第802話 母は強し、されど哀し

     

 ~小さな庭の生き物日記~

「赤とんぼ 翅を取ったら 唐辛子」
 芭蕉の弟子がこう詠じましたが、師の芭蕉は翅を取るのは可愛そうだからと言って、こうなおしてあげたと伝えられています。
「唐辛子 翅を付けたら 赤とんぼ」

 「自動販売機で売っていた」と言ってソバリエの赤尾さんから、内藤唐辛子の苗を貰ったのは、5月でした。それから毎朝、水をあげていたら、白い小さな花が咲き、それが枯れるとほんとうにちっちゃな実になり、それが成長して緑色の唐辛子となり、そして赤くなりました。今では赤い実、緑の実が6個成っています。このような唐辛子の生命を観察していますと、芭蕉の弟子という人は心がなかったのかなと思います。
 毎朝、水をあげているのは内藤唐辛子ばかりではありません。
 毎年、安田先生(ソバリエ講師)に頂いている朝顔や庭にも撒いています。そのせいか、わが家の朝顔の葉はよく茂っています
 朝見る青い花弁の朝顔は爽やかです。「朝顔」とはよく名付けたものだと感心します。

 水を撒き終わったら、雀に餌を上げるのも日課です。
 前はたくさん餌を上げていましたから、五、六十羽ぐらい集まってきましたので、マンションの他の部屋の方が憤慨するかもしれないと思って、餌を少なめにしました。現在は多くて十羽ぐらいがうちの庭て遊んでいます。
 「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」
と一茶の句にありますが、雀の子と親はあまり大きさが変わりませんから、見分けが付きません。ただよく観てますと、子は親より少しだけ小柄で、しかも親から口移しで餌を貰っていることもあります。こんな母子の食事の場面を見たら、餌やりを止めるわけにはいかなくなります。

 そういえば、久しぶりに鵯が柿の木の枝分かれている隙間に巣作りをして、そして卵を抱えるようになりました。鵯の身体は木肌の色と同じで、しかも長い嘴は小枝に見えますので、忍者が隠れているようでなかなか見分けが付きません。それでも時々顔をクルッと動かしますので、あ、今日も抱いているなと分かります。
 酷暑の日も、先日の風雨の日も抱き続けています。いつ卵から雛が出てくるだろうかと毎日楽しみにしています。
 しかし、あれから4週間ちかく経ちました。数年前に、約2週間で雛が誕生し、数日わが家の庭で餌取りや飛行訓練をした後、大空に飛び立ったことがありましたが、今年はおそらくダメなのでしょう。それでも母鳥は今日も卵を抱いています。かわいそうで、かわいそうで仕方ありません。

 ピンポーン♪
 とチャイムが鳴りましたので、出ますと
 「○○号室の○○です」とお隣の女の児が名乗りました。
 すぐドアを開けてあげますと、三人の児がニコニコして立っています。
 女の児はお辞儀をして「いつもお世話になっています。スイカを持ってきました」とちょっとだけ緊張気味に口上を言うと、すかさず下の男児が「エーイ」と言いながら、元気よくスイカを差し出しました。彼女は長女で小学一年生、彼は長男で幼稚園児、その下の次男は歩けますが、まだ話はできません。
 きょうだいのいる長女は幼くてもチーママの役ができるのだといつも感心します。うちの孫娘は隣の子より上ですが、一人っ子なので、よくいえば母娘仲良く、悪くいえば母娘はベッタリです。とてもチーママは期待できません。それでもかわいい孫ですが・・・。

 夜、西瓜の絵を描きました。西瓜はあの縞々さえ描けばそれらしくなります。
 ところがこの縞が難しいのです。出来次第で西瓜にもなれば、ゴムボールにもなります。ですから西瓜を丸ごと描いた絵はプロにはありますが、アマさんはたいて切った西瓜が描いています。「切る」といえば、蕎麦も切りが大事でしょうが、西瓜やメロンの切り口も大事です。スキッと切れた西瓜には涼味が感じられます。
 ところで、この縞々は野生種の時代にはなかったそうです。突然変異で縞が出たら、それが目立って鳥が食べ、鳥によって種が運ばれて広く分布して縞のある西瓜の方が生き残ったそうです。
  じゃあ、虎や縞馬の縞はどうなの? ということになりますが、詳しいことは分かりません。ただいえるのは、最初は「たまたま」縞ができたのでしょうが、その「たまたま」を上手く利用して、生存競争で生き残ったことだけは想像できます。

 8月20日の昼。
 鵯が悲痛な声で鳴き叫んでいます。例の母鳥です。とうとう雛が生まれないことの現実を知ったようです。30分以上も空に向かって鳴き続けました。マンションの違う室の方が窓を開ける音がしました。どうしたんだろうと思われたのでしょう。母鳥は鳴き声を残しながら、空に飛んでいきました。
 「母は強し、されど母は哀し」の夏の出来事でした。

〔エッセイスト ほし☆ひかる〕