最新の食情報を動画配信する食の王国【フードボイス】 食の安全、安心、おいしさ、健康を提唱しています
農業写真家 高橋淳子の世界
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾【バックナンバー】

農業写真家 高橋淳子

1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、


1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、


1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。


1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身

鈴木貞夫氏(すずきさだお)
1934年1月3日生

【12月号】
<日本商人道の系譜>・・・ 鈴木正三と石田梅岩

その1・「歴史に学ぶ」

日本は今、政治、経済、社会、教育、経営などのあらゆる分野で、大きな転換期にある。
敗戦から61年を経た今日、社会の規範が崩れた状況に見える。空虚な現代史認識、靖国参拝に関わる近隣諸国との軋轢、モラルの消失、家族の崩壊、人命軽視などがその事を如実に物語っている。
加えて、グロ―バル化の進行の下、アメリカの産業的、金融的資本が市場原理主義を武器に、世界の多くの国々の自然、社会、文化そして人間を破壊しつつある。


市場原理主義は、「儲けること」を人生最大の目的として、「倫理的、社会的、人間的な営み」を軽んずる生き様を、良しとする考え方である。人間としては最低の生き様であるこの市場原理主義が、近年の小泉構造改革の下で、日本に全面的に輸入され、格差社会の到来と社会の非倫理化、社会的靭帯の解体、文化の俗悪化、そして人間的関係自体の崩壊を加速しているのである。 これは将に、危機的状況というべきである。


こうした内外に関わる社会的シンドロ―ムともいうべき病理は、戦後日本人の「他者への慈しみ」、あるいは「共存という人間の条件」を軽視し、「経済を神話」にしてきた価値観や、戦争責任を曖昧にしてきた戦後改革の歪みに起因している。


今ある病理を治癒し、我らの愛する日本を、明日への希望を見出せる、もっと「人間的、自然的、社会的に魅力あるもの」にするためには、歴史に学ぶ事が大事であると思う。 大きく変化し、混乱する時代には、根源的なものに立ち返るべきであり、人類の経験の集積である歴史と先賢の叡智の結集である古典に学ぶしかない。


歴史を学ぶ事は、未来を切り拓く智慧と教訓を見出すことである。

歴史を知ることで、自らの使命を確認し、次の前進への活力とすることが出来る。

歴史を軽んずる者は、必ず道を誤ると云ってよい。歴史を知る以上の武器は無い。


私達は、常に歴史から謙虚に道を学ぶ求道者であり、同時に、新しい歴史を築き行く建設者でありたいと思う。
歴史を学ぶという事は又、人間を学ぶ事であり、人間の生き方を習うことになる。私達の先人・先賢が、「同じ人間としてどう生きたか」を探していかないと、「自分の生き方の座標軸」は明確にならないからである。


私はかねてから、「あきんど」という言葉が大好きである。
「あきんど」という言葉には、商売の原点や本質が込められていると思う。広辞苑によれば、「あきんど」は「秋人」または「あきうど」からの変化とされ、その昔、農民の間に収穫物などを交換し合う「あきない」が、何時も「秋」に行われていた事に由来するという。
「あきんど」の活動は極めて古くから存在し、人類の歴史と共に古く、世界史上のあらゆる時代と地域に見られるものである。


人間は、地球上に生きる様々な生物が織り成す生態系の一環を構成する生物であるが、生物として生きていくために、「食べると言う行為」は生存の基礎であることはいうまでもない。人間は、食糧を食べなければ生きてはいけない。 その意味で人間の生活にとって、「食糧の生産と消費」は、欠くことのできない万古不易の命題である。


人間は、それぞれの時代に、それぞれの社会で、それぞれのやり方で、この命題を解決してきた。 これからもまた、この命題を解決し続けなければならない。
人間は、衣食住に始まり、精神生活に至るまで常に必要を満たしていかねばならないからである。商業の歴史を振り返る時、この視点が何よりも大切である。
その中で商人・「あきんど」の担う役割は、社会に生きる全ての人々の生命・生活を支える機能として不可欠な構成要因である事を忘れてはならないと思う。


このような商人の社会的機能を使命観として明確にし、商人道とも云うべき思想・哲学にまで高めたのは、江戸時代の鈴木正三と石田梅岩である。山本七平著「勤勉の哲学」と今井淳・山本眞功編「石門心学の思想」を参考にしながら、日本商人道の創始者とも云うべき、この二人の思想を紹介したい。



その2・「鈴木正三と資本主義の精神」


鈴木正三(1579~1655)は三河生まれ、徳川家康の家臣、関が原、大阪の陣にも参戦した戦国武士であり、江戸幕府初期の直参旗本であるが、42歳で出家し、世法即仏法の倫理思想を主張した。正三が生きた時代は、100年以上続いた戦国時代が漸く終わり、徳川幕府300年の文治体制が始まる歴史的移行期であり、士農工商の身分制度が固定化していく時代でもある。この時代は「足軽から太閤への夢」が消えた、ある意味では不安定と逼塞の時代であり、仏教形式の方法論が重視された時代でもある。


『何の事業も皆仏行なり。仏行の他なる作業あるべからず。

一切の所作皆以って世界のためとなる。

鍛冶番匠を初めて、諸職人無くしては世間の用所調うべからず。

武士無くしては世治まるべからず。

農人無くして世界の食物あるべからず。

商人無くして世界の自由あるべからず。

この他あらゆる事業出できて世のためとなる。ただ一仏の徳用なり。

かくのごとき有難き仏性を人々具足すると言えども、我とわが身を賎となし、悪心悪行を専として好みて

悪道に入るを、迷いの凡夫とはいうなり。』


この考え方を一つの近代思想として確立したのが鈴木正三である。その発想の基本は「世俗的行為は宗教的行為である」と言う点にある。


働く事=労働を宗教的救済の方法と見、これに徹する者ほど精神的に健康であるとしたが、これが日本人の労働観、職業観の基礎となり、やがて日本的資本主義の精神的な源泉になっていくのである。この成仏の方法=仕事と言う考え方は、日本独特のユニ―クなものである。この考え方は、イスラム世界やキリスト教的な「聖俗分離」の伝統とは、全く異なるものである。正三の思想は、「現実の生活の中に仏道修行を実現しよう」と言うものである。


「士農工商」という「現実の家業に精励する」中に仏教の本質があり、且つ、「仏教が実現される」とする仏教の職業倫理を述べたものであり、優れて近代性を持つ経済倫理である。「士農工商」という分業は、「一仏分身して世界を利益したまう」為であり、武士は秩序維持、農人は食糧、職人は必要な品々の提供、商人は流通をそれぞれ分担するのが宗教的な義務であり、それが各人の職能であり、それに専念することが仏行である。


『売買をせん人は、先得利の益すべき心使いを修行すべし。

その心使い方は他のことにあらず。

身命を天道に抛打ちて、一筋に正直の道を学ぶべし。正直の人には,諸天の恵み深く、仏陀・神明の加護

有りて、災難を除き、自然に福を増し、衆人愛嬌浅からずして、万事に叶うべし。

我欲を専として自他を隔て、人を抜きて得利を思う人には、天道の祟りあり。

禍を増し、万人の憎しみを受けて衆人愛嬌無くして、万事心に叶うべからず。』


鈴木正三は、宇宙に「一仏」と言う本質的対象を見、それが宇宙の秩序であり、同時に人間の内心の秩序であるべきだと考えていた。正三は、宇宙の秩序と、人間の本心=仏性と、衆生の集まりである社会の秩序は、「一仏」の徳用であるという三位一体論に立ち、各人が全て成仏して仏性通りに生きれば、各人の内なる合理性と社会の合理性が一致すると主張したのである。正三の発想の根底には、各人の中に平等に「仏性」=人間性があり、それは万人共通との考えであり、「共通なる人間性への信仰」、「徹底した人間平等主義」があると言えよう。鈴木正三は、将に一種の天才である。


天才はしばしば自分も予期しない大きな影響をその社会と後世に与えるものだ。その理由は天才だけがある種の本質を、直観的に把握できる点にあるという。天才と言えども時間と空間の制約を逃れる事は出来ない。だが、天才は、通常伝統の枠内に居ながら、常人には絶対に結びつかないと思われる二つ以上の概念を結び合わせて新しい世界を開くのである。正三も例外ではなく「世法万事」と「仏法」とを結びつけたのである。これは当然に意識の変革を促す革命的な發想であり、その事が通念の打破となっていくのである。


鎌倉時代から、禅宗は武士の宗教、日蓮宗は町方の宗教、真宗は農民の宗教と言う一種の通念があったが、鈴木正三は、これを「四民の日用」の基本と変えたのである。これは、「心学」の考え方といえよう。


正三は、『老子の教えも、孔子の教えも、昔天竺に発興せし外道の教えも、仏道も、一つなり。少しも変わることなし』という。後述する石田梅岩も又、『仏・老・荘の教えも、いわば心を磨く磨種ならば捨つべきものにあらず』という。両者にとって一切の宗教思想は、人間が仏性=人間性通りに生きる、ごく自然な生き方をする方法論になるのである。


「心学」の中心的命題は、常に自己に内在する何か=仏性=人間性であり、思想・宗教は、あくまでも「薬」=「磨種」=「方法論」であり、思想それ自体を絶対視しない所が、西欧の「神学」との決定的な違いである。この発想、即ち、あらゆる思想を「薬」=「磨種」=「方法論」と見る考え方は、現代日本にも受け継がれ大きな変化は無いと言える。明治以来の日本は、全ゆる西欧思想を、やはり「薬」として受け入れ続けているからである。


「心学」の基底にあるのは、一種のプラグマティズムであり、個の自覚である。個の中心にあるのが「心」であり、その「心」の健康を維持するための「処方箋」を研究するのが「心学」ということになる。


鈴木正三の思想を継承し、更に深化・発展させ、広く日本全国に普及・浸透させたのみならず、後の日本の近代化に必要な資本主義の精神を用意していくことになるのは、石田梅岩に始まる「石門心学」である。


次回は石田梅岩について述べよう。

<< 11月号  1月号 >>
▲このページのTOPへ