第272話 パウダー・スノウ
【上:左から酒井抱一・尾形光琳・俵屋宗達の風神図】
【下:テン☆ほし絵】
お国そば物語 24
☆釧路の夜へ
十勝の蕎麦グループの代表折さんから「蕎麦について何か話せ」との命令をいただいたので雪の北海道に出かけていった。講演は明日であるが、土地勘のない他国者がその日のうちに、秘境トムラウシ温泉の会場へ辿り着く自信はなかった。加えて新千歳空港は荒模様との情報があり、念のためと前日に太平洋側の釧路へ入った。
というわけだから、夕食は一人ボッチ。正直いって詰まらない夜だった。街は静かで寒い。早々にホテルに戻ろうと急いでいる途中、古本屋&古レコード店の看板が目に映った。入ってみると、古本の微かな匂いとジャズ・ピアノが流れてくる。この小気味よさはたぶんシダー・ウォルトンの指捌きだろう。耳はそのリズムに傾け、視線は本の陳列棚を流していた。心地よい時間であった。そのとき、ふと原田康子の『挽歌』が目に留まった。たしか彼女は釧路出身の作家のはずだった。と思って手に取ってみると、やはりそうだった。これも何かのご縁と買い求め、ホテルに帰った。
バスに入って、ベッドに腰をかけ、買ってきた本を開いたところ、本の間に「堀田家 家訓」なんていう栞が挟まっている。それはたぶん他の本の宣伝栞なのだろうが、古本だから偶に関係のないものが紛れこんでいることがある。しかし、その内容が今夜の私にピッタリだ。
「家訓3 ― 食事は家族揃って賑やかに行うべし」
「何だ、これは皮肉か」と一人で笑いながら、巻末の解説を見た。それによると、昭和31年にベストセラーになったとある。実際に読んだことなかったが、そんな憶えは確かにある。私の中学時代だ。当時はもうひとつ、石原慎太郎の『太陽の季節』が大ヒットしていた。こちらは友人の間でも話題にする者がいたので、読んでみた。衝撃的だった。何が衝撃的かというと、「慎太郎刈り」というヘア・スタイルもひっくるめ、その乾いた世界がまだ子供の私には衝撃的であった。
そんなことを思い出しながら、寝そべって『挽歌』の文章を追った。読みやすかった。ただし、若いころ摩周湖、屈斜路湖、川湯温泉、阿寒湖、釧路湿原などを巡ったことのある身としては、「もう少し釧路らしい風土描写を」と期待していたが、それはなかった。作者はそういうローカル臭さを外して、シャレた内容にしたかったようだ。だから、阿寒の川湯温泉らしき所を「K温泉」と表記していた。そこで二夜を過ごした不倫カップルの物語である。言っておくが、遊びの浮気ではない。不倫である。が、当時「不倫」という言葉は一般的ではなかった。そのころの言葉としては「不道徳」ということだろう。そこに都会性が漂っていたのでベストセラーになったのだろう。
昔の、江戸時代のことは知らないが、明治以来、女性も若者も常に世の中に抵抗してきた。その抵抗は反社会的な犯罪として爆発するのではなく、絵画、文学、音楽の世界の中で花開かせることもある。女性の抵抗の、不道徳的表現のひとつがこの『挽歌』であり、若者の不道徳的反抗のひとつが『太陽の季節』であった。
昭和30年代というのは高度成長期にもう少しで手の届く距離だった。だから女性や若者の抵抗を受け入れる準備ができていたのである。
「挽歌」とは前近代性との決別の歌であり、「太陽の季節」とは明日必ず訪れるキラキラした眩しい時代ということなのであった。
そんなことなどを思い起こしていると、今の若者や女性の創造的抵抗はどうなんだろう・・・・・・と思っているうちに、睡魔が間近に迫ってきた。外は暗くて寒いだろうと思いながら、布団を被った。
☆十勝・トムラウシ温泉にて
翌朝、目を覚ますと釧路の街は白一色に変わっていた。その景色が朝の一人食の詰まらなさを補ってくれたが、時間がないので早々に支度して、釧路から今日の会に参加されるついでに、私を拾ってくれるという作さんと野さんをお待ちしていた。
お会いして、最初に交わした言葉が「いやあ、釧路にしては珍しく降りました」だったので、「避けたつもりが、雪はこっちに来たのか」と可笑しかった。
それにしてもお二人さんは、年恰好はもちろん頭や顔の形、身体付、兄弟みたいにそっくりだった。その上に聞けば仕事も同じだったというからふるっているが、とにかく車に便乗させてもらった。
われわれが行こうとしている所は、トムラウシ温泉という所だ。
あらためて北海道地図を見てみると、北から南へ何本かの山脈・山地が背骨のように入っており、中心部が北海道の尾根となっている。それが大雪山山系である。2000mを越える山々が連なっているそのなかの一つ、深田久弥選定の「日本百名山」でもあるトムラウシ山(2141m)の中腹に目指す温泉ホテルはある。
道筋は、白糠 → 本別を通って行くらしい。北海道独特の行政単位(14支庁)である「支庁」でいえば釧路支庁から十勝支庁の縄張りに入るわけだが、所要時間は4~5時間の予定だという。
道中、空から小雪が降ることもあったが、概ね晴れていた。その上ずうっと白銀の景観が続く。時折、風が渡ると雪けむりが立つ。サラサラ雪だから、白粉か、打粉か、蕎麦粉のような細かい白い雪が風に吹かれて舞い、光線の加減では銀色に輝くこともある。初めての体験だったが、このサラサラ質の雪を「パウダー・スノウ」というらしい。訳せば「粉雪」になるだろうが、粉雪とパウダー・スノウの、私の印象にはちがうものがある。
運転する野さんのスピードは常に一定で、安心だった。おそらく、蕎麦打ちもキチッと対処される方だろうと呑気なことを想ったりしていたが、雪の中を長時間運転されるのはさぞかし大変だったろう。
お蔭さまで、4~5時間が苦に感じることなく、無事にホテルへ着いた。
辺りは、搗きたての白い餅のようにきれいに積った雪と、寒々と佇む潅木の外は何もなかったし、音もしない。地元の人でも「秘境」と呼んでいるだけのことはあった。
三人はまだ昼食をとってなかったので、ホテルの食堂で山菜と鶏肉の入った温かい《かけ蕎麦》を食べた。そういえば、昨夜釧路で夕食を食べたとき、お品書に、同じようなものがあった。そして下段に「昔から釧路は、鳥で出汁をとります」というようなことが書いてあったので、車中でお二人にお尋ねしたところ、「鳥で出汁をとることはないけど、鳥のスープはあります。釧路の老舗『竹老園東家』の名物です」と言われたので、「そのことか」と納得したのだった。ついでながら、その店のお品書には、《浅蜊の蕎麦湯蒸》というのもあった。酒蒸しではなく、蕎麦湯蒸しというのが変だった。「あまり旨そうにないね」などと話しているうちに、代表の折さんはじめ会員の皆さんも集まり始めた。その数約40名。お顔を見ると、オヤ・オヤ! 平さんご夫婦、鈴さん、池さん、関さんなど、全国あちこちの蕎麦会場でお見かけした方がたくさんお見えになっていた。
間もなくして、私の拙い話の時間になった。一般的には話や物語を「説話」というが、私の方は「拙話」である。ただし、この度お話するに際し、北農研、幌加内町、北海道バリュースコープなどの友人から、多くの情報をいただいたこともあって、「がんばらなくっちゃ」である。タイトルは「道産粉談義」としたが、その内容は省くとしても、とにかく全国の蕎麦収穫量の45%という「北海道 蕎麦王国」がさらなる「蕎麦王国」となってほしいと願っていることだけは間違いない。
続いて、この会の総会が開かれ、後は広間で宴会となった 途中で、「玄関にテンが来ている」というので見に行った。初めて見る小動物だが、なかなか可愛かった。毛並もきれいだったから、高級襟巻になるはずだと納得した。ホテルの人の話では、「正確にはクロテン。北海道、サハリン、シベリアにいる」という。餌を置いているから時々顔を出すらしい。
それからまた広間に戻ったが、皆さんはなかなか寝ようとしない。酒と蕎麦談義は午前零時を過ぎても終わらなかった。これも北海道的だろうと思ったとき折さんが言った。この会は「徹夜で蕎麦打ちをするんですよ」と。体験を徹底させる。これは訓練の方法の一つとしてあり得ると思う。だから、同じ発想で、江戸ソバリエ認定講座では「蕎麦屋さんを10軒以上巡ること」としている。
ともあれ、私は1時過ぎごろ失礼して、部屋のベッドに潜った。
翌朝、温泉に浸かった。曇りガラスの向こうは満雪。たっぶりと積った雪は、「積雪」というより「満雪」と表現した方がふさわしい。
「あ~♪」日本人はお湯に入ると意味もなくそんな声を吐く。後から入って来た男性も、「あ~」と一言。女性が同じように「あ~」とおっしゃるかどうかは知らないが・・・・・・。
そういえば、熱い蕎麦湯を飲んだときも同じ声を漏らす。「あ~、熱い」なのか、「あ~、心地よい」なのか、「あ~、旨い」なのかは分からないが、とにかく「あ~」だ。
食堂に行くと、平さんが《温泉玉子》を、鈴さんが《温泉牡蠣》を「どうだ」とすすめてくれた。玉子は微かに温泉の匂いがして、優しい味になっていた。生牡蠣は佐呂間湖産を持って来て、温泉の湯にサッと通したという。佐呂間湖の牡蠣はプリッとした食感で知られている。それが温泉に通すとさらにプックリとし触感と、クリーミーな味覚になっていた。驚いた。みんなそうだろうかと思って、もう一つ頂くと、今度は牡蠣汁たっぷりタイプだった。どうやら温泉に浸けた時間や位置で、微妙に違うようだが、個人的には最初の《温泉牡蠣》は他所では口にできない珍味だと思った。
さて、トムラウシ温泉を離れる時刻がやってきた。
折さんが「天候荒模様のため新千歳空港は混乱しているらしいから、帯広空港へ行こう」おっしゃる。お任せするしかない。またもや便乗して、折さんと宮さんと車で帯広に向かった。
☆帯広の街から
車は白い山道を走る。その脇にも搗きたての餅のように美味しそうな真っ白い雪が続いている。行けども行けども白一色の世界。そこを折さんは上手に運転していく。途中の小山ではスキーで滑っている人がいた。訳もなく、昔はやった「白銀は招くよ♪」の曲を思い出したのは、曲のリズムがスキーのスピードと合っていたからだろうか。
山を下りて平地ちかくになると、かのパウダー・スノウの激しい舞が始まった。風が吹きぬけると、粉状の雪が流れるように飛び、時によっては雪けむりが立つ。白昼の空を見上げれば昨日より青いが、粉雪の乱舞頻度は昨日以上だ。
前の座席の宮さんが、その度にカメラを向けるが、風神様が一吹きして大きく舞い立つパウダー・スノウという奴はなかなか捕まえにくそうだ。
その白い景観の中にサイロが佇っているのも北海道らしい。しかし通過する小さな集落は冬眠しているかのように人影がない。
よく北海道を評して、「外国のようだ」とおっしゃる人がいる。もちろんいい意味でだ。この場合、景観ばかりではなく、文化・気質も本州以西とはちょっと異なる感じがするという意味だろう。
そういえば、在職のころ、新製品を発売すると、最初に売れるのが、首都圏と北海道だった。次が九州、そして西から段々と東上し、最後が東北だった。情報社会の現在はどうか知らないが、当時はだいたいパターン通りだった。
そして第二段階になるとその地域における浸透が進むわけだが、ここでは都会ほど力を発揮する。というときに、北海道の人はもう知らんぷり。まるで冬眠に入ったかのようだった。それもアッサリしている。そこが北海道らしいところであった。その北海道らしいとは何かというと、何も知らない他所者が勝手なことを言っていいかは別として、「ここは狩猟民族のクニ、本州以西は農耕民族のクニ」と分けて見たら、分かりやすい思う。
そんな風土だから、17年前に素人蕎麦打ち段位認定大会が北海道の幌加内で最初に始まったという事実はよく理解できる。
それだからこそ、折さんが主張する「これからは、蕎麦打ちだけではなく、蘊蓄も」という全方向性に、僭越ながら小生も賛同だ。
そんな拙い考えをしているうちに、帯広の街に着いた。折さんは「帯広に来たら、ぜひ『ばんえい競馬場』を見てほしい」と言って、案内してくれた。「ばんえい」は「輓曳」と書き、農耕馬にソリを引かせて走る競争だが、開始は午後1時半、時計を見るとまだ11時。「残念」ということで、《豚丼》の元祖「ぱんちょう」という店でお昼にしようということになった。
店内は若いお客さんが多かった。さっそく注文すると、それは焼鳥丼か、うな丼のように垂れが香ばしく、美味しかった。店は創業昭和8年から《豚丼》一筋だという。だからメニューにはそれしかなかった。そういう分かりやすさが名物になるのだろう。
食後、再び車はパウダー・スノウの中を走り貫け、帯広空港へ着いた。
折さんの読みは当たった。羽田への便は空いていたので、ホッとした。
14時30分、飛行機は離陸した。飛行機に乗るとき私は、だいたい通路側に席を取るが、今日は空いていそうだったので、窓側に座った。
そこで45°の傾斜で駆け上がる飛行機の外を見下ろすと、白い角餅を敷き詰めたような雪景色が広がっている。さらに高く、遠くなると、それはホワイトチョコに変わってきて、飛行機は白いソフトクリームのような雲海のクニに突入した。
とまあ、安易にも食べ物の例えが多くなってしまったが、血の滴る肉食系の民族は赤色を愛し、白いご飯で育った日本人は白色を好むという。それだから白で食べ物を連想するのはわれわれの本能だろう。と、最後は江戸ソバリエらしく食べ物のことで、この「白い紀行」を締めよう。
参考:第265話 妄想北海道料理、第264話 道産粉談義、第211話 流氷とクリオネの国
〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕