第420話 「Food=風土」

     

または、信州の世界

☆信州蕎麦学
長野県の、蕎麦グループ「信州そばアカデミー」の人たちから、何か話せと依頼されたので、特急「あずさ」で往復してきた。
他の県で、蕎麦の話をするのは難しいが、今日のような信州、あるいはわれわれの住む江戸東京や深大寺地区では、何とか話ができる。
なぜかというと、これら信州、江戸東京、深大寺地区には蕎麦に関する文献がたくさんあるから、それに目を通しておけばあるていどのことは話せるわけである。
そんなわけで、それらの地区の関係者の皆様には、いつも「資料さえ集めれば、信州蕎麦学江戸蕎麦学深大寺蕎麦学というのが成立するのですよ」と申上げている。
わけても信州は、うらやましい条件をもっている。
どういうことかというと、一般的には次のようなことがいえる。
1)都会(江戸東京)は、文化的歴史をもっているが、産物が少ない。
2)地方は、歴史的文化は少ないが、風土という財産をもっている。
ところが、蕎麦に関しては、
3)信州は、蕎麦の歴史文化をもっていながら、地方産物も豊かだ。「実に羨ましい」と他県の観光課の人たちが口を揃えて云っている。

☆信州産山菜
というようなことから、信州蕎麦切の歴史などを中心にして、信州の存在価値みたいなお話をした次第である。

数日後、その会の代表の赤羽先生から、若緑色がたまらなく美味しそうな、楤芽(タラノメ)、漉油(コシアブラ)、アスパラを頂いた。
漉油というのはちょっときつい名前だが、古代では幹の樹脂を塗料にしていたところからそう呼ばれているらしいが、れっきとした山菜だ。
さっそく、天麩羅にした。天麩羅は熱々が美味しい。だから、摘まみ食いや、立ち食いが許されるが、それはそれとして、楤芽の微かな苦味、アスパラのあま味、漉油の青臭い味が際立っていて、美味しい。さすがは、採れ立ての山菜だ。やはり、よくいわれているように「Food=風土」である。

ここでふっと思う。
楤芽の微かな苦味は理解できるとしても、アスパラのあま味とは何だろう? もちろん糖分の甘味ではない。それに漉油に感じられる、山菜の香りそのものが味になったような、この青臭い味は何だろう?
そういえば、太田愛人という人(牧師・エッセイスト)の話によると、信州北部の人は山菜のことを「青物」と言うらしい。半年も雪の中で生活している者にとっての緑への渇望は大きい。だからそう呼ぶのだそうだ。それに山菜は土の中で香りを保持しているのだという。おそらく、それが香りそのものが味になったような青臭い味の正体なのであろう。
ところで、味は一般的に甘・鹹・辛・酸・旨・苦・渋の七味で表現するが、今日のような採れ立ての山菜の《青い味》に至福を感じているところからすれば、私たちは七味以外の味覚をもっているのだろうか。

信州の卓上に、青物料理や信州蕎麦切からなる《信州の世界》が繰り広げられれば、人間の味覚はかぎりなく広がっていくと思う。

《参考》
*太田愛人『辺境の食卓』(中公文庫)

〔文・挿絵 ☆ 江戸ソバリエ認定委員 ほしひかる