第618話 ヨーロッパ大陸の蕎麦事情

     

~スロヴェニアの文化の日のイベントに参加して~

☆スロヴェニア
数年前、一緒にサンフランシスコやニューヨークなどへ行ったことのある親友の松本行雄さんが、縁あって最近スロヴェニア共和国へチームを組んで出かけられている。そのスロヴェニア国の日本大使館で「文化の日」イベントが行われるというので、スロヴェニア・チームの松本さん・赤尾さんとご一緒させてもらった。
大使館は南青山にある。かつてスロヴェニアのイワン・クレフト先生に江戸ソバリエ講座の講師をお願いしたときに、打ち合わせのため訪れたことがあるが、脇道を入った所にあるため、何度行っても辿り着けない・・・。
さてイベントは、アナ・ボラック・ペトリッチ大使の挨拶から始まった。それによれば、今日の「文化の日」はスロヴェニアの国民的詩人フランツェ・プレシェーレン(1800~49)が1844年11月に詠んだ「Zdravljica」(祝杯)が1991年にスロベニアの国歌となったところから、彼が亡くなった2月8日を「文化の日」とするようになったという。
大使の挨拶の中で感心したのは、「スロヴェニア文化を大切にしたい。そのためには自国語を大事に守っている」として、世界各国の大学でスロヴェニア語の講座を設けてもらうよう交渉しているという点であった。だからだろうか、大使の挨拶は最後までスロヴェニア語で通された。
かつて移民の国アメリカでは、各人が勝手にそれぞれの出身国語を使っていた。それを英語使用に統一し、英語を話すことが新アメリカ人としての証としようということになった。(そのようにもっていった人物が誰か知らないが、実にスゴイ人物だと思う。)以来、彼らはどこの国に出かけていっても英語で通した。幕末に黒船でやって来たときもそうだった。日本語を決して理解しようとしない。相手に英語を理解させ、話させるのである。戦後の進駐軍もそうであった。これが現在英語が世界語になった所以である。
スロヴェニアという国は地図で見てもヨーロッパのほぼ中央に位置している。そのためか「言語(ラテン語・ゲルマン語・スラブ語・ハンガリー語)の交差点」ともいわれている。そうでなくてもヨーロッパ大陸というのは複雑だ。自国語を守るということは国を守ることにも等しい。スロヴェニアの人たちは、自国の言葉や文字を持つことが独立国の基本だという思いを大事しようとしている。今日の文化の日もそうした考えにあるようだ。

☆ヨーロッパ大陸の蕎麦
古のヨーロッパ大陸は、ギリシャ、ローマが支配していたとはいえ、ペルシャやモンゴルやオスマントルコが来襲したりと複雑だ。襲う=戦争というのは文明文化や民族や言葉が押し寄せて来るということである。
その波の上に蕎麦の伝来があった。だから東ヨーロッパからだとか、ギリシャからだとか、サラセンが持ち込んだとかの説が交雑しているし、また現実も第一波、第二波の伝来があったと思われる。
たとえば、このスロヴェニアがそうである。最初は東ヨーロッパから伝わってきており、1426年が蕎麦の記録の初見だという。ところが、この数世紀は逆に西ヨーロッパから再来している、とソバリエ講師のイワン・クレフト先生は指摘される。
その東ヨーロッパであるが、ロシア国ではロストフ・ナ・ドヌ市から紀元1世紀の蕎麦穀粒が出土している。またウクライナ国では紀元1~2世紀ごろには蕎麦があったとされている。
中国雲南省一帯の民族が栽培蕎麦を手掛けたのは約5000年前(大西近江説)。それが4000年前には世界各地への伝播を開始し、日本列島には3500年前ごろ到着しているが、ヨーロッパ大陸には約2000年前ごろ先ず東欧へと伝わったようだ。
そして、各国の資料を見ればチェコとスロバキアは12~13世紀ごろ、スロヴェニアは上述のように15世紀半ば、そしてオーストリアも15世紀半ば、フランス17世紀初頭に見られるらしい。その他の国の事情は詳しくないが、クレフト先生の話によれば、大小の差はあるにしても蕎麦栽培は大陸のほぼ全土で行われているという。
そこで、2015~17年の平均生産量を掲示してみるが、参考のために日本と北海道の生産量も付記しておこう。
ロシア1,190,620t、ウクライナ161,660t、フランス122,290t、ポーランド98,340t、リトアニア46,560t、(日本32,000t)、ラトビア15,330t、(北海道14,450t)、ベラルーシ14,240t、スロヴェニア2,740t、エストニア2,450t、チェコ2,400t、ボスニア・ヘルツェゴビナ1,120t、クロアチア900t、ハンガリー540t、スロバキア410t、モルドバ130t、ジョージア(グルジア)110tといった状態だ。
ところで、あちこちで海外での蕎麦活動の話をしたりすると、よく「中国やヨーロッパでも蕎麦は食べますか?」と訊かれることがある。この方たちが「蕎麦」と言っているときは、ご自身でもお気づきになられないくらいに漠然と《ざる蕎麦》のような蕎麦麺を付けて食べている姿である。しかし《ざる蕎麦》は和食である。彼の地で食べるわけがない。ただ、蕎麦粉の食べ物は食する。当然である。ロシア、ポーランドは《カーシャ》や《ブリヌイ》、イタリア、オーストラリア、アルザス地方は《ポレンタ》、フランスは《ガレット》、イタリアは《ピッツォケリ》など。これらはよく知られている。
とくに、当スロヴェニア国は農業国である。農作業のスタミナをつけるためにボリュームとカロリーいっぱいの料理が食べられてきた。たとえば飼育している豚に蕎麦粉の練り物やパンプディングが添えられたものなどが定番だそうだ。それに真っ黒の蕎麦パンだ。このようにスロヴェニアではほとんど自国で消費するため、輸出していないという。
他のヨーロッパ諸国にも、各々に適した蕎麦料理があるだろう。
ただ、面白いことに、東アジアの中・朝・日では、《鳥汁蕎麦など》《冷麺》《蕎麦切》という具合に各々全く別物の蕎麦麺を創り上げているが、ヨーロッパでは隣接した国では似たような物を食べているところがある。
そんな状況のなかで、世界各国、たとえばデンマークのアンデルセンは童話「The Bucketful 蕎麦」を書き、フランス・ノルマンディー出身のミレーはあの名作「種をまく人」を画いた。それらは世界蕎麦遺産にも匹敵する宝だろう。

〔文 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる

写真:スロベニア大使

参考:国境なき江戸ソバリエたちが訪れたヨーロッパ各国
http://www.edosobalier-kyokai.jp/kokkyou/kokkyou.html
(敬称略)
・イギリス:高島・小林(照)
・スロヴェニア:赤尾・佐藤(悦)・菊地・稲澤
・フランス:大前・田口・横田
・イタリア:宮本・石垣
・オーストリア:横田
・スペイン:宮本
・チェコ:鈴木(圭)
・ドイツ:横田
・ロシア:稲澤
・スロバキア:瀧上
・ヨーロッパ:五十嵐(静)