<コンビニ創業戦記> 第8回
・・・ロ―ソンのル―ツ「サンチェ―ン創業物語」・・・
「サンチエ―ンの創業」
<T・V・Bサンチエ―ン時代(その2)>
――創業一年で100店舗達成に挑戦――
その意味で、始めは「地域で一番親切で便利なお店・サンチエ―ン」を旗印に、営業時間も「午前10時から深夜2時までの16時間年中無休営業」でスタ―トした。
オ―プン前夜 、準備を整え終えたプロジェクトメンバ―全員で、スクラムを組みながら熱唱した社歌「サンチエ―ン建設の歌」と「出陣の歌」が、今でも脳裏に聞こえてくる。
「サンチェーン建設の歌」 |
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「出陣の歌」 |
「サンチェ―ン同志に参加して謙虚と素直・誠実で我らの生きがいここに在りサンチェーン建設俺がやる」 |
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「厳しき冬も春を待ついざ出陣の鬨の声やらねば成らぬ命懸け決意も新た今ぞ立つ我ら正義の革命児
ソレ エイ エイ オ―」 |
明けて昭和52年(1977)1月に8店舗開店して、11店舗のチエ―ン体制となる。
3月に7店舗、4月には6店舗開店、合計24店となると同時に、営業時間を「全店24時間年中無休」に変更して、日本最初の全店24時間営業チエ―ンを実現した。
同じ4月に、サンチェ―ンとして初めての大卒一期生を数名採用した。
その生き残り、安平尚志さんは、(株)ロ―ソンの執行役員東北支社長として、現在も活躍しており、喜ばしい限りである。
メイン看板にも、太陽マ―クの中心に、{24}の文字を鮮やかに浮かび上がらせた。
更に、5月に4店舗、6月に11店舗、8月には12店舗出店して、50店舗を超えた。
その間、勿論の事、物事が順々と進行したわけではない。
基本システムが未だ確立されていない中での急速出店は、難しい課題を次々と噴出させた。
続々とオ―プンするための店舗要員及び本部スタッフをいかに大量に採用し、短期育成するか。
お客様の24時間の暮らしのニ―ズに適応した売場作りと、そのための店舗オペレ―ションの標準化を如何に実現するか。
そして、当時の流通業界の商流・物流の慣行的仕組みの中で,如何にして24時間年中無休営業に適応した店舗サポ―トの仕組みを構築するか。
更に、急速出店のための資金をどのように調達するか、等などの基本的経営課題である。
先ずは人材の問題である。
社員数は、始めに7名でスタ―トしたが、半年後には150名を超え、一年後の100店舗達成時には、380名に急増する。
毎週のように、「目標5000店・全国制覇の同志求む」の人材募集を掛けた。
四大新聞は言うに及ばず、特に大いに活用したのは、当時、風雲児として注目されていた江副浩正社長のリクル―ト誌であった。
20代,30代の個性的で、野心的な人材が多く、続々と集まった。
職業経験もばらばらで、小売業経験者はどちらかと言うと少なかった。
この人たちを即戦力にするには、短期速成教育しかない。
私は当初の数ヶ月、自ら入社合宿研修と毎日の朝礼・終礼を通じて、理念と目標・使命感の共有浸透、チ―ムとしての一体感の醸成に渾身の努力を傾けた。
T・V・B流の理念教育と規律と根性教育と共に、21世紀の商人としてのあるべき姿を求めていく姿勢の共有を考えていた。
社員としてのあり方を求める「心訓」「サンチェ―ン店長心得」の斉唱、社歌「サンチェ―ン同志の歌」「目標5000店の歌」などのスクラム合唱などを繰り返しながら、一人一人の若い力を組織的な力に昇華させようと,必死であった。
厳しさに耐えかねて、脱落する人も多かった。 だが、創業初年度に入社した人々の中から、幾多の試練を乗り越えてその後のサンチェ―ンから現在のロ―ソンへと飛躍していく、全国チェ―ンの中核となる人材達が、頼もしく成長していく。
現(株)ロ―ソンのCRO浅野学取締役も、その一人である。
「心訓」 |
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「サンチェ―ン店長心得」 |
1・礼節第一
2・目標完遂
3・先手必勝
4・人格向上
5・忍耐成功
6・質実剛健
7・同志団結 |
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1・いつも元気に明るい笑顔を忘れません
2・いつも細心よく気を配ります
3・いつも時間厳守で信用を築きます
4・いつも正しい言葉使い「いらっしやいませ」「有難うございます」
「はい」「かしこまりました」「お待たせいたしました」を忘れません
5・いつも清潔・整理・整頓を実行いたします
6・いつも意見は堂々と組織を通して発言します
7・いつも正確な数字と具体的な事実で発言します |
加えて、4月からは、謄写版による手作りの社内報「サンチェ―ン流通レ―ダ―」を、週刊で発行し始める。
やがて5年後に,活版の月刊社内報「ひまわり」に変るが、平成元年(1989)3月合併してダイエ―コンビニエンスとなるまで13年間、発行し続けた。
この社内報には、私の方針とサンチェ―ン建設に掛ける熱い思いを、毎号、情熱を込めて書き続けた。
私の手元には社内報の全号と、13年間のサンチェ―ン社長時代に日々書き溜めてきた60冊に余る社長日誌が残っているが、これらは、将に、サンチェ―ンの歴史そのものの記録であり、私の生きてきた軌跡でもある。
これらを見るたびに、当時のサンチェ―ンの、日進月歩の変化の速さと、その時々の厳しく、真剣で、充実した情景の数々が、まざまざと思い出されるのである。
(以下次月号)
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