第193話 妄想、江戸蕎麦レストラン

     

 

☆香で食べる

 知人の小山ゆうなさんが演出する舞台『群盗』を見にいった。ドイツ生まれの小山さんだ、ドイツ文学には馴染みがあるのだろう。

 開幕までの間、もらったパンフレットを捲っていると、「香り」という文字に目が止まった。「演出、照明、美術、衣裳」担当と並んで書いてあるのである。「香りの演出とは、面白い」と思った。

 始まってみると、たしかに会場に森や草や土の匂いが流れてくる。主人公カールの恋人アマーリアが歌をうたうときは、スイートオレンジとローズの甘酸っぱく高貴な香りが微かに漂う。こういうのをBGMならぬバック・グラウンド・アロマとでもいうのだろうか。新しい演出法だと関心をもった。

 舞台と香りといえば、明治14河竹黙阿弥が五代目尾上菊五郎のために書いた『雪日暮入谷畔道』(通称「蕎麦屋」)が知られている。舞台の上で実際に主人公の直次郎が《かけ蕎麦》を食べるから、つゆの香りが客席に漂うわけである。それを知ってから、私も「蕎麦と香り」で何か演出してみたいと思うようになった。そこへ演出家の米山穂積氏から「『蕎麦切り』を書いたので、蕎麦の場面をアドバイスしてほしい」と言われた。いい機会であった。さっそく、つゆの匂いを流すことを提案した(平成22年度)。お客さんの中には、舞台の帰りに蕎麦を食べられた方もいるという。

 蕎麦は香がしなければ蕎麦ではないし、香のしない山葵は山葵ではないだろう。味覚は香に負うところが多いのである。風邪をひいたときは味がしないのはそのせいだ。

☆音楽で食べる

 BGMといえば、舞台にはふつう香りもないが、音楽も少ない。音楽があるとすれば、ミュージカルか、歌劇か、または映画である。映画は音楽が付きもので、映画音楽は一つのジャンルをつくっている。ただ、今日もそうだったが、舞台でも、映画でもワンポイント的な劇中歌はとくに心に残る。『ゴッドファーザーⅢ』の「Brucia La Terra」や『アマルフィ女神の報酬』の「Time To Say Goodbye」は好きな曲だ。

 食関係でいえば、テレマンが作曲した「MUSIQUE DE TABLE」のような「食卓の音楽」というジャンルもある。食事を楽しくするための伴奏である。

 そういうわけで、蕎麦に合う音楽はないかといつも求めているが、調子のいいジャズやショパンのピアノなどは比較的合うのではないかと思っている。

 ジャズでは「SOBA-A-MBIENT」という珍しい曲がある。「かんだやぶそば」の女将の通し声がジャズの背景に入っているのである。お借りして平成16年度江戸ソバリエ・シンポの会場で流したことがあるが、皆さんはあまりお気付きになられなかったようだった。

 民謡では「祖谷の粉挽き唄」「出雲そば音頭」などがあるが、こうした民謡は山奥や山野で聞きたいものである。

 そんな風であれやこれやと蕎麦の音楽を調べているうちに、「蕎麦」という謡曲があることを知った。ただ、江戸時代のモノなので節は分からないという。そこで、知り合いの琵話琶奏者川嶋信子さんに作曲してもらって、私たちが開催した平成21年度江戸ソバリエ・シンポジウムで演奏してもらったことがある。

 心地よい音楽は気分に彩りを添えてくれるから、食事会の伴奏としてはうってつけだと思う。

☆色彩で食べる

 『コックと泥棒、その妻と愛人』という変な映画があった。「食! といったってしょせん喰うだけのことだ」とばかりに食文化を否定した映画があったが、それを文化性のある映画という手法でやったところが皮肉でもあった。しかも、そういう映画だから色づかいが実験的すぎて、赤いテーブル・クロスで食事をするときは赤いネクタイだったのに、同じ人物がグリーンの野菜保管室に行くときはネクタイがグリーンに変化するほどの凝り様で、色というのは扱い方次第ではグロテスクに陥るものだと示されたような映画であった。

 よく、絵の世界では「補色調和」ということがいわれる。たとえば、赤と緑、黄と紫、青と橙、黒と白、といった組合わせである。食でいえば、赤いトマトは緑の器に、紫色の茄子は黄色の皿に盛ったらよく合うというった具合だ。

 しかしながら、それは洋式の理論のよう気がする。和色の感覚には〝〟という好みがある。冒頭の映画がドギツかったのは色づかいが濃いせいもあったろう。

 それに日本人は黒や白も好きだ。それは白いご飯を主食としているところからきていると思う。白い皿に黒の海苔を、黒い器に白い蒲鉾を盛ったりと「黒白の妙」を楽しむ粋なところがある。

 だから、平成24年度江戸ソバリエ・ルシック特別セミナーとして、「蕎麦前の二大お摘み― 黒い焼海苔と白い板わさ」の講座を設けたことがある。

 

☆食文化

 「食文化、食文化と、必ず食には文化の字をお定まりのように付けるけど、これまで関係者で文化勲章などをもらった人はいない。の世界ではたくさんいるけれど・・・」と食の最高の専門家とよばれる熊倉功夫先生がある講演会でおっしゃった。

 確かにそうだが、わが国で「食は文化だ」と言い出したのは最近だ。それまでは、つまり昭和の高度成長期以前には「質素とか、儒教の精神から、食は控え目な世界にあるべきだった」というような台詞を耳にすることも多々あった。が、近頃ではそういう経緯さへ忘れ去り、突然に「日本食はヘルシーだ」と外国人から指摘されて、失ったシャパン・アズ・ナンバー1の身代りのように、妙な自信だけが強く出て、食べること、作ることに熱心だ。

 もちろん、作ること、食べることが食の基本であるが、香・音・色を学んでこそ食文化が成立する。

 とはいっても、われわれは香・音・色の感覚がバランスよくそなわっているとは限らない。

 それをふまえた上で、いつの日か心に残る江戸蕎麦レストランを演出してみたいナと妄想している。

 

参考:蕎麦談義(第178.107.89.75.64.6361.34.33.25話)

小山ゆうな演出『群盗』、シラー『群盗』(岩波文庫)、河竹黙阿弥『雪日暮入谷畔道』、米山穂積演出『蕎麦切り』、川嶋信子作曲「蕎麦」、ピーター・グリーナウェイ監督『コックと泥棒、その妻と愛人』(1989年)、フランシス・コッポラ監督『ゴッドファーザーⅢ』(1990年)、西谷弘監督『アマルフィ 女神の報酬』(2009年)、

 

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる