第107話 匂いの味

     

 

☆都内のファストフード店にて 

 あるとき、安さが売り物の全国的居酒屋チェーンで貧しい体験してしまった。

 連れの誰かが、サラダを注文した。メニューにはグリーン色で「ヘルシー」と謳ってあった。しかし、運ばれてきたサラダは、何と手で千切っただけのキャベツが小皿に入って、上に塩昆布が振り掛けられているだけのものだった。もちろんキャベツの味も匂いもしない。「これが料理か、まるで鶏の餌ではないか」と憤りさえ覚えた。

 ワイワイと賑わう店内を見渡すと、店員さんは若い人と、外国人のバイトさんばかりであった。場違いといってしまえばそれまでだが、何かが壊れているような思いにとらわれてしまった。

 

☆スローフード 

 島村菜津さんの『スローフードな日本!』を読んだとき、島村さんの衝撃的な指摘に驚いた。

 ~ これまで《御浸》《膾》しか生野菜は食しなかった日本に、1960年代ごろからトマト、キュウリ、レタスを生で食べる《サラダ》文化が外国から入ってきた。それにつれて、ドレッシングの消費を増やすため、これらの野菜はどんどん品種改良され、本当の野菜の味がしない野菜が作られていった。気がつけば、「サラダ=ヘルシー」となって、ドレッシングをドボドボかける光景が全国どこでも当たり前になっている ~。

 あの居酒屋チェーンでの寒くなるような体験はそのためだったのかとあらためて痛感した。

 島村菜津さんの「スローフード」の著書

 

☆九州のラーメン屋にて 

 九州の佐賀に行っているときだった。義兄と「ラーメンを食べよう」ということになって、一緒に店に入った。

 カウンターに座っていると、お待ちかねの「九州ラーメン」が運ばれてきた。

 (余分なことだが、ここでは一括して「九州ラーメン」と言ってしまったが、正確にいえば、佐賀、長崎、博多、熊本のラーメンは其々風味が違う。)

 義兄は、すぐに一口すするや「葱の匂いがしないから、もっと葱を入れてくれ」と言った。店主は、あいヨとばかりに薬味の小葱をさらにたっぷり振りかけてくれた。丼の表面はほとんど緑色の小葱に覆われたが、義兄は満足そうにラーメンをすすった。

 その懐かしい光景に微笑みながら、私も右に倣った。いま江戸蕎麦に慣れてきた私は、細く切って晒した葱に美しさを感じるが、そんな私でも、九州でうどんやラーメンを食べるときは自然と葱をたっぷり入れていることに、気づいたのだ。

 

 ☆九州の蕎麦屋にて

 九州の博多に行っているときだった。蕎麦と蕎麦料理が美味しいという評判の店「赤間茶屋 あ三五」を訪れた。

【「あ三五の蕎麦料理

 店主も、私も共に「日本そば新聞」という業界紙にエッセイを連載している。だからお互いに名前は知っていたが初対面だった。私たちは「やっと、お会いできましたね」と笑いながら挨拶をした。

 店は全席カウンターだった。だから寿司屋さんのように、蕎麦と蕎麦料理について店主と客が語り合いながら味わうスタイルになっていた。常連客にとっては楽しい仕組だと思う。

 最初に出された料理は蕎麦と芹を合えたものだった。さっそく芹を噛む。芹の強い味が舌に響き、「素材の味が強すぎるかな」と思った。

 次々と珍しい創作料理が、ここには紹介しきれないぐらいに出てきた。蕎麦寿司は湯葉で巻いてあった。大好きな鴨も出てきた。厚めに切った鴨肉の匂い立つような一片を噛みながら、「これが鴨の味だ」と思った。そして、先ほど「味が強すぎる」と感じたことは間違いではないかと思った。

 そのときご主人が「九州人はね、匂いがしないとだめなんです」とおっしゃった。「そう。やはり匂いも味のひとつなんだ」と私も内心で納得した。

 

 以前、ある会議の後で、「玉屋」という蕎麦屋のご主人が私に「昔の蕎麦屋は蕎麦の匂いがプンプンしていたもんだ。それが今では全く匂いがしなくなった。なぜだ?」とおっしゃっていた。

 この「なぜ?」はずっと心に引っ掛かっている。これからも「匂い」の味を求めていこうと思っている。

 参考:島村菜津『スローフードな日本!』(新潮文庫)、

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる