健康ニュース 11月1日号 食の「安全」と「安心」
2016/11/07
隣家のインテリ夫人「築地市場の移転問題はどうなるのでしょうか、食卓を守る主婦としては大変気になりますわ」
隠居中の大御所暈 穀菜「全くそうだね。朝から夜まで政党も議会もメディアも、食の安全だの食の安心など耳にタコが出来そうだよ。でも最近気になることがあるのだがね。君にも聞いて確認したいのだが食の安全と安心を混同していないかな」
隣家のインテリ夫人「食に関して言えば安全も安心もそれほど違いがないのではないですか。また先生の偏屈でケチをつけようとしているのですね。こと食に関しては屁理屈には負けませんわよ・・」
隠居中の大御所暈 穀菜「やはりそうなのか・・・。これはメディアの責任かもしれないな。豊洲の地下水から有害物質、ベンゼンなどが検出されたというニュースが出始めたころは、食の安全問題として騒いでいた。ところが有害物質の検出数値が基準値以下と報道され始めたころから食の安全安心というように言われ始めたね。特に左翼系の新聞、同系の国会議員が議会やメディアの前で、盛んに食の安全安心と一つの用語として言っているのが気になるのだがね」
隣家のインテリ夫人「安全も安心も同じでしょう。先生は全て奥様にまかせているからそんな呑気なことをいえるのですよ。台所を預かる者にとってはどちらも同じですわ」
隠居中の大御所暈 穀菜「いや、安全と安心は大違いだよ。食の安全と食の安心は別次元の問題だから同じだと考えていては絶対にダメだね。TVのワイドショーの司会者も同じ意味で使っているし、驚いたのは都議会で議員までが食の安全安心と何度も発言していたことだ。これだと安全と分かったときでも風評被害が広まって手の打ちようがなくなってしまうこと間違いないね」
隣家のインテリ夫人「それは屁理屈ですわ。どう違うのですか!」
隠居中の大御所暈 穀菜「分かるように話そう。食の安全とは、ありとあらゆる面で試験、調査を科学的な証拠に基づいて健康への影響などのリスクを除いたもの。常にリスクを考え科学的評価によって得た結果なのだね。いわば科学で証明された客観的事実といえる。一方食の安心とは、人それぞれの判断に委ねられるもので、そこには主観的感情が入っているのはやむを得ないだろうね。考えておかねばならないのは絶対安全、リスクをゼロにすることはありえないということだ。分かったかな」
隣家のインテリ夫人「難しい話ですわ・・・」
隠居中の大御所暈 穀菜「では交通安全とは言うが、交通安心とは言わないのはなぜだと思う?交通安全とは、制限速度があるとか、信号などを設け事故を防ぐなど様々な対策がされている。ルールを守って交通安全が確保されているのでね。これが交通安心となれば、車は事故を起こすかもしれないので乗るのは止めよう。外を歩くと車に撥ねられるかも知れないから止めようということになってしまうからね。まぁ、都議会など議員先生の発言を注意しておくといい。安全と安心の混同に気づくだろう。中には意識して使う議員がいるかもしれないよ。おや、もう外は暗いよ。安全なお酒と安全なおつまみで一杯始めようかね」