止り、橋の上から川を覗く人々がいた。おそらく津波の影響で水位が上がっているのを確認していたのだろう。
秋葉原、上野では、途中の飲食店に人だかりがしていた。テレビに映る東北の津波災害現場のニュースが流れていたようである。
途中のビジネスホテルなどは、いずれも満杯のようであった。
日暮里から舎人へ、そして川口朝日町へ、さすがに人の行列はまばらになり、最後は約1時間、暗い深夜の道を一人で歩きぬいた。
私が川口の家に帰りついたのは、日付けの変わった午前1時ごろである。青物横丁を出てから約9時間ほどが経過していた。
そして家のテレビで初めて、東北の被害の甚大さを知ることになる。
その時点ではまだ、福島原発事故の深刻さは、伝えられていなかったのである。
福島第一原発が水素爆発を起こし、膨大な放射能を拡散させたのは、確か地震から1日後のことであった。
その様子はテレビの遥かな遠景画面で見た記憶があるが、その深刻な破滅的な状況についてはほとんど報道されていなかった。
あれから4年半が経過したが、東北の復興はいまだに道半ばであり、特に福島原発事故については、ほとんど解決の道筋がついていない状態にあることに深い憤りを禁じえないのである。
「朝礼スピーチ」
朝礼の効用は、私の長年のビジネス体験から、良い社風を築いていく上で、非常に重要な役割を持つものと確信している。
時事的話題や経営課題、社会問題、人生問題など、その時々のトピックスを取り上げて、皆さんが自ら、視野を広く、視点を深く、考えて頂く契機になれば、と思いながらお話しすることにしている。そのいくつかを選んで紹介しておきたい。
《朝礼スピーチ事例集》①
――2012年12月14日――銀座オフイス
【 1年で一番日の短い季節です。
いよいよ総選挙の日が迫りました。私は期日前投票を済ませました。
マスコミ情報では、前回の総選挙は、シルバー世代の投票率は80%なのに対し、若い世代は50%を下回ったとのことです。
これでは、これからの日本を背負う世代の声が、ますます国政に反映されないことになります。
是非投票してほしいと思います。
誰が政権についても、よりよい政治のチームワークが求められます。
今日14日は「忠臣蔵」の日ですが、大石内蔵助という優れたリーダーの下、多くの浪士たちが目的を一つにしたチームワークの行動だったといわれています。
大石内蔵助が遺した辞世は、
『あら楽し、心も晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし』とあり、
目的を見事に遂げた男の潔さが表れています。年末ドラマの常連たる由縁がそこにあるように思います。
今年もあと半月、わが社は、4年連続増収増益の快挙を成し遂げる見込みですが、これもみなさんの素晴らしいチームワークのお陰です。
今日の発句は、
『東雲や オリオンの星 降る如し』
『柿食うて 誰を選ばん 総選挙』
今日も「ワッハッハ!」で、朗らかにいきましょう!】
――2013年4月2日――銀座オフイス
【 桜も名残り惜しく、散り始めています。
昨日の朝礼で、佐藤仁志さんが、H食品さんから「SBF社は優良企業」と評価していただいたとスピーチしていましたね、嬉しいことです。
皆さんの日頃の仕事ぶりが、クライアントさんから評価されている証拠です。
優良企業とは、社員が自分の会社に「わが社意識」を持っているといいます。
「我々は皆、ここで一緒」の気持ちが、自然にわき出るような社風・企業文化をみんなで作り上げているということでしょう。
そういう会社は、みな「やる気」に満ちて、モラールが高いといいます。
「やる気」は、命令や強制や理屈では出てこないものです。
「やる気」はお金でも買えないものともいわれます。お金以上のもの、「信頼」と「安心」が大切なのです。
人間は、「自分が信頼されていない」と感じると、「やる気」が出ないものです。
職場の中に、「信頼感と安心感を広げること」が非常に重要です。
組織に於ける信頼の欠如は、社員に投げやりな行動を誘発させるといいます。
経営に於ける日々の意識的な努力の積み重ねによって、初めて職場の信頼感と安心感は作られていくものだと思います。
今日の発句は、
『散り残る 花に無情の 氷雨かな』
『咲いてより 後の余寒の 長さかな』
『舞い落ちる 桜花びら 濡れそびれ』
『菜の花に 傘差しかけて 話かけ』
今日も元気に「ワツハッハ!」 】
――2013年5月24日ーー銀座オフイス
【 本格的な夏日です。
数寄屋橋交番の傍に、「社会を明るくする運動発祥の地」という石碑がありました。
私は、「会社を明るくする運動」の主唱者のつもりですのでよろしくお願いします。
冒険家・三浦雄一郎さん(80歳)が、世界最高齢でのエヴェレスト最高峰(8848M)の登頂に成功しました。
これまでの記録は76歳だそうです。
三浦さんは65歳のころ、メタボ状態になり、心臓にも不正脈などがありましたが、父親の敬三さの(99歳)のモンブランでのスキー挑戦に刺激を受け、一念発揮したとのことです。
その後リハビリを続けて体調を回復し、70歳、75歳とエヴェレスト登攀に成功してきました。
今回も、大腿骨骨折や心臓手術という試練を乗り越えての不屈の挑戦でした。
三浦さんのモツト―は、「出来ない理由より、出来る理由を探す」だそうです。
「目標があれば老いは感じない」と語っていました。
私とは1歳違いですが、大いに元気を貰いました。
今日の発句は、
『神座せる 最高峰に 傘寿立つ』
『可憐なる 林檎の花の 白さかな』
『薔薇を見て 独り言いう 男かな』
今日も「ワッハッハ!」で、元気にいこう! 】
――2013日5月28日――銀座オフイス
【 今日は、先週金曜日に行われた日本フランチャイズチエーン協会・定期総会での記念講演のお話をします。
講師は高野登さん、世界で一番サービスレベルが高いと評価されているリツッカールトン・ホテル出身で、現在ホスピタリティ・コンサルタントとして全国で活躍されている方です。私なりに要点を報告します。
≪ビジネスにおいては、当たり前のレベルを、当たり前のレベルを超えて実践することが強みとなる。それがホスピタリティである。
お客様に指示される前に、相手の気持ちになって提案することが求められる。
それは大抵、小さく面倒で、手間のかかるものだから、なかなか実行されないのだ。その小さいことに気がついてやり続けることが、競争に勝つ道である。
面倒くさいことを、価値にしていく組織の体質を作ることが大切である。
そのためには、リーダーは「部下を使う」「人を使う」という言葉を使わないことである。
「人を生かす」というべきである。「使う」ではなく「生かす」である。
リーダーの基本的役割は、「メンバーの成長を支える」ことにある。
現場の人間が、会社の成功・失敗を決めることを忘れずに、現場を成長させ、生かすにはどうするかを、常に考えることである。
現場では、いつも小さな失敗が起きているものだ。
その原因は、二つ、一つはコミュニケーション不足、二つは顧客ではなく、自分の価値観で考えてしまうことにある。
「お客様のために」という言葉は危険である。「お客様の立場になって考える」というべきである。
ホスピタリティの感性と心の筋肉を鍛えるには、日々の暮らしの中にいくらでも種がある。それを日々積み重ねる中で、人々表情や目付きが変わってくるのだ。
毎日接する身近な人々を元気に、楽しくすることが出来ないで、お客様や他人を元気に出来るわけがないのである。
組織のテンションだけではなく、モチベーションの根を深く掘ることが大切である。≫
今日の発句は、
『満月の 中天にあり 薔薇香る』
『とりどりの 花咲き揃う 駅花壇』
『潮風に 吹かれて香る バーベキュー』
今日も元気に「ワツハッハ!」 】
――2013年7月9日――銀座オフイス
【 突然の梅雨明け宣言で、いきなりの猛暑です。
今日は、心療内科医・海原純子さんが、毎日新聞日曜版に書いておられるコラム・「心のサプリ」で、7月7日に書いておられた「まっとうなお店」についてお話します。
海原さんの仕事場は千駄木・根津にあるのですが、その周辺は、昔ながらの下町情緒が残る人情味厚い町並だそうです。
昼食によく利用するお店も、最近はやりのマニュアル頼みのチエーン店よりも、家族経営の「まっとうなお店」が多いそうです。
その理由として、「まっとうなお店」には、二つの要素があるとからだといいます。
一つは、お店で働く人すべてが「他人事」になっていないこと。
自分の役割分担だけではなく、全体を見て仕事をしていることで、お店に一体感があることです。
二つは、一人一人が力の出し惜しみをせず、全力で仕事をしていることです。
この「一体感を持つ」「力の出し惜しみをしない」の二つは、自分の仕事の分担を全力で担いながら、他者との関わりを大切にし、全体の方向性をきちんと見据えているというこの仕事やり方こそ、「まっとうな職場・会社」の基本条件でしょう。
私はいつも、「ハツピー・ワーキング」ということを言いますが、これは「まっとうな職場」と同じことだと感じました。
今日の発句は
『梅雨あけて 日陰恋しき ころとなり』
『朝顔も 項垂れている 猛暑なり』
『大輪の ダリア誰かに 似ているな』
『紫陽花や 雨の恋しき 暑さかな』
今日も、「ワツハッハ」で朗らかに! 】
――2013年10月18日――銀座オフイス
【 季節は晩秋ですが、北国では、はや雪の便りです。
今年は台風の当たり年でした。また27号が発生。このところ大きな災害が続きます。
日常の暮らしに大きな災害が潜んででいることに注意したいと思います。
今日は「お茶」の話です。
私たちが毎日おいしく飲んでいる会社の自販機にも、4種類のお茶がありますが、それぞれに個性的な味と香りがあります。
お茶の味と香りは、数種類の茶葉を混ぜ合わせる「合組」という作業で決まり、それは「茶師」というプロフェショナルの仕事だそうです。
毎日新聞の記事によると、茶師・前田文夫さんは著書の中で、「欠点のある茶同士を組み合わせると不思議に欠点が消えて、特別なお茶に生まれ変わる」と書いているそうです。
数学では、マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスに変わりますが、人間の組織にも同じことが云えると思います。
誰にも、長所と短所があります。
それを組み合わせることで、短所が相殺され、長所が相乗効果を発揮するということです。
性格も、個性も、考え方も違う人材が集い、お互いを支え合い、育て会い、目的を一つにして力を合わせることで、いかなる課題にも対処できる強い組織が出来上がるものです。
SBFも、そういう組織でありたいと思います。
今日の発句は、
『音のなき 嵐の前の 煙雨かな』
『天地も 鬼哭啾啾 山津波』
『轟々と 何を怒るか 嵐吹く』
「北国に 大雪呼びし 大あらし』
今日も「ワツハッハ!」で元気にいきましょう。 】
「朝礼スピーチ事例集」②は 、次号で紹介したい
「社員旅行」
SBFでは、木名瀬さんが事業をスタートさせた7月10日を毎年、創業記念日として、その前後に社員旅行を実施している。
社員旅行は、概ねその年の新入社員たちが幹事団を務め、いろいろと趣向を凝らして、楽しい企画を練り上げてくれる。
そのことを通じて、社員相互の理解と親睦が深まり、更にチームの一体感が高まるのである。
第1回は2008年の箱根、第2回は2009年のグアム、第3回は2010年の軽井沢であった。
私も毎回参加しているのだが、その時の全体写真が見つからないのは残念である。
次の写真は、2011年の第4回から、2015年の第8回までの参加者全員の集合写真である。
年々会社の成長と共に、社員の数も増え、組織も大きくなって、一人ひとりが逞しくなってきているのを実感出来る事は嬉しい限りである。
(2011年7月・ディズニーシー)
(2012年7月・沖縄)
(2013年7月・沖縄)
(2014年7月・香港)
(2015年7月・沖縄)
「今日の発句」
私の俳句は、見よう見まねでつくる全くの自己流である。基本も技法も特に意識していない。
日常の中でふと目にしたり、気になった事どもを、五七五にまとめて表現しようとするものである。
6年ほど前に、SBF社の朝礼で発表するようになってから、世の中の動きや、季節の移り変わり、身の回りで見聞きすることの中で、何かと意識して題材を探す様になった気がする。
1年に100回ほど朝令の機会があり、1回に4句ほど発表しているから、もう既に2000句ほどになるかもしれない。
その中から、独断の自選で百句を選び紹介したい。
《「今日の発句」・100選》
<春>――初春ー立春ー春分ー立夏まで
『四方の海 平穏なれや 初日の出』
『お屠蘇飲み 晴れて傘寿を 迎えけり』
『健さんの 「冬の華」見て 初涙』
『ジャカランタの 紫似合う 女なりき』
『ダイコンも ネギも値を上ぐ 寒さかな』
『湯豆腐で 妻と楽しむ 白ワイン』
『菜の花を お浸しにして 夕餉かな』
『ドカ雪に 大動脈も 麻痺したり』
『地の果てに 惨劇哀し 寒椿』
『哀しきは テロの正義よ 寒地獄』
『早春や 慈顔を遺し 友逝きぬ』
『春愁や オレオレ詐欺の 増えしこと』
『節分や 昼は春なり 夜は冬』
『雪害の ニュースに暮れし 雨水かな』
『春嵐 花粉微粒子 夕陽染め』
『砂嵐 死者の怒りか 空襲忌』
「十万年 核廃棄物の 黙示録』
『もう三歳 まだまだ三歳 原発忌』
『花冷えや 熱燗欲しき 桜かな』
『去年今年 命受け継ぐ 桜かな』
『夜桜や 花見のつもりで 人見かな』
『桜、梅 桃、林檎みな 親類だ』
『葉桜に 見られていたり ミスショット』
『待ちかねし はぐれ桜の 数寄屋橋』
『誰がために 咲くにはあらず 土手の花』
<夏>ーー立夏ー夏至ー立秋のころ
『五月晴れ すらりと伸びた 脚線美』
『何騒ぐ 今年は遅き 蝉しぐれ』
『憲法の 解釈論議で 梅雨荒れる』
『春嵐 戦争法規 携えて』
『メンソーレ 那覇空港の 胡蝶蘭』
『美ら海や やわ肌を焼く 陽のひかり』
『忘れまじ ひめゆりの塔 対馬丸』
『短夜や 沖縄戦の 終れる日』
『沖縄の 墳怒知るなり 昭和の日』
『雷神の 天撃ち地裂く ヒロシマ忌』
『とこしえに 鐘鳴り響け ナガサキ忌』
『ヒマワリも 項垂れいたり 終戦忌』
『炎天に 月も祈るか 敗戦忌』
『あの白き 花の名問えば 花水木』
『香り濃き 真白きバラに こころ満つ』
『水やれば お辞儀するなり プチトマト』
『緑陰に 桃色映える 百日紅』
『父の日に 亡き父偲び 勤行す』
『初盆や 法華経誦みて 供養せり』
『アジサイは 雨上がりの陽に よく似合う』
『大輪の ダリア誰かに 似ているな』
『官邸の 見えるところに ディゴ咲く』
『湿舌や 豪雨列島 呻吟す』
『夏祭り 浴衣姿に 惚れてみる』
『御巣鷹に 友逝きてより 三十年』
<秋>ーー立秋ー秋分ー立冬まで
『何時来たか クラブに止まる トンボかな』
『赤蜻蛉 悲哀の海を 超えて飛べ』
『天高く 神の居ますや 筑波山』
『炎天下 初冠雪の ニュース聞く』
『明月や 苦吟果てなく 夜もすがら』
『台風は 海より起こり 海に消え』
『四方の海 同胞(はらから)と咲け 曼聚沙華』
『それぞれの 趣ありて 秋の花』
『百日紅 幾世つながる 命かな』
『俺たちも がまん・忍耐 夫婦の日』
『萩咲きて 亡き叔母の名と 思いけり』
『法華経を 読誦しにけり 秋彼岸』
『さまざまの 人に出会えり 彼岸花』
『若き日の 衝撃未だ ケネディ忌』
『仲秋の 明月晴れて 欲しいなあ』
『名月を 愛でてビールの 旨さかな』
『焼くもよし 煮るもまたよし 秋刀魚食う』
『老いたれば 人みな羅漢 秋の風』
『宇宙より 見る台風の 眼の怖さ』
『家族会 開いているか 雀たち』
『颯爽と 自転車の女 秋の朝』
『晴れ着着て 憎まれ口や 七五三』
『若鷹が 虎ねじ伏せて 菊香る』
『マフラーに 手袋欲しき 朝となり』
『枯葉散り 寒木となる 桜かな』
<冬>――立冬ー冬至ー立春まで
『立冬や 夕映え富士に 合掌す』
『健さんの 含羞懐かし 文化の日』
『健さんは 紅葉錦の 浄土かな』
『文太逝く 紅葉桜の 散る日なり』
『冨士ケ嶺は 釣瓶落としに 暮れにけり』
『短か陽に 七変化する 冨嶽かな』
『山茶花も 雨に打たれる 一葉忌』
『あれこれと 10大ニュースの 時節かな』
『灯を 遺しマンデラ 星となる』
『年の瀬は 光の海の 銀座かな』
『キナ臭き 匂いのすなる 極め月』
『今日書くか 明日にするか 年賀状』
『賀状書き 何か仕事を した気分』
『斜陽浴び 吾が影長き 冬至かな』
『氷雨降る なかを都知事の 高転び』
『柿食うて 誰を選ばん 総選挙』
『冬深し 右へ大揺れ 総選挙』
『この国の 未来を決める 師走かな』
『何を問う 選挙なりしか おでん酒』
『朝寒むや 白き鳩いる 数寄屋橋』
『あれもこれも 思い切りよく 大掃除』
『凍てつきて 月も痩せゆく 師走かな』
『凍天や 句を作ること 生きること』
『辛きこと 嬉しきことも 年の暮れ』
『今年また さまざまありて 暮れにけり』
(以下、次号「鈴木貞夫言行録」(第15回)に続く)
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