第963話 尼門跡 竹之御所流 精進料理
2026/01/26
東京・小金井に三光院というお寺があります。武蔵小金井駅から小金井街道を北へ行きます。少し歩きますが、分かりやすい所です。
ここは、初代住職の米田祖栄和尚が、京都の尼門跡(あまもんぜき)寺院曇華院の竹之御所流の食文化を移して一般に公開していることで知られています。
今日は、その三光院で「尼門跡竹之御所流精進料理の会」が催されました。
ソバリエの畑さんが携わっておられていることから、私もお誘いいただきました。精進料理は日本の麺誕生の母体といっても過言ではありませんから、興味津々で席に着きました。
曇華院と三光院についてもう少し詳しく申しますと、京都の曇華院というのは、皇族や公家などの女性が入寺して住職を務めた尼門跡寺院で、別名「竹之御所」と呼ばれていました。ですから、御所文化の影響を受けた皇女向けの精進料理が発展していったそうです。
今日のお話では、精進料理というのを形式から分けますと、1)御膳料理の雲水修行料理(宿坊飯)と、2)大皿料理の普茶料理に大別されるそうですが、曇華院(竹之御所)流精進料理ももちろん精進料理形式の一つではありますが、3)皇女向けという独特の歴史背景から、美味しい料理を供するために、出来立てを一皿づつ供する形をとっているそうです。
その曇華院の次期住職候補だった三光院の初代米田祖栄和尚が伝統ある竹之御所流精進料理を三光院にもたらし、三光院は現在「竹之御所流精進料理」を味わうことができる唯一の施設となっているというわけです。
さて、お楽しみの御献立をいただきましょう。
一、最中とお薄
最初に和菓子とは驚きです。
二、お煮しめ
道元以来の五色、五法、六味の調理技術から、お煮しめの南瓜の黄色など
色彩を大事にしている由。
三、茶碗蒸し
精進料理は卵を使わないから、豆腐の茶碗蒸し。日本人が鶏を食べるようになったのは幕末、卵
にしてもせいぜい江戸中期以降、精進料理が始まったころには卵はたべていないでしょうから、
納得です。それにしても豆腐の茶碗蒸しは初め口にしました。
四、金銀富貴
金柑、銀杏、蕗(=富貴)で。
五、香栄豆富
この料理を考案した香栄住職の名を冠して。三光院の名物です。
六、木枯らし
1707年に東山天皇から紫衣を賜わってから、紫=茄子を大事にしているそ
うです。
七、箸洗い
薄味のすまし汁。出汁は江戸とちがって昆布。
八、粟麩
日本の精進料理の中に遊牧民農業由来の粟が入っているところに、料理が
南宋から伝わった史実が垣間見えるようです。
九、蒟蒻天麩羅
これは美味しい。天麩羅の魔力でしょうか。
十、ご飯
ご飯は写真のように縦に並べるとまこと。これは驚きですが、汁物がないからこうなるのかな
な。
細かく刻んだ香の物は、皇女の口に入るようにとの配慮でしょう。
十一、売茶竹延流すすり茶
お茶のあま味が美味。それに高遊外売茶翁はわが故郷の佐賀賢人の一人。
ああ、これが日本のお茶の味だと思ったりしますが、実は《すすり茶》も
清国からの伝来とか。
尼寺三光院の竹之御所流伝統精進料理は、味も器も、素朴さと女性らしさが感じられます。この感じを雅寂というそうですが、今日初めて知った世界でした。
聞くところによりますと、曇華院の前身通玄寺が順徳天皇の曾孫智泉聖通尼によって建立されたのは14世紀後半のこと。入寺した皇女たちが食した伝統の精進料理が今、現代の首都東京に根付いているわけです。まさに奇跡の食遺産でしょう。そしてそれに接することができた私たちは何と幸せなことかと思います。ごちそうさまでした。

料理の写真は下から上へ
江戸ソバリエ協会
ほし☆ひかる