第439話 美味しそうに食べるのが‘粋’
「おめでとう」
友人が蕎麦店を開業したので、仲間がお祝いに駆けつけた。
料理とお酒が供され、最後にはお楽しみの蕎麦が出た。
彼のお得意は《更科蕎麦》であるから、〆もとうぜん《更科の冷掛け》だ。
気持いいくらいに白くて細い更科がスルスルと咽喉を滑る。
けど・・・、目の前の席に座っている人は、お蕎麦を口にしない。
「食べないんですか?」私は気になって訊いてみた。
「こんな物、蕎麦じゃない。食えるか! 」
その人は、いわゆる素人蕎麦打の高段者だというが、どうやらここのお蕎麦がお気に召さなかったようである。だから、食べないという。
得てして、分かってない人ほど大声で文句を言うのが世の常であるが、この人もそうなのだろう。「店に来た以上は、気に入らなくても、口にしなくては」。そう言いたくて、私は首を横に振ったが、彼には通じなかった。
蕎麦店にしろ、レストランにしろ、新規店の味はどこか素人くさいというか、いろいろ問題はあるだろう。
でも、そんな店でも、数年経つと玄人のいい味の店に進化していることが多い。あちこち食べ歩いている私には、そういう経験がたくさんあるし、また今は名店となっている人でも、開業して‘苦労’した暁に、その味を手にしている話はよく耳にする。
江戸ソバリエ講師の堀井市朗先生は、いいことをおっしゃっている。
「素人=知ろうと(シロウト)する者、玄人=苦労(クロウ)する者」だと。
まさにその通りだと思う。
玄人の苦労と素人の苦労は異なる。
玄人は、お金を頂く故の苦労がある。
素人は、理屈や技術を知ろうとしている。
この違いが、たとえ何十年のベテラン素人でも、玄人に及ばないところである。
だから、昨日までは素人であった店主の友人なら、その苦労の先を楽しみにすべきであると思う。そのために今日駆けつけたのだから。だが彼は、残念ながら酒だけを飲み続けていた。
宴たけなわとなって、司会者が小生に〆てほしいと依頼した。
私は、いろいろ申上げようと思ったが止めにして、店主の明日に期待する旨の挨拶をして〆た。
翌日は、ちがう所でパーティがあった。
そこでも一言求められたので、ご挨拶を述べた上で、昨夜のことを思い出しながらこう申上げた。
「卓に出された食べ物は、たとえ口に合わなくても、美味しそうに食べること。それが‘粋’です、マナーです」と。
〔文・絵 ☆ 〔特定〕江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる〕