第161話 土の唄

     

食の思想家たち八、開高健

  私がはじめて深大寺を訪れた二十数年前、このあたりは人家もほとんどまれであり、通る人もなかった。山門の傍らの小さな池のほとりに、たった一軒、江戸時代からつづくそば屋があった。「深大そば」といって有名であり、明治時代からここで名月の夜に句会をやったり、また風流人の訪れる淋しい場所であったらしい。

  これは亀井勝一郎の『古典美の旅』(主婦の友社)の中の「晩秋の深大寺」という文の一節である。発刊したのは1965年であるから、「二十数年前」というのは1943年ごろ、つまり戦中のことであろう。

 もちろん、現代の深大寺地区には二十数軒の蕎麦屋が並び、多くの観光客でにぎわっているから、亀井が描いた景色とはほど遠い。であるのに、今の深大寺を表現しているようなところも感じられる。

 物事というのは千変万化するが、中には変わるものと変わらざることがある。それを見抜くのが眼力というものであろうが、亀井の描写にはそれがある。それは、おそらく亀井が奈良の白鳳仏に造詣が深いため、その感性から同時代の白鳳仏を有する深大寺地区の本質のようなものを掴んでいるからではないだろうか。

 深大寺の白鳳仏

  ところで、この「有名な深大そば」のことであるが、深大寺蕎麦を有名にしたその源泉は江戸時代の蕎麦通である日新舎友蕎子が遺した『蕎麦全書』-「深大寺蕎麦の事」である。

 それには、「深大寺蕎麦」を口にされた上野寛永寺の五世公弁法親皇様が「風味が他の蕎麦とことなっている」とおっしゃったと紹介してあり、友蕎子自身も「その実充満して白く、味至極甘美」と述べている。

 公弁法親皇が上野寛永寺五世として在職されていたのは1690年~1714年、日新舎友蕎子が『蕎麦全書』を発刊したのは1751年、この時代を徳川幕府流に表現すれば5代将軍綱吉~9代将軍家重のころの話である。

 さらにそのころの江戸蕎麦史を語れば、1718年に雑司ケ谷で「藪蕎麦」が商われており、1748年には江戸で「砂場」の看板が見受けられる。そしてざる蕎麦、山葵、蕎麦湯が食されはじめたころであった。そんな動きに、日新舎友蕎子なる謎の人物が粋な蕎麦通として登場した、というわけである。

 話を戻せば、深大寺の蕎麦を学ぶことは、ひとつの《地域学》であるが、《地域学》というのは先人たちのその地域への思いを尊び、それを学ぶことから始まると思う。

 たとえば「深大寺蕎麦学」は、日新舎友蕎子の「深大寺蕎麦の事」(『蕎麦全書』)、あるいは齋藤月岑・長谷川雪旦の深大寺蕎麦」(『江戸名所図会』)、亀井勝一郎の「晩秋の深大寺」などを熟読していけば、深大寺蕎麦についてかなり理解が深まるだろう。

 だから、「これら先人の書を読まずして、深大寺蕎麦を語ることなかれ」であり、深大寺蕎麦学を始めるには、まずはそれらを購入し、本棚に置くことから着手すべきである。

 なぜ先人が遺したものを学ぶべきかといえば、その中には必ずや歴史を経てきた理念というものが埋もれているからである。

 深大寺蕎麦の理念、それはまさに〝風味〟〝甘美〟ということであろう。

 その「風味がいい」とか、「その実充満して白く、味至極甘美」とはどういうことか? それを研究していくのも「深大寺蕎麦学」の目標のひとつであると考えるが!

  ところで話は変わるが、開高健に『ロマネ・コンティ・1953年』という短編があるが、そこにこんなことが書かれてある。

 ここに1935年産のロマネ・コンティがある。そして今は1972年。だから、一般的にはこれを37歳のワインだという。 しかしよく考えると、これは葡萄だけを作って1935年になる土からできた酒だから、1935歳の酒が37年間寝ていたということになる。葡萄酒は土の唄なんだよ。

 と、登場人物たちは土の大切さを大真面目で話している。さぞや、他の人たちが聞いたら呆れるだろう。

 しかし、ワインや酒には疎いが蕎麦好きの小生には、この場面がよく理解できる。そう。土だよ ― 蕎麦だって土の唄なんだよ、と。

 それに、《地域学》というのは、当然ながらその土地を愛していなければならない。深大寺地区の土壌、地形、環境などを知らなければならない。その土地と農産物の関係を学ばなければならない。だから、開高健のこの言葉 ―「土の唄」 は《地域学》の思想である。

 それを認識した上で、深大寺地区では、いつから蕎麦が栽培されていたのか? たとえば、1645年刊の『毛吹草』には武蔵国は蕎麦が名物だと紹介してあるが、この「武蔵国の蕎麦」とは深大寺のことなのか? など、 深大寺の土と深大寺の蕎麦 ― 風味がよくて、甘美なる蕎麦 ― の関係を明かにするのが、「深大寺蕎麦学」の道であると考えるが、いかがだろうか。

 参考:第3回深大寺そばの学校、日新舎友蕎子『蕎麦全書』(1718年)、齋藤月岑『江戸名所図会』(1834.36年)、大田南畝『大田南畝全集 第九巻』、亀井勝一郎「晩秋の深大寺」(『古典美への旅』旺文社文庫)、江守奈比古『八百善物語』(新文明社・1962年)、笠井俊弥『蕎麦』(岩波書店)、 ほしひかる「蕎麦談義」(フードボイス)、ほしひかる「蕎麦夜噺」(日本そば新聞)、開高健に『ロマネ・コンティ・1953年』(文春文庫)、三島由紀夫『鏡子の家』(新潮文庫・1959年)、松本清張『波の塔』(文春文庫・1959年)、泉鏡花『深沙大王』(岩波書店)、鏑木清方『こしかたの記』(中公文庫)、

 深大寺蕎麦シリーズ(第161、155、154、132、128、124、48、36、9、7話)、

「食の思想家たち」シリーズ:(第161 開高健、160 松尾芭蕉、151 宮崎安貞、142 北大路魯山人、138 林信篤・人見必大、137 貝原益軒、73 多治見貞賢、67話 村井弦斉)、 

 〔江戸ソバリエ認定委員、エッセイスト ☆ ほしひかる〕