第416話 鮎、鮎蓼、鮎蓼切

     

~ 更科堀井 春の会 ~

大正の終りか、昭和の初めのころの、仲秋の名月の夜、滝野川(現在の駒込駅付近)の高級蕎麦屋『日月庵 やぶ忠』に上田万年・幸田露伴・久保田万太郎・豊島与志雄・佐藤春夫・獅子文六の文士たちが集り、鮎の塩焼などに旨い《せいろ》を食する会が催されたという。
昔から、鮎と蕎麦はお似合いとされていて、とくに獅子文六はそれが好きで、「鮎と蕎麦 食ふて わが老い 養はむ」と言っていたらしい。そのとき文六はもちろん鮎の塩焼を蓼酢にちょいと付けて食べていたであろう。
この蓼酢と鮎は「恋仲」といわれるほど相性がいい。だから、蓼のことを「鮎蓼」と言ったりするが、本当は「柳蓼」というのが正式らしい。噛むと、暫くしてキリッと辛い。こういう辛いものを食べる虫もいるということから「蓼食う虫も好きずき」という言葉が生まれた。

そういえば、蕎麦も蓼も同じタデ科の仲間である。そういわれても、いまの蕎麦と蓼は似ても似つかない。と、やや疑っていたところ、京都大の大西近江名誉教授が茅野市のそば資料館・研究センターに栽培されていた蕎麦の原種を見る機会があったが、何と、蕎麦の原種と蓼はそっくりだった。驚きつつも、大いに納得したものだったが、もしかしたら、蕎麦と鮎が合うというのは、蕎麦の仲間である鮎蓼酢を介してのことかもしれないと思ったりした。
かように、ふつうは鮎の塩焼が人気だが、孵化してまもない小さい鮎、いわゆる「稚鮎」の方は天麩羅にすることが多い。
天麩羅といえば、最近は蕎麦屋さんが得意とする料理になってきた。
だから、お蕎麦屋さんでも稚鮎の天麩羅を楽しむことができる。
私がよく行く猿楽町の蕎麦屋『松翁』では、稚鮎が身体を捻った瞬間を揚げて、皿の上に設えてくれる。つまり、横になって寝ていないから、稚鮎がまるで白い皿の上を泳いでいるかのようで、嬉しくなる。

さて、更科堀井の会もこの春で7回目。今回も江戸東京野菜研究家の大竹先生はたくさんの春の野菜を選んでくれた。
その中に鮎蓼があった。
『更科堀井』さんは「じゃ、変わり蕎麦の鮎蓼切をやってみようか」とおっしゃった。すると、林先生が「蒸籠の器の赤い縁を額縁に見立てて、そして蕎麦切を清流になぞらえ、稚鮎が泳いでいるように盛ってほしい」と注文を付けたところ、「蕎麦屋としては蕎麦の上に油物はのせたくない」とおっしゃる。
「う~ん。でも何とかして~♪」
最近はレシピを考える林先生と料理長の河合さんとの息もピッタリしてきた感じである。しかもお二人は料理人としていつも高みを目指しているように見える。

イザ本番当日、卓に運ばれてきたものを拝見すると、鮎蓼切の上に鮎蓼を敷いてあって、その上に稚鮎が泳いでいる。お見事! 林先生の狙い通りだ。

おかげで、みなさんは鮎蓼切と鮎蓼を美味しく食べ 尽くした。何のことはない。「蓼食う虫」とはわれわれのことだった!!

〔文・鮎蓼 絵 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕