石田梅岩(1685~1744)は、石門心学の創始者と言われる。
石門心学は、梅岩学、町人哲学、又、商人の哲学とも呼ばれる。梅岩は、丹波の農家に生まれ、長く京都の商家に勤めた実務的商人である。
梅岩は、思想的には鈴木正三の考え方を受け継ぎ、更に発展させて、幕藩体制下の重農賎商観を打ち破り、商人たちに対して、実践的な道徳を説き、商行為を積極的に肯定する思想を展開した。
梅岩学は、江戸時代中期に興隆しつつある商品経済の合理的なメカニズムに、適合する近代的な思想として、大きな役割を果たしている。
梅岩は、「商人の道」を説いて次のように言う。『商人の基の始めを言わば、古はもと余りあるものを以って、その不足ざるものに替えて、通用するを本とする。
その上、天下の財宝を通用して、万民の心を安むるなれば、天地四時流行し、万物養わるる同じく、合い叶わん。
しからば、天下公の倹約にも叶い、天命に叶いて福を得べし』
商業活動は、「天下」の「余りあるもの」と「不足もの」を互いに通用し、「万民の心を安むる」という行為であり、人間がこの世界において果たさなければならない役割の一部を担うものである。
「天下の財宝を通用する」という行為は、従って、「天下四時流行し万物養わるる」ようにあらしめている天地の意志を体現した一つのあり方、即ち、人間としてあり方の一つであるというのである。
又,云う。
『商人皆農工とならば、財宝を通用する者無くして、万民の難儀とならん。
商人の売買するは天下の助けなり。天下万民産業無くして、何を以って立つべきや。
商人の買利は、天下御免の禄なり。
商人の道というとも、何ぞ士農工の道に変わることあらんや』と。
商業活動は、政治を担当する武士階級が、社会的に果たす役割と何ら本質的に変わらない重要な役割なのである。
社会的な身分の差は、単なる職分の違いに過ぎず、人間は本来的に平等であるとの人間観を示したのである。
この時代に一般的であった「賎商観」に対して、商人の社会的存在意義を強調したことは、極めて近代的であり、注目に値すると言えよう。
『実の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり』とも云う。
梅岩は、商人の商業活動は、売買と言う行為によって、買い手と売り手の双方が共に利益を得るのでなければならないと考える。
「先も立ち、我も立つ」商業活動を実行するためには、あらゆる取引や商品が、それぞれ本来「天」=宇宙から与えられている「形」=本質に適応した対応がなされなければならない。
これが実現できて初めて、商業活動は「天地が万物を生え育つ」意志に適う正しい行為と認められ、「実の商人」と云えるのである。梅岩は、このような「実の商人」たるためには「学問の力」が必要であると考える。
『学問の至極というは、心を尽くして性を知り、性を知れば天を知る。天を知れば、天即孔孟の心なり。心を知る時は天理はその中に備わる』
「学問の力」を持つ「実の商人」とは、「万物」に対し「万物」を写す心を磨く事によってその本質を知ることが出来る商人のことである。
梅岩の言う学問とは、抽象的な学問体系とは無縁の、日常的な諸問題に正しく対処し困難を解決するための処方箋のようなものと言えよう。
換言すれば、日常的諸問題の克服に正しく対処する、強靭な道徳的根拠こそが、梅岩の考える学問である。
『我教ゆるところは、商人に「商人の道」あることを教ゆるなり』と云うように、「道」つまり道徳を説く事が梅岩の目的であった。
『士農工商各々職分異なれども一理を会得する故、士の道を言えば農工商に通い、農工商の道を言えば士の道に通う』と云い、道徳的な道、心、一理の実在に対する強い確信を持っており、梅岩学の本質は実践的道徳論と云うべきである。
梅岩は、商人の実践的な道徳目として『倹約』を説く。
梅岩の考える『倹約』は、単に無駄使いをしないとの意味ではない。
『倹約は、財宝を程よく用い、我が分限に応じ、過不足なく物の費え捨つることを厭い、時に当たり、法に適うように用ゆることなるべし。
我がいう倹約は只衣服、財宝のことのみにあらず。
統べて私曲なく、心を正しうするように教えたき志なり。
倹約というは他の義に非ず。生まれながらの正直に返したきためなり。
天より生民を降すなれば、万民は悉く天の子なり。故に人は一個の小天地なり。
小天地ゆえ本私欲無きものなり。
この故、我が物は我がもの、人の物は人のもの、貸したる物は受け取り、借りたる物は返し、毛筋ほども私無くありべかりにするは、正直なる所なり。
この正直行はるれば、世間一同に和合し、四海の中皆美の如し。
我が願うところは、人々をここに至らしめんためや故に、その私欲を離るることを説き来たれり。
我欲ほど世に害をなすものはあらじ。
この味を知らずしてなす倹約は、みな吝に至り、害をなすこと甚だし。
我言う所は正直よりなる倹約なれば、人を助くるに至る。
倹約の至福というは、天下のためにも、道のためにも、わが身のためにもあらず。
為と言う意味あらば、実にあらず。何もかも打ち忘れて法を善く守るを倹約と思えり』。
『倹約』とは、「財宝をほど良く用いる」ことであり、「心を正しうするように教えたき」が故に説かれる。「財宝をほど良く用いる」ということは、「万物」のそれぞれにに対して、天から本来与えられているそれぞれのしかるべき役割に添う、対応と扱いがなされるということである。
そのために「私心」のない「天地物を生じる心」となした「正直」の心が不可欠なのである。
「物の法に随う」とは、「物の肝要を守ること」である。
「物の肝要を守る」とは、「天地」が「万物を生じ養う」意志に従った対応と扱いをなすことである。
梅岩のいう『倹約』は、最も本質的、基本的な「人間の心のあり方、生きる態度」そのものであり、主として商人や農民たちの経済主体としてのあるべき行動様式、つまりは利潤極大化をめざす行動様式であり、同時に、消費に於ける効用の極大化を目指すものでもあつたのである。
鈴木正三は「働く」ということを成仏の手段とした。
梅岩はこの考え方を消費の方へと発展させた。
梅岩が、消費の倫理を単なる個人倫理ではなく、社会倫理まで発展させたことが、その後の日本に大きな影響を与えた。
消費の倫理は、人間の意志による自己規制である。
その規制は、自立性となり、やがて社会秩序の基盤となる。
鈴木正三の『何に事業も皆仏行なり』で世俗的行為即宗教的行為として、一心不乱に働き、その上に石田梅岩の『消費の倹約』という世俗の中の禁欲」を強調すれば、否応無く資本は蓄積する。
かくして、商人は、道徳的な動機により飽くなき利潤追求に向かうのであり、道徳が経済を担保し、促進するという関係にある。
梅岩学は時代の商品経済に適合し、その従事者たる商人たちに「商人の思想」として、大きな影響を与えていく。
このような梅岩の思想は、「石門心学」という通称から唯心論と誤解されているが、梅岩はどちらかと言うと「物」を中心に世界を考えている。
梅岩自身は、自らの思想を『心学』と称した事実はないという。
石門心学の名称は、梅岩の弟子、手島堵庵により名付けられたようである。
『「人」は「物」なり。万物同根一体にして「人」・「物」の分かれなし。然るに「人」を貴しとするは、「仁の理」を得る故なり。「仁の理」を得ずんば、何ぞ「物」と異ならん。「仁」ある故に「人」貴し』
と主張している。
梅岩は、精神的、心的なものより、物質的なものを根源的なものと考えたのである。
梅岩は、『物』と『心』の関係のついて、「汝、万物に対せずして何によって心を生ずべきや。」という。
また、『心』は鑑に喩えられ、これに映る『万物』それぞれの『形』に、何の偏向も加えない対応がなされるべきだとしている。
人間さえも『万物』の一つ、「一物」であり、「物の法に随う」べき存在と捉えていた。
『天命によりてあらしめている物の法に随う』との梅岩の考え方には、事実をありのままに認識し、それに基付いて行動しようという、近代的な経験主義、実証主義の芽生えが感じられるのである。
(以下次月)
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