<コンビニ創業戦記> 第11回
・・・ロ—ソンのル—ツ「サンチェ—ン創業物語」・・・
「サンチエ—ンの創業」
<T・V・Bサンチエ—ン時代(その5)>
——元気と馬力の源・社員総会——
このような流通業界を驚かせたサンチェ—ンの元気と馬力の源泉の一つは、四半期毎に開催を続けた社員総会にもあったと云えよう。
サンチェ—ン社員総会について少し触れておきたい。
サンチェ—ンの歴史にとって記念すべき第一回社員総会は、100店舗達成を目前にした昭和52年(1977)10月13日、豊島区民センタ—において、「栄光への出発」をテ—マの下に開催した。
豊島区民センタ—は、奇しくも私が東京丸物百貨店時代に労働組合の結成大会を開いたなじみ深い場所であり、この後、何回も御世話になる会場である。
その頃65店に達していたサンチェ—ン各店の店長を初めとする240名の社員同志が続々と結集、若さ溢れる情熱と力強いスクラムを組んでの社歌の熱唱が、会場に響き亘った。
TVBの小松崎会長は、
『流通革命への勝利の道、
それはお客様から
「ありがとう」と
云われることです。』とのメッセ—ジを贈ってくれた。
各部方針目標発表、優秀店表賞、新店店長・新入社員紹介、各部幹部決意表明などの議事次第進行の後、私は、
『この日を機会に、3ヶ月に1回位、こうして全員が集い、明るく、若々しく、お互いの成長を確認し合う同志団結の場として、このような社員総会を続けて参りたい。
皆さんの日々に夜をついでの奮闘努力により、サンチェ—ンも、よくここまで成長して来れたとの感慨が深く、皆さんには日頃の命懸けのご健闘に対し、心から感謝申し上げる次第です。
しかしながら、我社の現状は、決して安易な喜びに浸れる段階ではない。
100店舗達成とは云っても、大目標5000店に比すれば、ほんのスタ—トの一節を乗り越えたに過ぎないし、サンチェ—ン全体には、急成長・急速出店に伴なう必然的な弱点や未熟さが沢山残されているからだ。
これからが本当の勝負である。
我々は、現状の組織・人材・システムに内在する弱点を克服しつつ、一層の規模の拡大と更なる質の充実という大両面作戦を断固勝ち抜いて、流通新時代を切り開いていかねばならない。
この作戦の個々の局面は、小さな問題から大きな問題まで含めて、極めて多種多面的で、一見複雑な様相を呈しようが、本質的には、「住みよい社会、より良い人生を建設しよう」との熱き想いを、全員が日々確認し合いながら、お互いが切磋琢磨・練成練磨して成長していくことに尽きると考える。
そのために、我々一人一人が、
・常に勉強しよう。
・お客様、お取引先、上司、同僚に徹底的に学ぼう。
・流通理論、経営理論、商品知識、教養を深め続けよう。
そして、組織としては、
・全て事前に綿密な計画を練ろう。
・決めた方針は完全に徹底しよう。
・万事に全社員の呼吸を合わせよう。』、と熱弁した。
参列した佐野憲児TVB副社長は、
「どうかサンチェ—ンが流通業界の一つの清涼剤となって、本当のサ—ビスとはこういうものなのだと示し、皆さんの若さと素晴らしく明るい笑顔とサ—ビスで、このサンチェ—ンを確立して欲しい。
誇りと情熱を持って頑張って頂きたい。」と激励した。
最後に、社歌「出陣の歌」「目標5000店舗の歌」を全員がスクラムを組んで熱唱、各部ごとに幹部を囲んで記念撮影を行い、溌剌・威風堂々たる雰囲気の中で終了した。
このような社員総会は、やがてサンチェ—ンFジ—総会や社員運動会、ソフボ—ル大会などを加えながら、昭和54年ダイエ—グル—プ入りしてからも継続され、平成元年にロ—ソンと対等合併するまで、13年間に亘り多彩な形で、続くことになる。
特に創業期の数年間は、社員総会などの場を通じて、各地域に分散・孤立して勤務するお店現場の店長さんたちや社員たちとの日頃のコミュニケ—ションの不足を補い、顔と顔、熱と熱との触れ合いの中で組織的使命感と一体感を作り上げていくほかに方法はなかったと、今でも確信している。
それだけに、当時の社員総会の記録や写真などを見ると、若々しい顔が懐かしく居並び、いろいろな事がまざまざと蘇ってくるのである。
何れは一冊の記録写真集にまとめたいと考えている。
第一回社員総会終了翌日、私は業界紙の企画による「米国コンビニエンスストア視察セミナ—」の団長として、コンビニの本場アメリカへ、初めての米国視察に出発した。
同じこの10月、サンチェ—ンは日本TVの「プロ野球ハイライト」の番組を提供し、最初のTVCMを放映し始めた。
かくして創業初年度は、100店舗達成という大目標への挑戦を中心に終始して、終える事となる。
迎える昭和53年(1978)は、愈々全国展開の布石が始まる年である。
(以下次号) |